第35話 春秋重ねし恋の結末、月を抱く星空は明けて~生徒会長選挙~⑦

 月曜日、推薦人と立候補者の演説、及び投開票日を迎えた。


 俺と夏野と霜雪は当日の司会と運営を任されており、生徒が続々と体育館に集まる中、俺はステージ裏にいるはずの秋城たちの所に向かった。


「生徒が揃い次第、始めるぞ」


「ああ、分かった。誠たち三人だけに任せてしまって申し訳ない」


「気にするな。いつもの集会と何ら変わらない」


 秋城と星宮はさすがに落ち着いているが、月見と春雨はやはり緊張でそわそわしている。


「月見、春雨。お前たちは俺があんなことを言っても最後までやることを決断した。それだけでも十分立派だ。あとはどんな自分を俺たちに、そして生徒に見せるかだ。楽しみにしてる」


「……はい。誠さん、私たちのためにあんなことを言わせてしまってごめんなさい」


「春雨が謝ることじゃない。……まだ二人とも悩んでるようだな。月見、演説の原稿を見せてくれ」


「あ、はい」


 月見から原稿を受け取る。秋城が書いただけあって、なかなかのものだな。


「この後はもうこの原稿を見るな。変に緊張するだけになる。まあ、本番の時は一応手元に置いておけよ」


 俺が月見に紙を渡すと月見はすぐに自分の胸ポケットにそれを収めた。


「はい、ありがとうございます」


「春雨、今日はちょっと音響の調子が悪いみたいだ。マイクがあるとはいってもいつもより大きな声で話す方がいい」


「わ、分かりました。頑張ります」


 伝えることは伝えたので、ステージ裏から出ようとすると、秋城に肩を掴まれた。


「誠、さっきの……」


「大丈夫だ。あいつらを信じろ」


 秋城が諦めたように笑う。


「分かった。僕と空は見届けるよ」


 もう引き返せない。月見、春雨、お前たちの覚悟と決意を見せてくれ。




「ただいまより次期生徒会長選挙、立候補者及びに推薦人演説を始めます。投票はこの後、教室に戻ってからしていただきます。開票結果は今日の帰りのショートホームルームで発表します。では推薦人演説から始めます。立候補者、月見大地君の推薦人、秋城政宗君、よろしくお願いします」


 夏野の進行に合わせて、秋城がステージの上のマイクの前に立つ。他の三人もステージの上に用意された椅子に座っている。


「おはようございます。月見大地の推薦人、秋城政宗です。…………」


 やはり秋城の演説は凄いな。生徒会が発足してすぐよりも、より洗練されている。そしてそれは星宮も同じだ。


 推薦人である二人の演説が終わり、立候補者演説に移る。




 これでいいのだろうか。戦国先輩と話した後、咲良と一緒に最後まで選挙をやり切ろうとは言ったものの、誠先輩や政宗先輩、そして空が俺に求めていることは分からないままだ。今から政宗先輩が用意してくれた原稿を読んで選挙活動は終わる。本当にそれでいいのか?


 奏先輩の進行に合わせて、椅子から立ち上がり、マイクの前まで向かう。駄目だ。どうすればいいのか分からない。結局、俺は自分から何もできずに、いつも誰かに頼りっぱなしだ。自分だけで行動して失敗するのを恐れているだけの臆病者だ。


 ただそれが分かっても今更どうしようもない。


どこか諦めるように政宗先輩が作ってくれた原稿を胸ポケットから出して演台に広げるが、それはこの数日で俺が読み込んだものではなかった。


 紙には演説の原稿の代わりに「やればできるなんて言わない。失敗は誰だって怖くて避けたい。だがまずは自分の力で挑戦してみろ。その後で俺たちが助けてやる」と書いてあった。


 誠先輩? さっき誠先輩が原稿とこの紙をすり変えたんだ。司会席にいる誠先輩の方を向くと、一枚の紙を俺に見せつけるように破いた。静かな体育館にその音が響くが、先輩は気にせずに真っ二つになった紙を握りつぶした。


 もう一度、目の前の紙の文字を読むと続きが書いてあった。


「追伸、この紙の文字をそのまま読むなよ。それを読んでも受かりっこないぞ」


 それはさすがに分かってますよ。全校生徒の前だが笑ってしまいそうになった。さっきまで感じていた緊張が嘘のようだ。


 さて、俺はどうする? 政宗先輩が考えてきてくれたあの原稿なら全部覚えているので、別に手元になくても演説はできる。ただそれでは駄目だ。俺が自分で考えることを誠先輩は求めている。ただこの状況で誠先輩に動かされること自体が間違っているのかもしれない。いや、それでも一歩を踏み出せるだけ今までよりましだ。来週の生徒会にはもう先輩たちはいない。俺が一人でも大丈夫だと行動で示さなければ先輩たちは安心して引退できない。上手くなんてやれなくていいんだ。俺は、俺の言葉で、俺の気持ちを……。


