第4話 HURTFUL


───試合当日。


「ここが『央』ですか」


眼前の城壁を見上げて、七菜は感想を呟いた。


李空や七菜を含めた壱ノ国代表一行は、朝早くに事務所に集合した後、例のごとく美波の『ウォードライビング』によって、ここ央までやって来たのだった。


「七菜ちゃん。酔ったりしませんでしたか?」

「はい。大丈夫です」


美波の問いかけに、七菜が笑顔で答える。


美波の『ウォードライビング』によって生まれる光の球体は、少し特殊な揺れ方をするため、苦手な人は乗り物酔いをするのだ。


「そういえば、卓男くんはいないみたいですね」


『ウォードライビング』後はいつもグロッキーになっている卓男だが、今日は姿が見えない。


「そういえば昨日も見なかったな」と、京夜。

「確かに!りっくん、寮にはいるの?」と、真夏。

「いや、それがいないんだよ。一体どこで油売ってるんだろうな」と、李空。


3人の脳内に「心配」の2文字が一瞬よぎるが、今は目の前の試合の方が大切である。

卓男のことは速攻でリセットすることにした。


「みちる。なんやたくましくなった気がするな」

「さすが平吉!変化に気付くいい男え〜る!」

「修行の成果を見せつけるあ〜る!」


試合前の適度な緊張感をもって、平吉とみちるが会話を交わす。


「平ちゃん。あちきはどうでありんす?」

「なんや?架純もゴツくなったか?」

「もう!平ちゃんの阿呆!」


拗ねたようにそっぽを向く架純。


「新しい着物。ちとサイズが合ってへんように見えたんやけどな・・・」


平吉はポリポリと頬を掻きながらそんなことをぼやいていたが、架純の耳には届いていない様子だ。


「よし!時間も近づいてきたし、そろそろ『零ノ国』に向かうぞ!」


剛堂が呼びかけ、一行が門をくぐる。


試合の開始時刻はすぐそこだ。




壱ノ国代表一行が門をくぐり、さらに央から零ノ国へと移動を開始した頃。


央にて、怒号を飛ばす1人の女性の姿があった。


「なんで連絡がつかないのよ!!!」


『TEENAGE STRUGGLE』実況者のミトである。


怒りの理由であるが、試合開始時刻が近づいているというのに、解説者のオクターと連絡が取れないのだ。

毎度のことといえばそれまでなのだが、サボりの連絡さえないのは初である。


99の怒りと1の心配を胸に、ミトは央の街を奔走していた。

その目的とは、卓男を探すことである。


オクターが来ないとなれば、卓男に解説を頼むしかない。


今日の試合は壱ノ国戦。

つまり、卓男も央に来ているはずなのだ。


しかし、なかなかその姿を見つけることができず、ついに壱ノ国へと通じる門の前までやって来た。


「もしかして、今日は来てないの・・」


膝に手をつき、絶望を顔に浮かべるミト。


選手や観戦者からすれば、解説者の有無など些細なことかもしれないが、ミトのプロ意識はそれを許さないのだった。


「み、ミト殿・・・」


微かに聞こえた声に、ミトがパッと顔をあげる。


「卓男さん!?」


そこにいたのは、ひどくやつれた卓男本人であった。


「どうしたんですか!一体何が?」

「なにも、何もなかったでござる・・・」


ふらふらとよろめきながら、央の門をくぐる卓男。


果たして、彼の身に何があったのか。


それを語るため、時は3日ほど遡る。




───七菜の誕生日と同日。


「ここが会場でござるかあ!」


卓男は、一部のオタクの間で爆発的人気を誇るアニメ。『2。振り出しに戻るスゴロク生活』通称『2スロ』のイベントにやって来ていた。


その人気はどうやら本物らしく、深夜アニメの単独イベントにしては随分と広い会場である。


「『エンドレススゴロク』の受付はこちらで〜す!」


コスプレ姿の女性がマイクで呼びかけ、蟻が砂糖に群がるように、オタクたちがぞろぞろと集まる。

卓男もその中に混ざり、列に並んだ。


環境が変化させたのか、それとも運命で決まっていたのか。

列に並ぶオタクたちは、皆似たような顔をしている。


「それでは、今回の目玉イベント『エンドレススゴロク』の説明を行いますね!」


受付時間が終了し、コスプレ姿の女性による説明が始まった。

その後ろには、人がコマとしてプレイできるほどの大きさを誇る、双六マップが広がっていた。


