第31話 真実の雪の下から嘘の花は芽吹く~三つ目の選択肢・嘘~⑥
お互いの涙が落ち着いた頃には夕食の準備を始める時間になっていた。
「……そろそろ行きましょうか」
ベッドから立ち上がって部屋の外に出ようとすると夏野さんに手を掴まれ、もう一度ベッドに座らされた。
「真実ちゃん、肌が真っ赤だよ。日は落ちても夏の紫外線は強いんだから、日焼け止めを塗らないと。もしかして持ってくるの忘れた?」
「ええ」
「ならあたしのを使って?」
夏野さんが鞄から日焼け止めを出して渡してくれたので、その気遣いに甘えて使わせてもらう。
「背中の方、あたしが塗ってあげるね」
夏野さんの優しい指がうなじや、背中を走る。
「うん! これで大丈夫!」
お礼を言って、立ち上がろうとした瞬間、夏野さんが後ろから抱きついてきた。
「……どうしたの?」
「……真実ちゃん、後でまこちゃんと話すね。本当にありがとう」
「いいの。私が言いたかったことを言っただけ。去年の合宿で夏野さんは私に冬風君のことを好きかって聞いた。その時から、いやずっと前から夏野さんは苦しんでいたのね。私は自分のことに精一杯でそのことに気付いてあげられなかった。ごめんなさい」
「ううん、真実ちゃんがいたから、あたしは自分の気持ちにはっきりと気付けたの。ありがとう、ずっと一緒にいてくれて……」
「これからも私たちはずっと一緒よ。親友だもの」
夏野さんが私から離れたので後ろを振り返ると、夏野さんは驚いたような表情をしていた。
「どうかした?」
「……ううん! あたしたちは親友だね!」
もう一度、勢いよく抱きつこうとしてきた夏野さんを躱して、部屋の扉を開ける。
「えー、もう一回―!」
「駄目よ。抱き癖がつくわ」
「ぬいぐるみみたいに言わないでー!」
夏野さん、あなたはやっぱり明るい方が似合ってる。そんなあなたと勝負をするのは恐い。けど、これで私たちは本当のスタートラインに立った。これからが、本当に甘くて、切なくて、儚い恋愛の始まりだ。
夕食のカレーの準備が始まり、俺は去年とは違ってくじで調理係になったので、月見や春雨、夏野と食材を切ったり、大鍋で具材を煮込んだりする。そして月見と春雨が調理場からいなくなったタイミングで俺は夏野に話しかける。
「……夏野、今日の夜、みんなが寝た後、ベランダに出てきてくれないか。話したいことがあるんだ」
「……うん、あたしもだよ。待ってるね」
夏野が言いたいことはなんだろう。ただ、それがどんな言葉だったとしても、俺は向き合える。そう導いてくれた人たちがいるから。
夕食を食べ終わり、その後はコテージに戻って、順番にシャワーを浴びながら、久しぶりに生徒会全員でトランプをした。相変わらず秋城と夏野はダウトで無双していたが、生徒会が発足してすぐにやった時とは違い、二人の表情は分かりやすく、素直だと感じた。
就寝時間になり、全員がそれぞれの部屋に入ったところで夏野に連絡してベランダに向かう。
「まこちゃん……」
ベランダのドアを開けると既に夏野は椅子に座っていた。去年は夏休み後半に合宿があったので、多少夜は涼しかったが、今日はかなり暑い。
俺も夏野の隣の椅子に座る。星が綺麗に見える夜だ。
「……まこちゃん、出会わなければ良かったなんて言ってごめんなさい。あたし、本当はそんなこと思ってないの……。昔のまこちゃんとの思い出も、今のまこちゃんとの思い出も、全部あたしにとってはかけがえのないものなの。それを捨てようとするなんて、あたしは最低だよね」
「最低な度合いで言ったら俺の方が上だ。そもそも俺が昔の夏野と別れる時に嘘をつかなければ、修学旅行で無理やり、過去の嘘を清算しようとしなければこんなことにはならなかった。俺はこれまでずっと夏野を傷付け続けていた。出会わなければ良かった。その言葉はある意味では正しい。俺と夏野が出会うことがなければ、確かにお互いに傷付くことはなかったかもしれない。……ただ、それでも俺は夏野と出会えて良かった。夏野には辛い思いさせている。それでも夏野といる時間は俺にとってかけがえのないものなんだ。出会わなければ良かったかもしれない。でも俺たちは出会った。もうこの真実は変わらない。俺たちはお互いを傷付けることでしか、一緒の時を過ごせない。それを俺が望むのは独りよがりで、わがままだ。ただ、もうこれまでをなかったことにするなんて考えたくもない。俺は過去の真実を否定したくない。夏野と過ごした時間を否定したくないんだ」
まこちゃんが静かに涙を流す。まこちゃんの涙を見るのはこれで三回目だ。一回目は修学旅行の時、二回目は四季祭の時。同じ日に絶対あたしも泣いてる。今も例外じゃない。
