第9話:火焔魔王、人間に転生する08
「助けてアリえもん!」
「……………………」
とかくよくわからなかったが、ツッコミも野暮なので彼……アリストテレス=アスターは天井を見上げた。魔術学院の天井は特に論じるべきで無い石材と木材で出来ている。学生寮でのこと。彼は何の因果か星乙女三人と同室しており、ついでに今は一人で勉強していた。
「親が横暴でよー!」
紅茶色の髪の星乙女。クラリス=ゴッドフリートである。アンタレス嬢とも呼ばれるが、彼の方は一貫して「クラリス嬢」と呼んでいた。
「ふ」
吐息をついてページを閉じる。ここで勉強しても非効率的。そう悟った結果だ。およそ学院での必要な知識は多岐にわたり、魔術師であっても勉強は必至だ。彼は知識より理論を優先する傾向にあったので、どちらかと云えば理数系なのだが、なんにせよ赤点は回避する余裕はそこそこあった。
「聞いて聞いて!」
「聞いておりますけど」
ギュッと彼女が抱きついてくる。こっちの首に腕を回し、およそ顔の距離が近い。
「婚約者を選定しろって!」
「婚約……」
結婚の前段階。大貴族の令嬢ならではだろう。
「嫌なので?」
抱きつかれたまま、そっちには意識を割かず彼は尋ねた。
「だって恋は自由にしたいでよ!」
「自由な恋」
元々魔族の彼にはちょっと意識の及ばない範囲だ。
「アリスっちもそう思うでよ!?」
「えーと」
「ね!」
「はあ」
ぼんやりと感動詞を呟く。
「やっぱり! だから一緒に親を黙らせるでよ!」
知らないうちに協力することになったらしい。
「えーと?」
「ゴッドフリートの名に恥ずかしくない紳士になるでよ!」
「誰が?」
「無論! アリスっちが!」
「えー」
こと魔術に於いては人より秀でる。とはいえ貴族も婚約も自由恋愛もあまりに他人事で、
「却下」
「以下同文!」
「でよー……」
当然というのか。あるいは別に意図が有るのか。カオスとピーアニーは半眼でクラリスを睨みやっていた。もちのろん、その意味を彼は知らない。
「いいじゃんか! うっちと結婚したら玉の輿でよ?」
「魔術学院の遺産です。彼は」
「師匠に習うことはまだまだあるんだから!」
「じゃあ夫人とか!」
「却下」
「以下同文!」
堂々巡りだった。
「ほ」
その彼はといえばコーヒーを飲んでまったりしている。講義もそこそこ出て、帰るべき部屋はまぁ変わらず。魔術の研鑽も怠らない。王国の騎士団もあまり干渉はしないらしく、今現在彼にしがらみはない。未来は想定していなくとも。
「アリスっちもいいでよ?」
「何が?」
まぁ厄介事に巻き込まれているのだろうな的な把握は可能だ。
「婚約」
「あまり意味があるとも思えませんね」
ボッと手の平から炎が点る。
「ちょっとだけだから! ちょっと親をねじ伏せて、ちょっとニャンニャンするだけだから!」
「ニャンニャン?」
「そこで分からないのがアリス様ですよね」
「にはは! 師匠の罪作りー」
「?」
本気で彼には意味不明だ。
「で、何をしろと?」
「キス!」
「私と!」
「ピアでもいいよ?」
「キス……」
美味しい魚ですよねー、とは冗談でも言えない空気だ。
「なわけでちょっと偽恋人をでよー。ふぎゃ」
側面からクラリスの頬をカオスとピーアニーが抓った。
「でもこのままじゃうっちは不本意な婚約をされるでよ?」
「貴族の名を捨てる覚悟が無いなら甘んじるべきでしょう」
「だねー。普段は家に甘えて、都合の良い対処を求めるのは酷かな~?」
「愚……」
まぁ正論だ。
「というか魔術で滅せば良いのでは?」
こんな事を言うのが魔王の魔王たる所以だ。
「こら!」
「師匠!」
「わかる!?」
カオスとピーアニーが焦って、クラリスが目を輝かせた。
「さすがうっちの王子様でよ!」
「何が?」
まぁそうも言ったもので。
*
「貴様がクラリス様の恋人か!」
「いえ。違いますけど」
「え? 違うの?」
「違います」
「えーと?」
アリスはかなり空気が読めていなかった。場所はとある広場。辺りにはそこそこの通行人。顔合わせに現われて、いきなり婚約処理に異論があると述べて彼を差し出したクラリスに、大体の都合を察した婚約者候補がビシッとなんとか裁判的な指差し方をすると、返ってきた答えがかなり破壊的だった。
「恋人ではないでよ」
そこに今更クラリスも異論を挟めず。色々と妥協と理解と摺り合わせの上、婚約に異論がある男子生徒その一となった。
――いいのかそれで?
