25 スニーカに砂が付くのも構わずに水際をゆっくりと

 スニーカに砂が付くのも構わずに水際をゆっくりと歩く。昨夜もあまり寝ていないわたしのあたまのなかには、白い眠気が常駐している。流れは荒れていて、人はぽつりぽつりとしかいない。湿った砂はひとあし進む毎に、じゅわり、と水が滲み出る。鴨川デルタまで歩いて、その先端に座った。足の五十センチほど下で波が暴れている。

「ひとりにしないでよ咲実。帰ってきてよ、わたしのとこに」

 がさがさした声で呟いていた。膝を抱えて水面を見ていると涙が出てきた。

 帰ってきて、来年も帰ってきて、お願いだから帰ってきて、と、わたしは地面に座ってひとしきり泣いた。スマートフォンからイヤフォンを繋いで、音楽を流していた。

 

 融けて消えるSNOW DOLL

 石になれない儚い命

 そんな事はわかっていた

 あなた居なくてもくる冬

 

 咲実が最期に暮らしていた家で、同じようにわたしはときどき泣いた。咲実の瞳が翳りゆくことを嘆き、咲実の心がこわれてゆくことを嘆いて。咲実はわたしを理解しないままきょとんとした顔で、

「サクちゃん、泣かないで、」

 とわたしのあたまを撫でてくれたりしたが、咲実の痩せ細ってゆく躰を見て、わたしのあたまを撫でる手の弱々しさを感じて、あとからあとから、涙が溢れてきた。

 実際に咲実が死んだときは、あまり泣けなかった。遠くへ旅立つ姉を見送る送別会、という感じがした。だから、八月には帰省する。大丈夫だ。繰り返し思った。帰ってくるよね、咲実は。

 今更帰ってこなくなるなんて、残酷だ。

 

 ──おねえちゃん、

 しばらくして声に振り向くと、子どもがふたりわたしを見ていた。双子だ、ろうか。紺色と水色の同じ型の夏服を着て、顎のあたりまで伸ばした髪が揺れている。紺色は水色の、水色は紺色の片手を、ぎゅうと握りあって、ふたり線対称の方向にポシェットを下げている。わたしは涙を拭いた。

「こんにちは、」

 こくんとふたり同時に頷く。小さな形の良い白い顔、人形めいたつぶらな瞳。

「何処から来たん? いくつ?」

 今度はふたりとも手を広げてみせた。五歳か。

「お名前は? おとなのひとと一緒に来たんかな、」

 ──ナズナちゃんとね、こっちがね、キズナちゃん。

 紺色の服を着た方が云った。紺色がナズナちゃん、水色がキズナちゃん、か。

 ──おねえちゃんも、ふたごなの?

 水色が云い、わたしがなぜ? と訊ねると、あそこ、と川べりを指差した。

 咲実が水際にいた。サンダルを両手にひとつずつ持って、下を見ながらひらひらと波と戯れている。突然なので驚いた。

「咲実ーっ!」

 わたしが呼ぶと、

「サクちゃーん、」

 そこにごく当たり前にいるように、嬉しそうに手を振って近寄ってきた。水際で足に付いた砂をすすぎ、濡れた足のまま白いサンダルを履いてやってきた。

「こんにちは」

 双子たちに向かって云う。紺色も水色も、こんにちは、と云った。

 ──おねえちゃんたちの名前はなんていうの?

「わたしが咲実。こっちが妹の咲良」

 咲実がにっこりして説明する。それからわたしに向かって、

「水、気持ちいいよ。スニーカなんて脱げばいいのに、」

 と云った。双子たちにも、波に足浸けにいかない、と誘う。

「駄目よ、今日は荒れてるから」

 わたしは慌てて止めた。わたしたちはともかく、この子たちには危険過ぎる。

 咲実はふうんと答え、手を広げて堤防の上でくるりと回った。スカートが丸く広がって、風になびく咲実の長い髪。水色と紺色と、咲実のサーモンピンクとオレンジのチェックのワンピースと。曇り空のした、夏服はあざやかな色に戯れている。

 わたしは水筒に入れてきた熱い珈琲を飲んだ。

 

 そろそろ帰ろうと思い咲実に云うと、わたしはあとから帰るわ、と云われた。

「本当に帰ってくる?」

「本当に帰ってくるわよ」

 咲実はわらった。ばかねサクちゃん、何を心配してるの。

「……そうね」

 わたしは立ち上がり、砂を払って小さな鞄を持つ。結局ずっと一緒にいた紺色と水色の双子にも、

「ばいばい、」

 と云った。小さなてのひらを振り返してくる。背を向けて堤防から車道の方へ向かおうと、数歩歩いて気付いた、あの子たちの印象は。あっと思い、でも、まさか、そんなこと、と振り返ると堤防には誰もいない。

 ……あなたたちのママは、なんていう名前なの?

 わたしはに向かって呟いた。

 ──クレバヤシ……、

 双子の声が、耳もとで重なりあった。

 

 

     

 

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