「僕は自分の意志でこの選挙に立候補できていませんでした。秋城会長から推薦していただき、それならと立候補を決め、今日という日を迎えました。これまでの選挙活動も、事前に用意していた原稿も全て秋城会長が僕のために考えてくださったものです。けど先輩に頼りっきりで演説に臨むことは止めます。どれだけ先輩たちが偉大で、優秀だったとして、もう次の生徒会には先輩たちはいないし、三月には卒業してしまう。僕が僕だけでできるということを見せなければ、とても生徒会長にはなれません。これは予め用意した原稿を読んでいるわけではありません。ここにあるのはとある先輩から貰った激励の言葉が書かれた紙だけです。なので今から僕が話すことは僕自身が今考えたものです。そのため支離滅裂になったり、上手く話せなかったりするかもしれません。ただ、正真正銘の僕の言葉を皆さんにお届けします」




 月見が途中で噛んだり、考えがまとまらずに黙ったりしながらも、自分自身の言葉を生徒に届ける。そうだ、不器用でいいんだ。間違ってもいい。まずは自分で考えて、行動するんだ。その後は周りの仲間がなんとかしてくれる。


「……以上です。ありがとうございました!」


 月見の演説が終わり、会場は生徒の拍手で溢れる。月見の演説は決して出来のいいものではなかった。ただそれは原稿を読むだけのものより、ずっと生徒の心を掴んだはずだ。ずっと真実の言葉を生徒に届けたはずだ。




 これは多分落ちただろうなー。ただこれが一番いい選択だ。最適解ではない正しい選択のはずだ。


 政宗先輩たちの所に戻って椅子に座ると、後ろの政宗さんの声が聞こえた。


「大地、それでいいんだ。頑張ったね」


 その一言だけでもう後悔なんて言葉は頭に浮かばなくなった。




 次は春雨、お前が乗り越える番だ。


「では春雨咲良さん、演説をお願いします」


 夏野の進行で春雨が椅子から立ち上がり、演台に向かい始めたタイミングで、席を外していた霜雪が戻ってきた。


「冬風君、本当にあなたは素直じゃないわ」


「今更だ。ありがとな」


「これで私も共犯ね。後で春雨さんに謝らなきゃ」


「そうだな」




 演説から帰ってきた大地君はここ一週間ぶりくらいの笑顔だった。おそらく演台に立った時に何かに気付いて、政宗さんの原稿を使うことを止めたのだろう。大地君はやっぱり凄いな。さっきまでは私と同じように悩んでいたはずなのに、すっかり乗り越えてしまった。


 私はそんなに強くない。今だって足が震えている。手元には空さんが書いてくれた原稿と私が書いた原稿の二つがあるが、どっちを読むべきか……。


 空さんの原稿を使おう。自分の原稿には自信が持てない。私なんて……。私はやっぱり……。


「お、おはようございます」


 マイクの電源が入っていない。どうして? 話し始める前に確認したのに。


「おはようございます」


 もう一度、電源がオンになっているのを確認して話しても、私の声が生徒に届くことはなかった。


 音響のトラブル? こんな時にどうして? 異常があったことを伝えるために奏さんや真実さん、誠さんがいる方を向いたが、三人は私と目が合っても、動くことはなかった。まるでそうなることが分かっていたかのように……。


 ということはこの状況は誠さんが作った? ステージ裏で音響の調子が悪いと私に教えてくれたのは、このことを示唆していたの?


「あ、あの」


 どうしよう。マイクなしでは私なんかの声は届かない。異常に気付いた放送部員の人がステージ裏に向かおうとするが、誠さんが止める。私はどうしたらいいんですか? 私は……。

 頭が真っ白になって、目を閉じる。どうしたら……。どうしたら……。足の震え、心の震えを感じながら、目を開けると、無意識に私は政宗さんの方を向いていた。そして、真っ直ぐにこちらを見つめていた政宗さんと目が合う。あなたに、政宗さんに追いつきたくてここまで来たけど、やっぱり私には無理みたいです。私は政宗さんに手が届かな……。