「三年生になってから、いや夏野と霜雪と戦国の三人と深く関わるようになってから、俺は真実から目を背けるようになっていた。全員が大切で、全員を傷付けたくないと思っていた。そんな答えを俺は探していた。ただそんな選択肢はない。全員を想うからこそ、俺は誰かを傷付ける覚悟をしなければならない。それを俺の周りの人は教えてくれていたのに、俺はずっと逃げていた。だがもう迷わない。俺はこれからも夏野を、霜雪を、戦国を、傷付け続けるだろう。ただそれは俺が向き合うことであり、責任だ。最後まで俺はお前たちに向き合い続ける。だから、だからもう少しだけでいい。俺の傍にいてくれないか?」
「……それはあたしの台詞だよ……。あたしもまこちゃんを傷付ける。あたしは嘘つきだし、めんどくさいし、性格も良くない。こんなあたしでもまこちゃんの傍にいていいの? まこちゃんの選択肢になっていいの? あたしももう過去を否定したりしない。そうだったあたしも、今のあたしも、全部真実。昔の別れで傷付いたのも真実。もう一度まこちゃんに出会えたのも真実。まこちゃんのこと、どうしようもないくらい好きなのも真実。全部ひっくるめてあたしはまこちゃんに恋してる。たとえ最後には選ばれないとしても、あたしはまこちゃんと一緒にいたい。感情も、思い出も全部複雑で難しい。けどこの気持ちだけはシンプル……。まこちゃん、ずっと前から好きだよ……!」
ああ、最初からこうやって自分の気持ちを伝えられていたなら、こんなに苦しむことはなかったのかな? ううん、苦しんだからこそ、この恋が嘘じゃないって分かった。この想いが真実だって分かったんだ。この恋は、青春は難しい。だからこそ意味があるんだ。
もうこれで引き返せない。どの選択肢が正解、不正解ということではない。どの気持ちも真実で、俺は三人ともを想う。ただ……この恋の答えは一つしかない。
「夏野……」
「これで、元通り。ううん、あたしたちは変わったね。まこちゃん、もう一度、あたしに恋をして……」
そう言った夏野の笑顔は昔、俺に見せてくれていた偽りのない純粋な笑顔と同じだった。
その後もお互いにすぐには部屋に戻ろうとせずに、星を見る。
「そう言えば去年、ここで春雨と話していたら、急に物音が聞こえたんだよな。結局、あれは何だったんだ」
「……それ、あたしなの」
「ん?」
「去年の一日目の夜ね。なかなか寝付けなかったから、ベランダで星でも見ようと思って、下に降りたの。そしたらね、まこちゃんと咲良ちゃんが話してるのが聞こえて、邪魔したらいけないから違う所に行こうとした時に、段ボールに引っかかっちゃったの」
「そうだったのか。一年越しに謎が解けた」
「その後、向こう側のベランダにも行ったんだけど、そっちには政宗君と空ちゃんがいてびっくりしたんだよね」
「秋城と星宮が? あいつら本当に仲良いな」
「お互いに通じるところが多いんだよ。あたしたちも色々と複雑だけど、政宗君と空ちゃんも複雑。二人はそれを隠してるけどね」
「しょうがない奴らだ」
「あたしたちも人のこと言えないよー」
「……そうだな。そろそろ部屋に戻るか?」
「もうちょっとだけ……。こんな風にまこちゃんを独り占めできる時間はなかなかないから……」
夏野が立ち上がり、俺に手を差し出す。
「……なんだ?」
「フォークダンス、せっかくまこちゃんと一緒に踊れたのに、全然楽しめなかった。まあ、あたしのせいなんだけどね」
夏野が申し訳なさそうに、そして恥ずかしがるように笑う。
「だから上書きして? 今、二人だけで踊ってくれる?」
「……そうだな。最後の体育祭の思い出があれはごめんだな」
俺は夏野の手を取って立ち上がる。
「音楽はないな。虫の鳴き声で踊るか」
「あたしが歌うよ。たららららららー。らららららららー、たらたらたらたっ……」
「酷いな」
「……いいの。ほら」
星空の下で、夏野とフォークダンスを踊る。音楽はなくても俺たちの鼓動の音は重なり、二人だけの調子を刻んだ。
「……暑い」
どれほど時間が経ったのかは分からない。一瞬にも永遠にも思える時間は久しぶりだ。
俺は夏野の手を離して、椅子に座る。
「まこちゃん、あたしの部屋まで一緒に退場してくれないの?」
「もう限界だ……」
「何が限界かは聞かないでおくね。今日はもうこの手を離すけど、答えを出した後は離してあげないから」
「……ああ、覚悟しておく。ほら、夏野は家以外だとあまり寝れないんだろ? もう部屋に戻って寝たほうがいい」
「まこちゃんは?」
「もう少しここで風に当たる。おやすみ」
「分かった。おやすみ、まこちゃん」
夏野が部屋に戻り、ベランダは一人になる。
なんで今日はこんなに暑いんだ。高まった体温が全く下がらない。早くなった鼓動が全く……収まらない。
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