「まぁいいんですけど」
そんなわけで近しい男子として親御さんには娘の幸せを願って欲しく云々。使用人と婚約者候補にそんな意見までする始末。
「じゃあお前は何なんだ」
「何なのでしょう?」
青天白日を眺めつつ彼も良くは分かっていない。
「一応うっちは好意的でよ?」
「何故?」
「ここで言って良いのでよ?」
問われても鬼の首が何なのかも彼にはよく分かっていない。
「じゃあ口出すな!」
「とは仰られても」
「なんなら痛い目見るか!」
「暴力で話を進めるのは嫌いじゃ無いですよ」
「魔術師風情が!」
貴族だろうと魔術を使えるかどうかは運否天賦だ。
「では決闘しろ!」
「面倒です」
やはり空気は読めていなかった。
「じゃあどう決着を付ける気だ!」
「ここで叩きのめせばいいのでしょう?」
「やっちゃえアリスっち!」
クラリスもかなりノリノリだ。
「じゃあやってやらぁ!」
相手方も異論は無いらしい。周りの道行く人らも各々で興味の視線を送っていた。
「魔術有り?」
「有りでよ!」
「無し!」
相手方にしてみれば魔術を使われた時点で勝ち目は無いのだろう。
「うーん」
空を眺めつつ広場を流し見ていると、距離が縮まる。相手は剣を持ちだした。使用人に渡していた物を柄だけ握って鞘から引き抜き、こっちに振るう。
「物騒ですね」
スッとアリスは斬撃線を躱した。
「イケイケでよ!」
「然程でも無いんですけど。吾輩としては」
慣性の法則に支配された婚約者候補の死に体に掌底を放つ。浸透する打撃が効果ありと見なしたところで、彼はさらに呪文を唱えた。
「
スピリットが暴発して魔術を一瞬だけ具現し乱す。小爆発が起こり掌底の威力と合わさって婚約者候補の身体を吹っ飛ばした。
「えぇ?」
魔術は無しのはずだ。もちろん従う気がアリスに無いのは理屈としてあっても。
「なわけで不条理ながら不条理を押し通すんですけど。それなりに彼女の自由を保障して貰えれば幸い」
「……………………」
「いや。そんなに婚約したいんなら止めはせねども、いちおうこっちにも事情があるのは認識してもらって。相応の拒絶はこれを許してほしいかなと」
「お前はゴッドフリートさんが好きなのか!」
「好意的ではありますね」
同じ部屋に住む友達だ。嫌いならば成立しないだろう。
「ぐ……」
「わお! アリスっちでよ!」
呻く婚約者候補と、口元に手を添えるクラリス。
「なわけで親御さんにはよろしく言っておいてでよ」
「ゴッドフリートさん!」
「なにか?」
「そんなにもその男が……っ!」
「ま、ちょっと事情はありつつ」
「どういう!」
「それは貴君には関係ない話で」
「吾輩にはあるので?」
「どーだろーでよ」
ケタタタ、と彼女の笑う。
「にしてもさっきの
「スピリットの質さえ調整すれば難しい話ではありませんよ」
軽やかに彼は述べた。
「で? で?」
「イメージ的には断線のソレで……」
「をーい……」
婚約者候補の立場はあまりなかった。
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