 その瞬間、政宗さんが何か言葉を発した。この距離では何も聞こえない。おそらく隣に座っている空さんにも聞こえていないだろう。けど私にははっきりとその言葉は伝わった。


 政宗さんが笑う。その無邪気な笑いを見たのはいつぶりだろう。そうだ、今ここで諦めてどうする。昔からずっと政宗さんを追いかけ続けてきた。私には決して手が届かないことは分かってる。けどそれは諦める理由にはならない。少しでも政宗さんに誇れる自分になるんだ。


 マイクが使えなくらいで動じては駄目だ。マイクを使わなくてもみんなに私の声を、思いを届けることができるはずだ。空さん、せっかく作ってもらった原稿ですが、無駄にします。


「お、おはようございます! 生徒会長選挙に立候補をしています、春雨咲良です! マイクの調子が悪いみたいなので、このまマイクは使わずに続けさせて頂きます! 私が会長に立候補した理由は……」




 春雨の透き通る声が体育館に響く。なんだ、やっぱり大きな声も出せるじゃないか。春雨、お前が自分に自信を持てなかったのは、秋城と自分を比べていたからだ。ただ秋城と自分を比べて打ちひしがれない人間はそうはいない。それほどあいつは完璧な姿を俺たちに見せてきた。あいつは化け物だ。でもな、そんな秋城を昔から本気で追いかけてきいるお前も十分すぎるほどに化け物だよ。俺なら途中で折れてる。でもお前はその想いゆえにずっと食らいついてきた。自信を持て。凛としろ。秋城が想う、春雨自身を否定するな。


「マイクの電源、戻してくるわ」


 霜雪がステージ裏に入っていく。


 月見、春雨、しょうもない状況作りだったとは思うが、よく乗り越えてくれた。よく自分自身と向き合ってくれた。そんなお前たちになら、俺たちは安心して生徒会を託すことができる。お前たちは自慢の後輩だ。手本にはなれなかったかもしれないが、お前たちの先輩でいられてよかったよ。


「あれ? まこちゃん、泣いてる?」


「そんなわけあるか。それよりお前のにやけ顔を何とかしろよ」


「そんなの無理だよ。こんなに嬉しいことはなかなかないもん。二人ともさっきまでとは比べ物にならないほどに輝いてる。もう安心だね」


「そうだな。ほら、春雨の演説が終わる。最後まで司会を頼むぞ」


「うん! 任せて!」


 全員の演説が終わり、生徒は解散して体育館から出ていった。




 俺たち生徒会は他の生徒が投票している間に、体育館の片付けを行う。


「春雨、月見、すまなかったな。あれは俺が考えたことで秋城と星宮は関係ない」


「いえ、あれがなかったら、私は一歩踏み出すことができませんでした」


「俺もです。それにしても原稿のすり替え、全く気付きませんでした」


「この土日で美玖に協力してもらって何回も練習したんだよ」


「僕は気付いてたけどね」


 秋城が横から割って入る。


「いつかお前も騙せる手品を習得して見せてやるよ。そうだな、来週には……。いや、なんでもない」


「……楽しみにしてるよ。よし! 片付けはこんなものだね。大地、咲良、本当にお疲れ様。二人とも素晴らしい演説だったよ。……ここ一週間ほど二人には辛く当たってしまったし、結局は僕と空だけじゃどうにもならずに、誠や奏、真実にも頼ることになってしまった。みんな迷惑をかけてすまなかった」


「少なくとも俺らの迷惑にはなってない。夏野、霜雪、そうだろ?」


「うん!」


「ええ」


「政宗さん、空。俺たちは最後の最後まで前へ踏み出すことができなかった。けどさっき、その一歩目をやっと踏み出すことができた。それも二人が辛い思いをしながらも、俺たちを見捨てないでいてくれたから。迷惑だなんて思うわけありません。会長選挙、お世話になりました!」


 月見と春雨が頭を下げ、秋城と星宮が微笑む。


「開票結果は今日の放課後の前に分かるわね。生徒会室でまた会いましょう」


 月見と春雨が先に体育館を出ていく。


「空ちゃん、政宗君、今日は生徒会室にゆっくり来てね。たくさん咲良ちゃんと大地君とお話しすることがあるはず……」


「奏、ありがとう。……さっきの演説よりも緊張するよ」


「演説は嘘でよくても、この件はそうはいかないからな」


「誠君、失礼ね。演説も本当のことしか言ってないわよ?」


「そんな馬鹿な。もしお前らが本当のことだけを言ってるなら、会長にも副会長にもなってないだろ」


「それはどうかな?」


 星宮が爆笑して、秋城はいつものにやけ顔になる。


「俺たちも教室に戻るか」


「そうだね。みんな、ありがとう」


 静かな体育館にほんの少しの寂しさを感じながら、俺たちはその場をあとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る