番外編 冷たさを涼しさに、暗い夜を輝く朝に

「えぇぇぇぇぇぇぇ!! 結婚⁉」


「紅葉先輩、どこから声出してるんですか」


「……そう。小夜さん、朝市君、おめでとう」


「待って! 待って! あたしは認めないよ!」


「なんで紅葉先輩が認めないんですか……」


 四季祭が終わり少し経ち、俺と涼香は婚約したことを居酒屋で午刻先生と紅葉先輩に報告していた。


「結婚ってことは涼香ちゃんと輝彦君が結婚するってことだよね?」


「紅葉先輩、言ってることがおかしいですよ。早く冷静になってください。お酒もまだそんなに飲んでないでしょう」


「裏切りだー! 二人はまだまだじれったくイチャイチャしてるだけだと思ってたのにー! 政宗もいつの間にか咲良ちゃんと付き合いだして、羨ましいくらい微笑ましいのにー! どうしてあたしは見守るばっかりなのー!」


「秋城と春雨のことは俺らに言われてもどうしようもないですよ」


「秋城さん、二人の話をもっと聞きましょう。反対するのはそれからでも遅くないわ」


「私たちの結婚、紅葉先輩に反対されるんですか……」


 午刻先生の言葉に涼香が笑いながら、お酒を一口飲む。


「むー、じゃあたくさん聞かせて。プロポーズはどっちから?」


 今日は色々と話すことになるだろう。冬風たちの恋愛を見て面倒くさいことをしてるなと思っていたが、俺と涼香のこれまでも大概だ。だが、面倒くさくない恋なんてこの世にないんだろう。それが分かったのはやっと俺が大人になれたってことか。


「恥ずかしながらプロポーズというプロポーズはまだです。ただ気持ちを伝えたのは四季祭の最終日が終わった夜」


「輝彦からその言葉を聞いた時のことは鮮明に思い出せます。涼しい夜でした」







 四季祭が終わり、教員たちの打ち上げも終わり、明日は休日なので俺は涼香の家に泊まるために夜道を共にしていた。


「今年も終わったわね。一年の中で一番四季祭が気を張るわ」


「そうだな。春雨と月見はよく頑張ってくれた。もしかすると秋城と星宮を超えるかもな」


「そうね。というか秋城君と春雨さん、星宮さんと月見君が付き合ってたの知ってた?」


「やっぱりそうなのか。会長選挙が終わったあたりから怪しいとは思ってたんだよな。まぁ、遅かれ早かれこうなるとは分かってたし、なんら驚きじゃないな。俺としては冬風たちの方が気になる。……結局どうなったんだろうな」


