お兄ちゃん

旭 東麻

お兄ちゃん

 私には兄がいる。3つ年上の、高校生の兄だ。自己中心的な性格だから周りに馴染めず、学校でも浮いているらしいけど、私には優しくしてくれるから、私は兄が好きだ。


 今週の末も、兄と遊園地に行く約束をした。


「週末ね、私、あのクルクル回るやつ乗りたい!」

「え、マジかよ!俺あれ酔うから嫌なんだけど。」

「じゃあ1人で乗るからいいもん。」

「いやいいよ、一緒に乗るよ。その代わり、俺の乗りたいやつにも付き合えよ?」

「うん!」


兄は本当に優しい。私のわがままも、嫌そうな顔しながら聞いてくれる。私は兄に内緒で、今週末、サプライズを考えていた。いつもの感謝の印に。


***

 

 明日がいよいよ遊園地、となった日、兄が帰ってこなかった。季節に見合わない、大雨だった。普段も兄は遅くまで帰ってこない日があったから私たちはあまり心配していなかった。


 でも次の日も、その次の日も、兄は帰ってこなかった。両親が警察に連絡し、捜索隊が組まれた。どこに行ったのか見当もつかず、捜索はおよそ一週間にわたって続けられた。


 これで見つからなかったら、もう諦めよう、と、母が言っている。私は、泣きそうになって聞いていた。性格に少し難があったけれど、私の大事な兄だ。一週間も見つからなくて心配ってものじゃなかったし、諦めようなんて言って欲しくなかった。


「なんで、もっと長い間探せないの?」

「あの子が行きそうなところを全部捜しても見つからないのよ?これ以上は、皆さんにも迷惑がかかるだけだし・・・。」

「なんで簡単にそんなこと言えるの!?お母さんはお兄ちゃんが大事じゃないの!?」

「そんなこと・・・!」

「いいもん、私が探すもん!」

「ちょっと、待ちなさい!」


母が止めるのも無視して、私は家を飛び出した。両親が思い当たらない場所を、私は知ってる。そこにならきっと、兄がいるはずだ。確信があるというよりは、それを信じたいというだけだったけど、私は1人、その場所へ向かった。


 遊園地の近くの空き地は、私と兄の秘密基地だった。秘密というほどでもない開けた場所だけど、両親は絶対に思い付かない場所だ。数年行かない間にすっかり雑草が伸びている。押し分け押し分け、私は空き地の中に進んでいった。


「お兄ちゃん!」


空き地の中心にあるたくさんのビールケースの一つに、兄が座っていた。失踪した時と同じ制服姿で、ぼうっとした顔をして。いつも通り私を「ゆー」と呼ぶ。


「お兄ちゃん、大丈夫?怪我とかしてない?」

「ああ。」

「一体どこ行ってたの?お母さんもお父さんも、すっごく心配してたんだよ。警察の人たちも、お兄ちゃんを捜してくれたの。ね、お兄ちゃん、早く帰ろ!雨降ったし、びしょびしょで寒いでしょ?」

「いや、そんなでも。な、ゆー。家に帰る前にさ、約束してた遊園地、早くいこうぜ。」

「え?でも、早く帰んないと、みんな心配してるし。遊園地はまた今度にしようよ。今日休園日だよ?」


そう言って兄を見上げると、兄は今までに見たこともない背筋が凍るような冷たい視線を私に向けた。


「ひっ・・・。」

「いいから。行くぞ。来い。」

「っ、待って、お兄ちゃん、お兄ちゃん!」


兄は強引に私の手を引っ張って遊園地へ歩いていく。兄の力は強くて、とても振り解くことはできなかった。


「待ってお兄ちゃん、痛い!手、離して!」

「・・・。」


兄は固く閉じられた遊園地の扉を蹴り開けて、私を遊園地へ連れて行く。この力、尋常ではない。兄はこんなに怪力ではなかったはずだ。一瞬、見知った兄の顔が別人に見えた。


 兄が私を連れて行ったのは、私が乗りたいと言った、あのライドだった。


「ほら、ゆー。これ乗りたいんだろ?」

「そうだけど・・・。」

「じゃあ早く乗るぞ。」


有無を言わさずに、私はライドに乗せられた。誰もいない、楽しげな音楽も聞こえない遊園地は、楽しくもなく、ただただ怖かった。その上、本来一周で終わるはずのライドなのに、1周目が終わってすぐに2周目が始まった。2周目が終わると、3周目が。4周目、5周目・・・。


「降ろ、して!止めて!お兄、ちゃん!お兄ちゃん!」

「なんだ、もう終わりか?仕方ねーなあ。」


やっとライドが止まった。急に止まったので吐き気がする。ふらふらと降りる私の手を掴んで、兄はまた歩き出した。


「どこ、行くの?」

「俺の行きたいとこもついてきてくれるんだろ?」

「う、うん。」

「じゃあ次はここだ。」


兄が指さしたのは、鏡の館。無数の鏡が張り巡らされた迷路を抜ける、単純なアトラクションで、出るのも今なら簡単だ。でもなぜだか、今日の鏡の館は入ったら二度と出てこられない気がした。


「お兄ちゃん、私、ここ嫌ぁ・・・。」

「あ?約束だろうが。行くぞ。」

「嫌だ!嫌だ!」

「うるせえ、黙れ!」


驚いて兄を見上げる。普通の兄は何があろうとこんなこと言ったりしない。違う。鏡の館の中にある鏡に、私たちの姿が映っている。それを見て、私は凍りついた。


「早く行くぞ、ゆー。」


鏡に、兄は映っていなかった。正確には、兄以外の何かが映っていた。黒い影のような、禍々しい物が。


「どうした。」

「・・・あなた、誰?」

「は?」

「お兄ちゃん、どこにやったの!?」


そう言った途端、兄の姿が歪んだ。顔や体のバランスが狂い、おぞましいモノに変わっていく。


「バレタカヨ。」


逃げなくちゃ。逃げなくちゃいけない。わかっているのに、足がすくんで動けない。


「オマエのオ兄チゃンノ居場所なんてシラネエヨ。オマえハオレに、ツイテクレバイイ。」


鏡の中で、たくさんの口が笑っている。たくさんの手が、手招きをしている。


「コイヨ、ゆー。イッシょニ来テクレルンだろ?」


化け物の手が、私の腕を掴む。


「向コウでイっ緒二、ズットあそボウ。」


化け物がニヤリと笑った途端に、私はすごい力で、鏡に飲み込まれた。


***


 ある年の同じ時期に2人の子供を失くした夫婦が、十年以上経った今も、彼らを捜している。

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お兄ちゃん 旭 東麻 @touko64022

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