第6話 トウキョウ遺跡にて

 地球が完全な水の惑星になって、陸がなくなって、海だけになった。人類は人魚に進化して生き残っている。

 僕はその話を聞くたびにふしぎな気持ちになる。昔地球には陸があって、そこだけが人類の生存領域だった。ひれで泳ぐのではなく、二足歩行で移動していた。今の人魚には理解できないほど高度な文明を築き、摩天楼とかいう天にも届く建造物に住んでいたのだという。

 陸生人類が残した遺跡が各地に残っているので、古代人類文明があったと信じるほかない。遺跡は今は魚の住処になっていたり、海藻で覆われたりしているが、確かに存在している。

 僕が棲んでいる海域にも遺跡はある。トウキョウ遺跡と呼ばれるかなり大規模な遺跡だ。トウキョウ遺跡は何百年前か何千年前かわからないけれど、陸上にあって、栄華を極めていたそうだ。人間がものすごく密集した群れをつくって生きていた。巨大地殻変動によって陸が海に引きずり込まれたとき、ほとんどの人間が死んだ。いくらかの人間が船に乗って生き延びた。船上人類の一部が人魚に進化したと考えられている。

 僕はトウキョウ遺跡を探検するのが好きだ。恋人を誘ってデートするにも最適なところだと思っている。

 人魚は大きな尾びれを持ち、泳ぐのに適した身体をしているけれど、魚とは呼吸のしくみが違う。肺呼吸をする。太陽の光を浴びながら息をして、僕は恋人と話をする。

「またトウキョウへ行こうよ」

「いいけど。好きだね、トウキョウ」

「想像力をかきたてられるんだ。あれが海ではないところにあって、今みたいに崩れてもいなくて、電気がピカピカしていて、人魚の祖先である陸生人類が、そこで火を使って料理をして、パソコンという魔法の箱を使って、むずかしいことを考えながら暮らしていた。すごいと思わない?」

「さぁね。本当のことかどうかもわからない昔話よ」

「僕は本当のことだと信じてる」

「あたしはあんまり信じてないな。人魚が二本足の人間から変化して生まれたなんて、眉唾よ。トウキョウはもっと別の何かの住処だったのよ。あんな遺跡に人魚の祖先がいたなんて信じられない」

「進化論って知ってる?」

「知らない」

「遠い昔のことだけど、イルカの祖先は陸生生物だったんだ。それが何かの拍子で海に棲まなくてはならなくなって、イルカに進化した。だから、イルカは鰓呼吸ではなく、肺呼吸をしているんだよ。肺はイルカが昔陸生生物だったなごりなんだ。人魚も同じだよ。そのように生物が生きる場所に適するように変化することを進化と言うんだよ」

「イルカは昔からイルカよ。魚は魚で、人魚はずっと昔から変わらず人魚だった。それ以外考えられないわ。進化論なんてトンデモ理論だわ」

「そうかなぁ。僕はあり得ることだと思う。長い年月に渡って生物を観察し続ければ、進化論を証明することだってできると思うんだ」

「ねぇ、もうトウキョウに行きましょうよ。あなたの理屈っぽいところは嫌い」

「嫌いだなんて言わないでよ」

 僕は恋人と海中に潜ってトウキョウ見物をした。人類が住んでいた建物の残骸が残っている。そこにはたくさんの魚が隠れている。僕は魚を捕まえて、海上に顔を出しておやつとして食べた。恋人も魚を食べた。楽しい。

 夕方、海上で見慣れないものを見た。クジラぐらいの大きなものが浮かんでいる。それは少しずつ僕たちの方へ移動していた。海流で流されているのではなく、自力で動いているように見えた。

 僕も恋人も驚いた。

「不気味だわ。逃げましょう」

「ちょっと待って。あれは船かもしれない」

「船って昔話の?」

「そうだよ。あれは、船じゃないかと思う」

 おおきな浮かぶ物体が近づいてきた。僕は逃げずに見つめていた。恋人は僕の背中につかまってぶるぶる震えていた。

「好奇心が人魚を殺す」と彼女が言った。

「僕は一人でもかまわないから、逃げていいよ」

「もうだめ。怖くて、一人では泳げない」

 やがて物体は進行速度を緩め、僕たちのすぐそばで止まった。物体の上には僕たちと似たところのある生き物がいた。尾びれがなくて、二本足で立っているところだけが違う。

 人間だ! 滅びたと考えられていたけど、生き残りがいたんだ。この物体はやっぱり船だったんだ。

 人間は十人ぐらいいた。僕たちには通じない言葉で何事か叫んでいる。何を言っているのかわからない。僕は肩をすくめた。人間も肩をすくめた。

 僕は海に潜って魚を捕まえ、船に向かって投げた。魚はうまく船の上に届いた。人間たちが笑い声を立てた。

 人間が海の中に糸を垂らした。僕は語り部から聞いた昔話を思い出した。これは釣りという技術に違いない。

 やがて人間は糸を巻き上げた。糸の先には魚がついていて、人間は得意そうにそれを僕たちに見せた。

 それから人間は船の上で火を使い、魚を焼いた。火を見るのは初めてだが、あれは火に違いない。僕はまた昔話を思い出していた。

 人間は焼いた魚を二つ、僕たちに向かって投げた。僕と恋人はそれを食べた。生の魚とは違う味と食感がした。

「ありがとう」と僕は言った。

 人間がまた意味のわからない言語を話した。「どういたしまして」とか、そんなふうなことを言ったのだと信じた。気持ちが通じ合ったと僕は思った。

 夜が来て、僕たちは船のそばで眠った。人魚は海の上ならどこだって眠れるのだ。恋人は嫌そうだったが、僕は船から離れたくなかった。

 でも、朝になって目が覚めたとき、もう船はそこにはいなくなっていた。

「あたしたちは幻を見たのに違いないわ」

「いや、船はあった。人間はいた。どこかへ移動しただけだよ」

 人間は滅びてはいなかったのだ。僕は自分の生きる道を見つけた気がした。高揚感に包まれた。僕は船と人間を探す。そしていつか必ず船を見つけて、今度はもっと長く人間と話をする。人間語をわかるようになって、人間について研究するのだ。

 その望みを恋人に話した。

「あなたは理屈とか研究とか好きすぎよ」と呆れられた。

 何とでも言え。僕は恋人を残して、水平線に向かって泳ぎ始めた。

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