「さぁ? 思えば冬風君たちが生徒会に入ってから長いようで短かった。短いようで長かったわね」


「……そうだな。ずっと悩んで、傷付け合ったりしただろうが、これで一区切りか。どんな結果だとしてもあいつらなら心配ないな」


「ええ」


 今日は月が明るい夜だ。自然と俺と涼香はお互いの手を握る。


「あいつらを見てるとやけに高校時代を思い出して困る」


「今だからこそ分かるけど、本当にお互い子どもだったわね」


「ああ。あいつらに涼香は最初の頃の霜雪にそっくりだったって言っても信じないだろうな」


「あなたこそ冬風君と重なるものがあったんじゃない? けど私たちもあの子たちも少しずつ大人になっていった。……これからもそうだといいわね」


「……なら結婚するか」


「……いいわね」








「えぇぇぇぇぇぇ!!! それがプロポーズ⁉ なら結婚するかって何⁉ どこからそのならは繋がってきたのー⁉」


「紅葉先輩、輝彦にロマンチックなことを期待しても無駄ですよ」


「素敵なプロポーズじゃない。いかにも朝市君っぽいし、小夜さんもそれが嬉しかったのでしょう?」


「……ええ。私たちらしい状況、タイミングだったと思います」


「ううー、あんなに喧嘩ばっかりで子どもぽっかった二人がこんなに大人になるなんてー」


「結婚式はどうするの?」


「かなりタイトなスケジュールになりますが、来年の三月に挙げようと思います」


「ご両親はどんな反応だった?」


「喜んでましたよ。幼馴染ってことでお互いの家族のことはよく知ってますしね」


「そう。本当におめでとう。秋城さん、高校生の時からの恋が最高の形に繋がっているのよ。本当に嬉しくないの?」


「そんなわけないじゃないですかー。政宗と咲良ちゃんが付き合ったことと同じくらい嬉しいです……」


「数年に一度あるかどうかくらいの嬉しさってことね」


「はい。……ただ少し寂しいかなーって。二人はあたしの弟と妹みたいな感じだったのに、いつの間にかこんなに大人になってるなんて」


「一歳差の先輩が言う台詞じゃないですよ。俺たちが子どもっぽかったのもありますが、紅葉先輩と午刻先生が大人過ぎたんです」


「ええ。私たちが二年生の時の生徒会の夏合宿。私と輝彦が大喧嘩した時の紅葉先輩と午刻先生の導きはいつまで経ってもできるものじゃないと思い知らされました」







「私たちは出会わなければよかったのよ! あなたと出会わなければこんな思いをすることもなかった! あなたと同じ時間を過ごすのは心地いい。……だからこそ余計に辛い。私はあなたと一緒にいられるような人間じゃないの……。こんな私よりもっと素敵な人があなたには……」


 涼香のこの言葉を聞いたのは二年生の夏合宿の前日だった。俺はそんな涼香に何も言えなかった。自分が原因なら改善ができる。ただ涼香が自分を否定するならどうすればいい? 考えても結論はでない。


 今日は合宿の二日目、涼香は食事の時以外は一切部屋から出てこない。こんな状況を作った俺も知らんぷりで合宿を楽しむことなんてできない。先輩や他の同級生には申し訳ないな。落ち着いたらちゃんと謝ろう。


 紅葉先輩が手配してくれたコテージの部屋で、俺も一人考える。涼香は生徒会に必要な人材だ。紅葉先輩が引退すれば涼香が会長になるだろう。その生徒会に俺はいらない。涼香の隣には……俺はいない。


 くそ、なんで涙が出てくる。これが俺たちにとって最良の選択だろ。涼香を傷付けたくない。俺は涼香のことが好きなんだ……。


 ドアがノックされる。同じ部屋を使っている先輩か?


「どうぞ」


 服で涙をふく。部屋に入ってきたのは午刻先生だった。


「先生……。どうしてここに?」


「どうしてって、朝市君と話そうと思ってね。私はあなたの教師よ。何かあれば力になる」




 ドアがノックされた。誰だろう?


「涼香ちゃん、入るよ」


 ノックの正体は紅葉先輩だった。


「……どうしてここに?」


「いやー、あたしってお節介じゃん? だからいつもの如く涼香ちゃんに余計なことを言おうと思ってね。ただ今回はいつもみたいにあしらって欲しくない。涼香ちゃん、あたしは絶対に目の前で大切な存在を失わせたりはしない」


 これまで見たことのない表情を紅葉先輩はしている。この人なら真っ暗な私を救ってくれるのだろうか。




「朝市君、どうしてあなたは小夜さんと話そうとしないの? いつまでも部屋に閉じこもって一人で色々と考えていても決して解決はしない」


「自分が否定されてるなら諦めもついたかもしれないし、逆に諦められなかったのかもしれません。ただ今回は涼香が自分を否定してしまった。俺は……俺は一体どうすればいいです?」


 普段ならたとえ午刻先生や紅葉先輩だとしても自分のこんな姿は見せない。ただ今回は俺だけではどうしようもない。


「どうすればいいって、簡単よ。あなたが小夜さんを否定するの」


「……否定?」


「ええ。小夜さんが思う小夜さんと、朝市君が思う小夜さんは全く違うはず。ならあなたが小夜さんを否定するの。自分が小夜さんに何を想って、何を感じるのかを伝える。真実を小夜さんに見せるのよ」


「けど……」


「傷付けてしまうことになる? それは避けては通れない。それほど朝市君と小夜さんは関わってるの。そんなあなただからこそ、小夜さんを救い出せるはず。本当に小夜さんが大切なら諦めないで。わがままを突き通せばいいのよ。まだまだあなたたちは子どもなんだから」