「みなさんには、こちらのマップで双六をプレイしてもらいます。今回は原作に忠実に従い、約半分のマスが『振り出しに戻る』の鬼畜マップを採用しています!」


なろほど、後ろにあるそのマップには、真っ赤な文字で『振り出しに戻る』と書かれたマスがいくつもあった。


「さらに、今回使用するサイコロは、五面が『2』残る一面は『1』の、劇場版仕様となっています!」


コスプレ姿の女性が、これまた巨大なサイコロを掲げた。

どうやら人数分用意されているらしく、すぐ側には複数のサイコロが見えた。


「理論上はクリア可能となっていますが、テストプレイは行っていません。何時間かかるか分かりませんが、皆さん頑張ってください!」

「「「・・・・・」」」


アバウトすぎる説明に、オタクたちは押し黙る。


「あっ、一つ言い忘れていました。初めにクリアした方一名には、お好きなメインヒロインの声優に、希望の台詞を収録してもらえる権利を贈呈致します!」

「「「うぉー!!!!!」」」


思わぬ発表に、会場を割れんばかりの歓声が包んだ。

なんとも欲に忠実な反応。まさに、オタクの鑑である。


「一番になれば、リムちゃんからあんなことやこんなことを・・・」


卓男の顔が気持ち悪く歪む。


さらにその横にもうひとり。


「ぐへへ。ロムちゃんは僕の物だよ」


卓男と瓜二つの男が、これまた気色の悪い顔で、そんなことを呟いていた。


そんなこんなで始まった、『エンドレススゴロク』なるイベント。


これが地獄の始まりであることを、オタクたちはまだ知らなかった。



「また振り出し・・やってられるか!」


サイコロを地面に投げつけ、1人のオタクが会場を後にする。


さて、2スロのイベント『エンドレススゴロク』が始まってから、なんと既に丸二日が経過していた。

その間、多くのオタクは諦めて帰宅し、現在も会場にいるのは2人だけであった。


「やっと帰ったか。全く、計算もできないアホどもめ」


その内の1人が、姑息な笑みを浮かべて言い放つ。


この男の現在位置であるが、プラスマイナス0のスタートマスであった。

それは『振り出しに戻る』マスに止まった直後というわけではなく、彼は一度もサイコロを振っていないのだ。


「君も諦めたらどうだ。時間の無駄だぞ」


その男は、もう一人の男。

卓男その人に向けて、小馬鹿にするように言った。


このマップをゴールできる確率は相当低いことを、男は初めから理解していたのだ。

しかし、魅力的な景品をみすみす諦めるわけにもいかない。


そこで彼が考えたのは、競争する頭数を減らすことであった。


説明によると、クリアした一名にその権利は贈呈されるらしい。

条件はクリア。そのクリアがゴールのことであるとは、明言されていないのである。


つまり、残りの1人になれば不戦勝となり、クリア扱いとなる可能性がある。

いや、そうならなければ、上手いこと口先で言い包めれば良いだけの話だ。


そのためにも、もう1人の男。

卓男には諦めてもらう必要があった。


「おーい。話聞いてるのか?」


男が声を掛けるも返事はなく、卓男は黙々とサイコロを振り続けている。


「まあ、じきに帰るだろ」


時間の問題だと判断し、男はスタートマスで横になると、静かに目を閉じた。



「・・・・・はあ、よく寝た」


眠りから覚めた男は、最後のオタクが帰っていることを期待して、マップに目を向けた。


「なっ!」


そして、自分の目を疑った。

ラストオタクこと卓男が、なんとゴール一つ手前のマスに到達していたのだ。


「おい!あそこまで本当に進んだのか!?」


慌てた様子で、男がコスプレ姿の女性に詰め寄る。

ちなみに、女性は初日とは別の人物であった。


「はい。ちゃんと監視していましたが、不正はありませんでしたよ」

「ぐぬぬ。あそこで『2』が出たらどうなるんだ?」

「どうやら、ぴったり以外は『振り出しに戻る』そうです」

「ということは、ゴールする確率は6分の1か・・・」


そういうとゴールしてもおかしくない気もするが、そこまでいくのに積み重ねてきた分がある。

ここで「1」が出るなど、そんな都合の良い話はないはずだ。


「ござる!」


男がそんな思考を巡らせている間に、卓男はサイコロを振った。

コロコロと転がるサイコロを、男は目を見開き、固唾を呑んで見守る。


