番外編 精一杯のオモイを包んで

「六花。奏、どうしちゃったの?」


 教室に入ってきたばかりの蘭でさえ気付くほどの異変を放つ今日の奏ちゃんの謎は、一足先に登校していたあたしも真美ちゃんも解き明かせないでいた。


「分かんない。あれだけ落ち込んでいるってことは誠と何かあったのかもしれないけど、聞ける雰囲気じゃなくて」


「そうね。世界の終わりみたいな顔してるわ」


 蘭があたしの後ろの席の真美ちゃんを見るが、真美ちゃんも少し肩を上げるだけだ。




 昨日の夜、まこちゃんから「明日話をしたい」というメッセージが来た。クラスは同じだし、一緒に帰ることも多いからどこか奇妙なメッセージだ。後ろめたさも真剣さも感じるメッセージをもらって、あたしは最悪の結果を思いついてしまった。そうではないことを祈るばかりだが、一度こびりついた考えはなかなかどこにも行ってくれない。


 あたしとまこちゃんがずっと付き合ってられる保証なんてどこにもないことは分かっている。ましてやライバルは真美ちゃんや六花ちゃんだ。


「……儚い」




「ちょっと、何か呟いたわよ」


「何て言ったかは分からないけれど、より絶望が深まったようね」


 真美ちゃんもあたしと蘭に加わって奏ちゃんを遠くから見守っていると、誠が教室に入ってきた。憂鬱の犯人であろう誠をすぐにあたしたちの席に呼ぶ。


「誠、奏ちゃんと何があったの?」


「ん? 何も変わったことはないぞ」


「けど夏野さんの感情をあそこまで揺らすのは冬風君くらいでしょう。見ていられないから解決してきて」


「俺は何を……。まさかあいつ……」


 誠はどこか戸惑いながら奏ちゃんの席に行き、一緒に教室を出た。私たちにできることは無事に問題が解決するのを祈ることだけだ。




「夏野、昨日言ってた話なんだが……」


「……ちょっと待って。心の準備が……」


 適当に二人きりになれる場所に夏野を連れ出し、話を切り出す。


「心の準備なんていら……」


「わー! 聞きたくない!」


「誕生日に何が欲しいかってことだけだ!」


 一人でパニックになっている夏野を制して言いたいことを言い切る。メッセージのやり取りでは長くなりそうだったので直接話したかっただけだが、どうやら夏野は良からぬ方向の勘違いをしてしまっていたらしい。


「へ?」


「もうすぐ夏野の誕生日だろ。プレゼントに何が欲しいかを聞きたかっただけだ。誤解を招いて申し訳ないが、いきなり夏野が考えているようなことになるわけないだろ。流石に俺はそこまで非道じゃない」


「…………良かったぁ」


 夏野は力が抜けたように抱きついてきた。


「まこちゃんに別れようって言われたらどうしようって昨日からずっと不安だった……」


「ちゃんと要件を言うべきだったな。ごめん」


「……あたしもごめん。まこちゃんにちゃんと聞けば良かった」


「本当に俺たちは一筋縄じゃいかないな。誕生日プレゼントを聞く過程で別れ話になったら本末転倒だ」


「……だね。まぁ、まこちゃんのせい……」


「さっきまでお互いが悪いって空気だっただろ。……で、何が欲しい?」


「……何でもいい。まこちゃんが隣にいてくれるなら」


「何でもが分からないから聞いてるんだが」


「あたしは彼氏のセンスを信じる可愛い彼女です」


 夏野は俺の制服に顔を埋めたまま話し続け、俺はもう本来の目的は諦めて、拗ねさせてしまった彼女をそっと抱きしめた。




「政宗さん、そういえば昨日、誠さんに奏さんの誕生日プレゼントには何がいいか聞かれました」


「へぇー。誠が人に相談なんて珍しい。よっぽど悩んでるんだね」


 私と政宗さんは付き合い始めてから、どちらかに用事がない限り一緒に登校するようになっていた。家は近いのでお互い無理なく一緒にいる時間が増えるのは嬉しい。これまで散々同じ時を過ごしてきたけど、だからこそ今になってそれが愛おしい。