 午刻先生が全てを包み込むような笑みを浮かべる。


 そうだ。本当に涼香が好きなら簡単に諦めるなんて馬鹿だ。どうせこのまま離れてしまうのなら、涼香には悪いがもう一度傷付けてしまうことになっても、自分の気持ちを伝えたい。




「涼香ちゃん、どうして自分が輝彦君に相応しくないなんて思うの?」


「私は輝彦をこれまで何回も傷付けてきました。言いたいことも、言いたくないことも全部伝えて、傷付けた。輝彦はいつだって私に優しく接してくれていたのに、私は輝彦に返すものがないばかりか、奪うばかりです」


「けど輝彦君も涼香ちゃんを傷付けることはあったでしょ?」


「……はい。けどそれは全部私が原因なんです」


「そんなことはないよ。喧嘩は片方が悪いんじゃない。両方が原因なの。けどね、私は今まで輝彦君に傷付けられたことなんてないし、きっと涼香ちゃんと同じ言動をしても輝彦君と喧嘩になることはないよ。どうしてだと思う?」


「……分かりません」


「それは輝彦君と深く関わっているのは涼香ちゃんだけだから。傷付け合うのはお互いが大切な存在だからだよ。涼香ちゃんは輝彦君を傷付けたくないって思ってるんだろうけど、そんなのは無理。もう二人はその段階を超えてる。そして涼香ちゃんは輝彦君を諦めたいけど、諦められないはず。自分の中の真実を見つめてみて。輝彦君とこれからどうしたい?」


 そんなの決まってる。できるならずっと一緒にいたい。けど……。


「私なんかじゃ……」


 紅葉先輩が私を優しく抱きしめた。


「あたしができるのはここまでだね。涼香ちゃん、これから輝彦君と話してみて。きっと輝彦君は涼香ちゃんをその暗くて冷たい夜から救い出してくれるはず。ね、先輩のお願いを聞いてよ」


「……はい」


 どうしてだろう。涙が止まらない。


「最後にもう一つだけ。本当に大切な人とは傷付けたくないと思っていても、一番傷付けてしまう人。そして……」




 午刻先生と話した後、涼香に連絡して、俺が涼香の部屋に行くことになった。覚悟を決めて部屋の中に入る。


「涼香……」


「輝彦……」


 なんとなく二人で同じベッドに座る。俺は俺が言いたいことを言うだけだ。たとえ涼香がそれを否定しようとも。


「涼香、俺はお前のことが好きだ」


「……私も。けど一緒にいれば私はあなたを傷付けてしまう」


「そんなの今更だろ。俺がこれまで涼香にどれほどの罵詈雑言を浴びせられてきたと思ってるんだ」


「罵詈雑言って……」


「だから思ったんだ。これまで散々、俺がやられてきたんだ。なら俺が涼香を傷付けることも仕方ないんじゃないかってな。まぁ、最低な発言なのは分かってるさ。ただ俺にデリカシーがないのは涼香が一番分かってるよな。一番俺のことを分かってるのは涼香だ……」


「これまで私たちは何度も喧嘩した。一緒にいればきっとこれからもずっと続く。私は優しい人間じゃないし、輝彦ほど心が温かくない」


「知ってるよ。涼香のことを一番分かってるは俺だからな。……涼香は自分の心を冷たいって思ってるかもしれない。なら俺がその心を温かくとまではいかなくても、涼しいくらいにはしてやる」


「涼しい心ってなによ」


「冷たいよりはましだろ。涼しいなら一緒にいて心地良い」


 涼香を抱きしめる。力は強すぎないだろうか? 弱すぎないだろうか? ちゃんと気持ちを伝えられているだろうか?


