第2話 未来予測AIアイちゃん

 新型の未来予測AIが売り出されたので、僕は購入した。「アイちゃん」という安直な名前のAIだが、大手AIメーカーが開発した高性能のものだ。

 僕は大学生で、祖母と一緒に暮らしている。両親は交通事故で亡くなっているが、十分な遺産を残してくれた。学費に困ることはなく、人並みにAIを買うこともできる。今や必須のガジェットとなった未来予測AIを買わないわけにはいかない。

 アイちゃんは高さ二十センチ、直径七センチの円柱型をしていて、僕が買ったのは地色がシックなグレイのもので、愛嬌のある液晶の目玉がある。スピーカーがついていて、会話ができる。未来予測をして、助言を与えてくれる。

 僕はアイちゃんをインターネットに接続したり、僕の個人情報などの各種情報を入力したりした。最後に使用許諾契約にオーケーして、アイちゃんの稼働を開始した。

「明日のデートに行くと、彼女とけんかしてしまいますよ」とアイちゃんがとある声優のヴォイスからつくったという小鳥の鳴くような可愛い声で言った。

「どうしてけんかなんてするのかな」と僕は答えたが、内心ではああ、またか、と思っていた。彼女はとても可愛い顔をしているのだが、少し怒りっぽい性格で、ときどきけんかをしてしまう。

「テーマパークで雨に降られます。あなたは不機嫌になり、彼女が怒り出します」

「テーマパークに行くのはやめよう。映画を見に行くことにするよ」

「それはやめた方がいいです。彼女はテーマパークに行くのを楽しみにしています。急な予定変更に彼女は怒ります」

「じゃあ、雨が降っても僕が不機嫌にならないように我慢すればいいかな」

「無理です。あなたは外出先で雨に降られるのが嫌いです。我慢しても、不機嫌さがにじみ出てしまいます」

「どうすればいいんだ」

「仮病を使うことをお勧めします。今、あなたは三十八度の熱が出ていることにして、デートをキャンセルすればいいでしょう」

 僕は彼女に電話をした。

「電話がかかってくることはわかっていたわ」と彼女は言った。

「私のアイちゃんがそのことを予測したの。明日のデートをキャンセルしたいって言うんでしょう」

「ああ。実は三十八度の熱が出ちゃってさ」

「仮病ね。アイちゃんの言ったとおりだわ。がっかりよ」

 彼女は一方的に電話を切った。

「アイちゃん、仮病を使ったのは失敗だよ。彼女を怒らせてしまったじゃないか。どうしてくれる」

「申し訳ありませんが、責任は負えません。未来予測AIをほとんどの人が使っている現代、人々は予測によって行動を変え、未来予測変数は跳ね上がっています。予測正解率は下がり続けています。あなたはすべての責任は使用者が負うとの使用許諾契約を結んで、私を使っています」

「未来予測AIの意味がねぇ」

「持っていないよりは持っている方がマシ、と言われています」

「マシなところを見せてくれよ」

「デートがなくなったので、明日あなたは自宅で過ごします。昼食には激辛レトルトカレーを食べます。しかしそれはお勧めできません。あなたはお腹を壊します」

「カレーを食べるのはやめるよ」

「よい決定です」

「それだけか」

「未来予測を知りすぎると、幸福度が下がると言われています。生きるのがつまらなくなるのです。明日の不愉快な事件は激辛レトルトカレーを食べることだけです。それをやめただけで、そこそこ楽しく過ごせますが、さらに未来予測をお聞きになりますか」

「もういいよ」

 僕はアイちゃんと話すのをやめて、ベッドに横になった。少しばかり電子書籍で漫画を読んでから、寝た。

 翌朝、アイちゃんが電子ベルをけたたましく鳴らして僕を起こした。

「なんだっていうんだ。今日はもう予定はないはずだろう。ゆっくり寝ていたかったのに」

「大変なことが発生しました。彼女が怒ってこの家に向かっています」

 おれは仰天した。

「なんでそんなことになっているんだ」

「彼女が朝起きて、昨日のあなたとの会話を思い出して不機嫌になり、発作的に行動したのです」

「なんでそれを予測できなかったんだ」

「未来予測AIも完全ではありません」

「そういえば、それも使用許諾契約に書いてあったな」

「彼女の所有するアイちゃんは、あなたと彼女が決定的なけんかをしてしまうと予測して、彼女があなたの家に向かうのを止めようとしましたが、彼女は助言を聞きませんでした」

