第31話 真実の雪の下から嘘の花は芽吹く~三つ目の選択肢・嘘~③

「小夜先生、どうしたんですか?」


「この部屋、私が学生の時に来た合宿で使ってた部屋なの。少し懐かしさに浸らせて」


 小夜先生は部屋の小物や天井を見て懐かしいなーと呟く。小夜先生は本当にこのためだけに来たのだろうか。


「その合宿のすぐ前の日にね、私と輝彦は大喧嘩したの。それで初日はずっとこの部屋に引きこもってた」


 小夜先生と朝市先生が喧嘩? 小夜先生は学生の頃から大人っぽかったのだろうなーと思うし、二人はいつも言い争いをしているが、深刻な喧嘩をしている姿は想像できない。


「あら、意外だった? 私も輝彦もその頃は十六、十七の高校生よ。喧嘩ぐらいするわ」


 小夜先生がさっきの真実ちゃんのようにあたしの隣に座る。


「私と輝彦はね、小学生の頃は隣同士に住んでて、ずっと一緒に遊んでたの。それで中学に上がる時に私が引っ越した。けどね、またすぐに四季高校で再会したからびっくりしたわ。それからかしらね、輝彦に特別な感情を持ち始めたのは。けど同じクラスになったけど、特に何もないままに時間は過ぎた。そして生徒会選挙があったの。せっかくだからと思って私は生徒会の担当になった午刻先生に生徒会に入りたいですと伝えた。……そして輝彦を生徒会に推薦した。もちろん本人には内緒でね」


「……どうして朝市先生を推薦したんですか?」


「……分からないわ。心の中でどこか輝彦ともう一度関わりたいと思っていたのかも。結果として輝彦も私も生徒会に入って、一緒に活動をすることになった」


 一年前の私に似てるな。私も自分が何がしたかったのかは上手く説明できないけど、まこちゃんを生徒会に推薦した。


「似てるでしょ? あなたと冬風君に」


 小夜先生の言葉に飛び跳ねそうになってしまった。


「どういうことですか?」


「冬風君を生徒会に推薦したの、夏野さんでしょ? 私は輝彦に冬風君を推薦した人を聞かなかったけど、あなたたちと生徒会で活動しているうちに分かったわ。だって昔の自分を見ているようだったから」


「……そうですか」


「生徒会に入った後は色々あったわ。それこそ喧嘩をしたり、一緒に楽しいことをしたり。時間が経つにつれて私たちは関係を深めていった」





「だが、順調に見えた俺たちの関係は二年生の夏合宿前に突然崩れそうになった」


 車を走らせながら朝市先生は小夜先生との出会い、生徒会での話をしてくれていた。まるで俺を導くように。


「なぜ言い争いになったのか。きっかけは些細なことだったのかもしれないし、深刻なことだったのかもしれない。今となってはどちらがこの言葉を言ってしまったのかも分からない。ただそれまで一直線だった俺たちの想いはすれ違った」





「私が輝彦に言ってしまったの。あなたと出会わなければこんな思いをすることはなかった。私たちは出会うべきじゃなかったってね。本当にそう思っていたわけじゃない。でもその時の輝彦の顔は忘れられないわ」


 小夜先生は後悔しているような顔をする。小夜先生はあたしとまこちゃんの事情を全て知っているわけではないだろう。でも小夜先生が語る話は今のあたしに重なった。


「……その後はどうやって仲直りしたんですか?」


「仲直りか……。もしかしたら今もできてないかも。その後はね、午刻先生と紅葉先輩があたしと輝彦に二人だけの時間を作ってくれたの。そこでまた私たちはお互いを傷付け合った。お互いに言いたいことを言い合った。そして一緒に泣いた」





「その時に分かったんだ。本物の人の想いってのは、相手を傷付ける。思ってもいないことを相手に言ってしまうのはそれほど相手を想っているからだ。抽象的だが、俺がお前に何を言いたいのかっていうと……」





「大切な人とは一番傷付けてしまう人のことなの。近くにいればいるほど、深く接すれば接するほど人は人を傷付ける」


「……それならいっそのこと離れてしまえばいいじゃないですか。一番大切な人には傷付いて欲しくないはず。それに自分じゃなくても、相手のことを同じように大切に想ってくれる人はいる。それなのになぜ自分が関わろうとするんですか? 自分も相手もむなしいだけです」


「確かにたとえ自分が傷付いたとしても、相手が傷付かなければ大丈夫。そう考えてしまうのは分かるわ。ただそれは自己満足に過ぎない。自分がいなければ相手が傷付かないと勝手に思っているだけ。自分が相手にとっても大切な存在であるということを無視してるのよ」


「けど、どちらにせよ傷付くなら関わらない方が……」





「そんなことはない。俺はさっき言ったよな。大切な人とは一番傷付けてしまう人。これにはもう一つ続きがある。大切な人とは一番自分の世界を鮮やかにしてくれる人。相手を傷付けるのを恐れて関わるのを止めるとその時点で相手を傷付けるだけ傷付けただけで終了だ。だがな、どれだけ相手と喧嘩したり、すれ違ったり、傷付け合ったとしても、向き合い続ける限りかけがえのない時間を共に過ごせるんだ。楽しい、嬉しい、辛い、苦しい、色んな感情を共有できる。それは傷付け合った者同士でしか見えない世界だ」





「それは夏野さんも心の中では分かっているのではないの? それを踏まえてあなたは関係を断ち切る選択をしようとした。その理由はあなたは優しいから」


 小夜先生があたしを頭を持って、自分の方に引き寄せる。何も言葉が出ない。


「けど自分を犠牲になんて考える必要はないのよ。誰もそれを望んでいない。どんなに苦しくても目の前の真実に向き合おうとする人があなたの周りには多いはず……」





「……こんな偉そうなことを言える立場じゃないかもしれないけどな。俺はまだまだ教師として力不足で、今やっていることが正しいのかも分からないし、さっきの言葉も午刻先生と紅葉先輩が俺たちに言ってくれた言葉だ。今もお前は悩んでいると思う。ただな、大切な人を手放そうとするようなことはしたら駄目だ。必ず後悔する時が来る。それとな、俺の言葉は聞かなくてもいい。ただお前には心配してくれる仲間がいるはずだ。そいつらにはどんなことがあっても向き合い続けろ」


 俺は霜雪になんてことを……。





 あたしは真実ちゃんになんてことを……。


「時間は限られている。けど全くないわけじゃない。悩んだっていいの。これが……」





「俺が言えること全てだ。信頼はないかもしれないが、これからはちょっとは頼ってくれよ。俺らはお前たちの教師なんだからな」





 そう言って小夜先生は優しく笑った。

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