そのスピードは徐々に緩まり、もう一面変わるかどうかといった瀬戸際。

サイコロはまるで意思を持っているかのように踏みとどまり、一つの結果を導き出した。


「や、や、やったでござるううううう!!!!」


サイコロを振った本人である卓男が、歓喜に身を震わせる。


ピタッと止まったサイコロは、ゴールを意味する「1」を示していた。



「おい、お前!才を使っただろ!」


ずっとスタートマスに止まったままだった男は、現実を受け止めきれず卓男に詰め寄った。


「言いがかりはよすでござる。それにたとえ使っていたとしても、才の使用は禁止なんてルール、聞いてないでござるよ」


なるほど、いわれてみれば、クリアの明言がされていないように、才の使用の制限についても説明はなかった。


「そっちの狙いは、残り1人になってからの不戦勝でござろう?ルールの穴を突こうとしていたのは、そっちでござる」

「ぐっ・・」


ぐうの音も出ないとはこのことである。


「それに、才の使用がダメなら、反則はそっちでござるよ」

「・・・なんのことだ」

「才の能力で、どこかに出掛けていたであろう?」

「なんでそれを!?」


気づかれていないとの自負があったのだろう、男は目を丸くして驚いている。


男は自分の才を『ROM』と呼んでおり、自分そのものを複製することができる。

しかし、架純のそれとは違い、身動き一つできない代物だ。


男はイベントの序盤を複製に任せ、本人は別の場所にいた。

そのことを悟られないためにも、スタートマスから一歩も動かないという選択肢をとったのだった。


複製は動けないながらも、周囲の状況を読むことはできるため、オタクの数が減ってきた頃を見計らって、本人と入れ変わったというわけだ。


ちなみに『ROM』とは、Read Only Memoryの略である。

その語感から、男はこの名前をいたく気に入っていた。


「マニアの観察力を舐めてもらっては困るでござる。リムちゃんに何と言ってもらうか悩むでござるな〜!」


勝利の美酒に酔っ払い、すっかり有頂天の卓男。

不恰好なスキップなど踏んで、小躍りしている。


「リムちゃんだと・・なんてもったいない・・」


そんな姿を見て、思わずポツリと漏れた男の呟き。


「・・・今なんと言ったでござる?」


その言葉に、卓男は冷たい怒りを滲ませ、男をギロリと睨んだ。


卓男の妙な迫力に、男がぶるりと身を震わせる。


「・・・なるほど。そっちはロムちゃん推しでござったか」


男が着ている服には、リムちゃんとは髪の色が違う、姉妹設定のロムちゃんがプリントされていた。


「確かにロムちゃんは可愛いし、人気もトップクラスでござる。それに比べ、登場が少ないせいか、リムちゃんは正直人気があんまり無いでござる」


まるで自分のことのように嘆く卓男。


「でも、ロムちゃんの人気は、リムちゃんの地道な努力と諦めない精神のうえにあるんでござるよ!だから拙者も諦めずにサイコロを振ったんでござる!」


何やら早口で捲し立てる卓男に、男は嫌悪を覚えた。

これが俗に言う、同族嫌悪というものだろう。


男が呆れたように溜息を溢す。


「もういいよ。まったく時間の無駄だった。このイライラはミトのやつにぶつけてやる・・」

「な?今、ミトと言ったでござるか?」


ひどい興奮状態にあった卓男は、聞き慣れた人名によって、もとの人見知りゆえの興奮状態に戻った。


「そうだよ。僕はサイストラグルの解説の仕事をしてるんだ。そこで一緒になる実況者のミトってのに、八つ当たりしてやろうって話さ」


そう、この男こそ、何かと理由をつけて現場に来ないで有名な、オクターであった。


といっても、何の偶然か、現場に来ないのは壱ノ国戦の時だけで、それ以外は曲がりなりに仕事を全うしていた。


『ROM』によってこの会場を一時離れたのも、央にて『TEENAGE STRUGGLE』第九試合の解説を行っていたためだ。


「・・・んな」

「え?」

「ふざけんな!」


気づくと、卓男はオクターに殴りかかっていた。

そのまま地面に倒れたオクターに向けて、卓男は強い口調で言いつける。


「ミトさんは、リムちゃんのようにコツコツと努力を重ねて、今の場所まで来たんだ!お前みたいな奴のストレスの捌け口にしていい女性じゃないんだよ!二度と彼女に近づくな!!」