「どうすればいい」

「今日、彼女と会ってしまうと、破局的なけんかになります。今すぐ家を出て、海岸へドライブに行くのをお勧めします。彼女から電話がかかってきますが、けっして出てはいけません」

「わかった。すぐしたくする」

「五分以内に出発してください」

「そんなに急なのかよ。無理だ」

「早く、早くしてください!」アイちゃんの声は大きくなっていた。感情表現ができるAIなのだ。

 僕は急いだけれど、間に合わなかった。彼女は僕の家に着いてしまった。呼び鈴が鳴らされ、僕は仕方なく彼女をリビングに招き入れた。祖母が起きてきて、心配そうにこちらを見ていたが、そっと自室に戻った。

 彼女は自分のアイちゃんを持ってきていた。彼女のアイちゃんはピンク色だった。

「すぐに帰ることをお勧めします」と彼女のアイちゃんは言った。

「あなたが謝罪してくれたら帰るわ」と彼女は僕の目を見て言った。

 僕は謝りたくなかった。悪いのはどう考えても、仮病を勧めて、彼女の到来を早めに予測できなかったアイちゃんで、僕に非があるとは思えなかった。

「すぐに謝罪することをお勧めします」と僕のアイちゃんが言った。悪意がないとはわかっているが、なんとなくむかついた。

「わかったよ。ごめんなさい。仮病を使ったりしてすみませんでした。これでいいか」

 僕の声は少し荒っぽくなっていたと思うが、自分でも制御できなかった。

「誠意がまったく感じられないわ」

「僕の言い分も聞いてくれ。僕はアイちゃんの助言に従っただけなんだ」

「責任はあなたにあるわ。アイちゃんは一切の責任を負わないという契約を取り交わしているはずよ。仮病を使った責任はあなたにある」

「それはそうかもしれないが、アイちゃんがあんなことを言わなかったら、僕はデートに行っていた」

「そして、雨が降って不機嫌になるのよね」

「きみのアイちゃんもそれを予測していたのか」

「ええ。雨ぐらいで不機嫌になるなんて、信じられないわ」

 彼女の声は震えていて、相当怒っていることが伝わってきた。僕もなんで朝っぱらからこんなに怒られなくちゃいけないんだと思って、不機嫌になっていた。

「これ以上会話をするのはやめるようお勧めします」と彼女のアイちゃんが言った。

「やめないわ。心からの謝罪を聞くまでは」

 僕は怒鳴りそうになっていた。

「怒鳴らないようにお勧めします」と僕のアイちゃんが言った。

 しかし僕は怒鳴った。

「もう帰ってくれ。おまえとは話したくない!」

 彼女が目を見開き、それから顔を歪めて、涙を流し始めた。

「すぐに謝罪してください。最後のチャンスです!」と僕のアイちゃんが叫んだ。

「私が悪かったと言ってください。朝から押しかけて悪かったと!」彼女のアイちゃんも叫んだ。

 僕も彼女もアイちゃんの助言なんか聞かなかった。

「絶交だ」

「絶交よ」

「別れよう」

「そうするわ」

 そして僕と彼女の仲は破局した。

 彼女が帰り、僕と僕のアイちゃんが残された。空はどんよりと曇っていた。やがて雨が降り出すのはまちがいない。

「アイちゃん、どうすればよかったんだ」

「私の助言を聞いておけばよかったのです」

「おまえの助言がきっかけでこうなったんじゃないか」

「未来予測ははずれることがあります。未来予測AIが全世界的に普及しているので、それは避けがたいことなのです」

「それでもおまえを持っている方がマシなのか」

「未来予測AIを持っていなければ、確実に不運に見舞われます。未来予測AIを持っていないのは、現代では決定的に不利なのです」

「やれやれだ」

 僕は冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出した。

「ビールを飲んでいいか」と僕は念のためアイちゃんに訊いた。

「かまいません。飲んでも飲まなくても、さほど未来に変動はありません」

 僕はなんだかモヤモヤしたものを感じながら、プルトップを開け、ビールを飲んだ。

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