第3話 アンビエントの姫君
メロディが嫌い。
だれもが美しいと言うクラシックの名曲が聴き通せない。
流行のポップスが街で流れていると耳をふさぐ。
ロックもだめ。あれもメロディアスすぎる。
メロディを聴くと、私の頭の中で、それが文章に変換されるの。1曲は1編の文芸作品になる。
クラシックは古典文学になるわ。
ポップスはメロドラマ。
ロックはポエムに。
聴いていると、文章と音が頭の中でこんがらがって、自分の思考ができなくなる。メロディやサブメロ、ハーモニーは文章になり、ベースやドラム、パーカッションは音として残っているの。
だから私は特にメロディが嫌いなのよ。
私は音楽を避けて生きて来た。
私の名は、桜姫。たった二字だけど、日本人の名前だ。
姓は桜、名は姫。江戸っ子だよ。
メロディは嫌いだけど、音を聴くのは好き。雨の日は、水滴がアスファルトを叩く音に耳を傾けて過ごすわ。
風が強い日は素敵ね。台風は最高。
鳥の声も好き。カエルの鳴き声もいいわね。
海の波の音。いつまででも聴いていられるわ。飽きることがない。
そんな私がはまったのは、アンビエントミュージック。環境音楽。
メロディのない音楽。
こんな音楽があったのね。
ブライアン・イーノの「アンビエント4」をネットで聴いたのがきっかけだった。すぐに夢中になった。素敵、素敵。こんな音楽があったんだ。
これは私のための音楽だよ。
私もこんな音楽を作りたい。
私は音源を自然に求めた。
マイクを持って、外に出た。
川へ行き、せせらぎを録音した。
雨が池の水面を叩く音を収録した。
台風の日はもちろん大喜びで外出した。
焚き火の音も録った。河原で流木を集めて燃やし、パチパチと薪がはぜる音に耳を澄ませ、炎にマイクを向けた。
海にも行った。半日、波の音を聴いていたよ。もち、録音しながらね。
生き物の音も追いかけた。
ヒバリ、カラス、ウグイス、カッコウ、ニワトリ、カエル、コオロギ、スズムシ、イヌ、ネコ、赤ちゃん。
意味のある人のおしゃべりやお話はけっして録らなかった。だって、気持ちよくないんだもん。
音源を録ったら、PCで加工したり、組み合わせたりして、私のアンビエントミュージックを作った。音作りは楽しかった。私の初めての趣味だった。
「海と雨とスズムシ」という曲?が私の初めて完成させた音楽作品だった。メロディはない。
私による私のための私にとって心地のよい音楽。
でもちょっと他人の反応がどうなのか気になって、ネットに上げてみた。
たぶんだれも聴いてくれないだろうな。そう思っていた。
でも世界で百万回再生されちゃったのよ。想定外の現象だった。
また別の音楽を作った。
各種の風と焚き火の音を使って、意識から思考が消えていくような音楽をめざし、試行錯誤しながら作った。
「夜の風、炎を揺らす」というタイトルをつけて、二度めのネット投稿をした。
なぜだかわからないけれど、多くの人が聴いてくれるの。今度は百二十万回再生された。たくさんの、いいね、をもらった。
この二回の成功で、私の人生が変わった。ニューヨークのレーベルからオファーが来たの。
私はプロの音楽家になった。ていねいに時間をかけて、5曲の環境音楽を作り、売り出した。成功したわ。私のアンビエントミュージックはお金になった。
私はミュージシャンになった。メロディを作らない音楽家。楽器を弾かない作曲?家。「自然音の魔術師」とか「アンビエントの姫君」とか呼ばれるようになったわ。
でも、売れてから、音作りが苦痛になって来ちゃった。楽しくないの。
仕事のための音源探し。お金のための音作り。なんだか疲れちゃった。
がんばって10曲ほど作ったけれど、それで限界だった。
私はレーベルを離れた。
環境音楽は作りつづけたけれど、ネットで発表するのはやめた。
他の誰にも聴かせない私のためだけの音楽が、少しずつ私を癒やした。音作りがまた楽しくなってきた。
今ではすっかり回復している。
今日も外出するんだ。
どんな音が録れるかな。
工場の方へ行ってみよう。きっと刺激的な音があるにちがいない。
私の音楽は自然音だけでなく、人工音も使うようになって、ますます豊かになっている。
私だけがその音楽を聴いているの。
とても素敵な音楽なのよ。
もし私の友だちになってくれるなら、イヤホンの片一方を貸して、聴かせてあげてもいいわよ。
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