 後ろから涼香の静かな泣き声が聞こえる。


「どうしてあなたはそんなに優しくしてくれるの……。私は……私は輝彦に釣り合うような可愛い女の子じゃないのに……」


「そんな涼香を好きになったからだし、涼香が思ってるほど俺の他者からの評価は低い。それに可愛い女の子じゃないって? それ他の女子が聞いたら嫌味だと思われるから言わない方が良いぞ」


「……馬鹿」


「傷付くな。俺も言いたいことを言っていいか?」


 その後はお互いに小学生のように言い合った。馬鹿って言った方が馬鹿だの、高校生が言い合うことじゃないのは分かってる。ただこれが俺たちだ。喧嘩して、傷付けて、仲直りして、また喧嘩して……。それを繰り返して関係を深める。俺たちは本当に超えるところを超えちまったな。


 お互いに満足するまで言い終わる頃には涙で前が見えなくなっていた。どうせ涼香も同じくらい泣いてるのだろう。


「輝彦、あなたがいたから私の世界は鮮やかになった」


「俺もだ。どうやら俺たちはお互いに必要な存在らしいな。傷付け合っても、目の前には色んな楽しいことや嬉しいことが待ってる。忘れそうになるが、今も合宿の途中だ」


「そうね。先輩たちに謝って、早く後れを取り戻しましょう」


「ああ」


 部屋を出ようとした瞬間、涼香に手を引かれ、そのまま唇が重なった。


「……私、性格が悪いの。乙女の唇を奪った責任は取ってくれるわよね?」


「性格が悪いだと? 最悪の間違いだろ。……ゆっくり待ってろよ。どこにも逃げないさ」







「なーんて、普通に話し合えば済む問題を二人とも部屋に閉じこもってグズグズしてたのにー! 乙女か!」


「輝彦はともかく、私はれっきとした乙女でしたよ」


「ふふ、懐かしいわね。あの頃は二人が教師になるなんて思ってなかったわ」


「それにあたしや午刻先生みたいに生徒に接するなんてねー。本当によく育ったもんだ!」


「だから紅葉先輩はどんな立場なんですか……」


 料理を食べ終わり、そろそろ居酒屋を出ようかとなる。


「輝彦君、涼香ちゃん、色々言ったけど、本当に凄く嬉しい。おめでとう」


「ありがとうございます。俺たちがここまでこれたのは紅葉先輩と午刻先生のおかげです。感謝してもしきれません」


「そう何度も言われると恥ずかしいわね」


「あたしにはもっと言ってー!」


 会計を済ませ、午刻先生と紅葉先輩と別れる。二人にはこれからもお世話になる。俺たちの恩人だ。


 涼香と一緒に歩き、海が見える広場で酔いを醒ますために少し休憩する。


「楽しかったね」


「ああ、学生時代に戻ったようだった。……涼香、言いたいことがある」


「今更改まって何よ」


 俺はポケットの中から立方体のケースを取り出して、開いて涼香に差し出す。


「結局ロマンチックな状況じゃないが、やっぱりこれが俺だ。……俺と結婚してくれ。俺なら涼香を幸せにできる。これからの季節を重ねていくなかで、涼香の隣にいる権利を俺にくれ」


「婚約指輪、別にいらないって言ったじゃない。けど貰えるものは貰っておくわ」


 涼香が指輪を取り出して、左手の薬指にはめ、月明かりに照らす。その横顔は今まで見た中で一番綺麗だった。


「それと言いたいことが一つ。俺なら涼香を幸せにできる? 自惚れないでよ。幸せって二人で作っていくものでしょ。一人でどうこうしようなんてしないで。何のために一緒にいると思ってるの」


「……そうだな」


「……それに、そもそももう幸せだし。これまでも、今も、これからもね。あなたがいればそれが私の幸せ。だってあなたも私がいれば幸せでしょう?」


「俺も自惚れるなって言っていいか?」


「私に嘘をついても無駄よ。輝彦のことを一番分かってるのは私、あなたがそう言ったの」


「……だな。というか言ってることの切れ味、昔に戻ってないか?」


「思い出しちゃったからかしらね。けどこれが本当の私よ」


 涼香が悪戯っぽく笑う。


「これからも喧嘩が絶えなさそうだ」


「それだけ好きってことよ。察しなさい」


「無茶な」


 少しでも大人になったかなんて思った自分が馬鹿だったな。俺たちはまだまだ子どものままで、いつまでも青春を続けている。


「うっ……」


「どうしたの? 気持ち悪くなった?」


「合宿を思い出してたら紅葉先輩と涼香のカレーの記憶が蘇ってきた……」


「輝彦……。殴るわよ」


 明けない夜はないというが、それは本質的には違う。光り輝く朝が必ずやってくるということこそが、一日の営みなのだ。

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