卓男の言葉が耳に届いているのかいないのか。オクターは倒れたままだ。

衝撃に慣れていないのであろう。どうやら気絶してしまったようである。


「・・・やっちゃったでござる」


倒れるオクターを見下ろして、すっかり酔いの醒めた卓男は呟いた。


そして、冷静さを取り戻した脳がある事実を思い出させる。

今日は壱ノ国が出場する『TEENAGE STRUGGLE』の、第十試合が行われる日なのだ。


オクターがこの状態であれば、代わりに自分が解説の任を負わねばならない。


「はあ、これだからオタクってやつは・・・」


オクターを指しての言葉なのか、後先考えず動いてしまった自分を自嘲する言葉なのか。

そんな捨て台詞を残して、自称マニアは会場を去った。


三日三晩サイコロを振り続けた重たい身体を引きずって。


卓男は央を目指し、歩き出したのだった。




───時は戻り『央』。


「何も話してはくれないんですね・・・」


ミトは悲しそうに呟いた。


ふらふらの卓男を連れて、2人は放送ブースまでやって来ていた。

ミトは休むように勧めたのだが、卓男はそれを頑なに拒んだのだ。


ミトが理由を尋ねるも、卓男は黙秘を続けていた。

ミトを悪意から守ったなどと表現すれば聞こえは良いが、その実、妙なイベントで体を壊し、その延長でオクターを気絶させてしまったなど、口が裂けても言えなかった。


卓男にもプライドというものが少なからずあるのだ。


「理由を聞かず、解説の役を務めさせて欲しいでござる」

「それはこっちも願ったり叶ったりの話だけど、身体は大丈夫なんですか?」

「大丈夫、徹夜は慣れっこでござる」

「それじゃあ、お願いします」


目の下にできた隈が不安を煽るが、ほかに代替案もないため、ミトは卓男の申し出を受け入れた。


「これでいい・・。正直者の努力家が馬鹿を見る世界なんて、拙者が許さないでござる」

「何か言いました?」

「いいや、リムちゃんは正義って話でござるよ」

「はあ、そうですか」


いまいち納得がいかないといった様子であったが、時間も迫ってきているため、ミトは放送の準備に取り掛かった。




一方、その頃。


壱ノ国代表一行は、零ノ国にて試合会場を目指していた。


「みなさんこちらが『サイワープ』です」


零ノ国の案内人であるコーヤが、一行に向けて呼びかける。

その先にあったのは、禍々しい色を放つ、正方形のパネルのようなものであった。


「今回の会場は少し遠いので、この『サイワープ』をいくつか経由して向かいたいと思います」


『サイワープ』とは、『サイノメ』や『サイカクセイキ』などに続く、サイアイテムの一つである。

移動系の才の能力が付与されており、対となる『サイワープ』がある場所まで、文字通りワープができる代物だ。


「一発でワープできないの?」と、真夏。

「すみません。距離などの制限があったり、後から造られた会場などもあって、迷路みたいになってるんですよ」


コーヤが申し訳なさそうに説明する。


「迷うと大変なことになるので、しっかりとついて来て下さいね」

「だとよ。真夏分かったか」

「なんで私にだけ言うの!」


李空の子どもに注意するような物言いに、真夏は頬を膨らませて抗議する。


それからコーヤが先陣を切り、試合会場を目指して、一行はワープを開始した。



「うわあ!何これ!」


その途中で視界に飛び込んできた光景に、真夏は感嘆の声をあげた。


なるほど、確かにそこには明らかに雰囲気の違うものがあった。

非常に精巧でいて巨大な人型の像が、ひっそりとそれでいて存在感を主張して、広場の隅に佇んでいたのだ。


「これは『真ノ王像』と呼ばれている像ですね。詳しいことは一切解っていませんが、本物の王を表していると言われています」


軽く説明を入れるコーヤ。


その言葉をうっすらと聞きながら、李空は像から目を離せないでいた。

一級品には魂が宿るなどと言われるが、この像からは憎悪のようなオーラが漂っているように感じられたのだ。


「あそこにはなんて書いてるの?」


と、真夏が一方を指差して尋ねる。


そこには、なにやら見慣れない文字が書かれた石版があった。


「それが、どうやら随分と前に書かれたものみたいで、どこの国の言葉かも分からず、誰も読めないでいるんですよ」


これまた申し訳なさそうに、コーヤが語る。


その横を通り、1人の少女が石版に触れた。

透灰七菜である。


「『真ノ王トハ全テヲ零ニ均ス存在デアル』」

「え?もしかして読めるんですか!?」


石版の内容を読んでいるように語る七菜に、コーヤは驚嘆した。


「はい。はっきり読める部分は少しだけですが・・。続き、読みますね」


石版に手を置いたまま、七菜は続けた。


「『負ト正ガ交ワル時。世界ハ完全ナ状態ヘト生マレ変ワルダロウ』と、書かれてます」

「負と正が交わる・・・」


コーヤを含め、一行は揃って頭を抱えるが、情報が少なすぎるため答えが出ることはなかった。


「今は試合の方が優先だ。このことは後で考えよう」

「そうやな」

「はい。案内しますね」


剛堂と平吉が動き出したことで、コーヤは案内を再開した。


「・・・・・」

「りっくん?」


李空は何故かその像が無性に気になったが、剛堂の言う通り、今は試合の方が大切だ。


不思議な感覚に後ろ髪を引かれながらも、李空は一行と共に会場へと向かった。

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