「それで、咲良は何て答えたんだい?」


「誠さんが選ぶものなら何でも奏さんは嬉しいと思うって答えました。あとはお金では買えないけど、誠さんがあげることができるものとか。せっかく相談してくださったのに抽象的過ぎたでしょうか?」


「それでいいと思うよ。答えなんて一つじゃないんだから誠は精一杯悩めばいいさ」


「自分に相談が来なかったことに拗ねてます?」


「全然。奏への誕生日プレゼントだから僕や大地に相談するより、女子に相談する方がいいだろう。色々ある手前上、真美や戦国君には聞きづらいし、空に相談するとからかわれることが目に見えてる。咲良が唯一頼れる存在だったんだろう」


 早口で合理的な理由を作り出すが、これは確実に拗ねている。政宗さんは誠さんから何て言われようと、誠さんのことが大好きなのだ。


「奏には誠から何をもらったのか聞かないといけないね。さぞ素晴らしいプレゼントを誠は思いつくはずだから」


 このことで誠さんをからかってまた楽しそうに政宗さんは笑うのだろう。


「ほどほどにしておかないと誠さん、いつか爆発しますよ」


「それも見てみたいね」


 いつまでも政宗さんと誠さんの関係は変わらないのだろう。




「あー、やっぱり冬風のせいだったんじゃない」


 教室に帰ってきた奏ちゃんの顔を見て、蘭はやれやれと言って自分の席に戻った。


「思いも気持ちもしっかり言葉にしないと伝わらないわね。相手が聡くないならなおさら」


「真美ちゃん、それって誠のこと? 奏ちゃんのこと?」


「私たちみんなのこと」


 そう言って真美ちゃんは笑った。




「まこちゃん、お母さんもお父さんも仕事で気を遣って出かけてくれたから緊張しなくていいよ」


「気を遣ってって……。申し訳ないな」


「いいのいいの! ほら、早く入って!」


 夏野の誕生日。ちょうど休日だったので俺は夏野の自宅に来ていた。そして夏野に案内されるまま夏野の部屋に入る。


「……夏野、誕生日おめでとう。……引っ張ってもしょうがないからもう渡すよ。これがプレゼントだ」


 俺は夏野にラッピングしてきたプレゼントを渡す。


「ありがとう! ここで開けてもいい?」


「ああ。……がっかりしたら悪いな」


「もー、まこちゃんはすぐにそんなことを言う! わ! アルバム!」


「……結局何がいいのかかなり悩んだ。俺にあげられるものは何かっていうのも難しかったし。……だから俺はこれから先の時間を、気持ちを、思い出をあげるよ。その分厚いアルバムに入りきらないくらい、夏野と楽しい時間も、辛い時間も過ごして、嫌ってなるほど隣にいて、大切にする。これが俺が思いついた精一杯のプレゼントだ」


「付き合って最初の誕生日プレゼントにしては重くない?」


「いらないならいいよ。けど返品は受け付けない」


 夏野がアルバムを抱きしめながら微笑む。その眼は少しだけ濡れている。


「頼まれても返してなんてあげない! あたしにはもったいないくらい大切で、嬉しいプレゼントだもん! まこちゃん、ありがとう! 大好き!」


 本当に返品されたらどうしようと思ったが、取り敢えず今年は成功だ。夏野が言った通り、初めてでこれなら来年以降が不安だが。


「あれ、この写真。まこちゃんとあたしが小学生の時の写真? どうしてこれが……」


 夏野がアルバムの一ページ目を開いて呟く。


「俺も覚えてなかったが、俺と夏野が公園で遊んでいた時、何かの用事でお袋が俺を迎えに来て、その時に写真を撮ったらしい。お袋が昔の荷物を整理していたらその写真が出てきたんだ。最もお袋は夏野がその写真の女の子ってことを初めて見た時から分かっていたらしいが」


「そうなんだ……。まさかあの時の思い出まであるなんて。嬉しいね! まこちゃん!」


「……そうだな。どれだけそこに嘘があっても、俺と夏野の大切な思い出だと感じたよ」


「あれ、何か紙が……。『何でも言うこと聞く券』? まこちゃん、こんなものまでくれるの?」


 夏野がラッピングの中から子どもがよく作るような肩たたき券的な紙を見つけて笑った。


「アルバムだけだとどうかなって思ったから……。一回までだぞ」


「何でもいいの?」


「一応……。嘘はつきたくない」


「じゃあ、あたしやりたいことあったんだ!」


 俺はこの日から『何でも』という言葉を二度と使わないと誓った。






 奏さんの誕生日からちょうど一週間が過ぎた日の生徒会室には全生徒会のメンバーが勢ぞろいしていた。生徒会が参加した休日のボランティア活動を手伝ってくれていたのだ。


「奏、そういえば誠から誕生日プレゼントは何をもらったんだい?」


 誠さんがお手洗いに言った瞬間、政宗さんが奏さんに尋ねた。


「まこちゃんからは『何でも言うこと聞く券』をもらったよ!」


「へぇー、誠くんも可愛いことするのね。もう何かお願いしたの?」


「うん! これをお願いしたよ!」


 奏さんがスマホを操作して画面を私たちに見せてくれた。そしてその瞬間、生徒会室の時は止まった。




 トイレから生徒会室に向かっているとやけに生徒会室から笑い声が響いていることに気付いた。何かよほど面白いことがあったのだろうか。


「何があったんだ?」


 生徒会室に入った瞬間、みんなの視線が不自然に集まったのを感じた。


「ははは、お帰り。冬風まこちゃん」


 秋城が笑いを堪えながら言った言葉で全てを理解した。夏野があの写真を見せたに違いない。


「誠君! 誠君って女装、かなり似合うのね! あはははは! 最高!」


 星宮は堪える努力をすることもなく爆笑している。月見と春雨の後輩コンビは流石に爆笑するのは悪いと思っているのか口を押さえているが、笑いは抑えられていない。


「こうやって見てみると美玖さんのお兄さんね。沙織さんの面影もあるわ。何より……ふふ。あなた自身、美人だわ。ふふふ」


 霜雪も普段見せないほど口を緩めて笑う。


「……夏野、写真は絶対に誰にも見せるなって言っただろ!」


「あれはみんなに見せろっていうフリだと……」


「なわけあるか!」


 ここで夏野に何を言おうがもう時すでに遅しだ。


「夏野がメイクさせて欲しいって言ったからその頼みを聞いた! カツラはハロウィンで使ったやつがあったからそれを被った! 意外と女装が似合って何が悪い!」


「開き直り! あははははは!」


 星宮の笑い声が一際大きく生徒会室に響き渡るなか、朝市先生と小夜先生が生徒会室にやってきてさらに混沌を極めた。




「まこちゃん、みんなに話してごめんね。アルバムよりもこっちのことの方がダメージが少ないかと……」


 次の日、あたしとまこちゃんは一緒に下校していた。


「どっちも致命傷だ。まぁ、いい。秋城と星宮にはいずれ色々復習するつもりだったが、その理由が一つ増えただけだ。ただ……今度は俺の誕生日が来るからな。その時は覚悟しとけよ。俺のプレゼントに釣り合うものじゃないと受け取らないからな」


 夏野が突然、歩くのをやめた。


「あたしのこれから先、全部あげるよ。好きも、大好きも、愛してるも、全部。思い出の隣には必ずいて、何もかもを満たしてみせる。まこちゃんがうんざりしてもあたしは冷めない熱でいるよ」


「重いな」


「お互いにね」


「まぁ、それだけじゃ足りないからな」


「えー! あたしも『何でも言うこと聞く券』なきゃ駄目?」


「駄目だ。今から楽しみだな」


「まこちゃんの変態!」


「夏野が先にやったんだろ!」


 自分の全てをあげることができるほどの相手に出会い、その相手から全てをもらう。きっとそれも恋の一つだ。

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