21 また草野くんと逢った。先日のことを心配してくれた通話で

 

 また草野くんと逢った。先日のことを心配してくれた通話で新たな約束が出来て、一緒に出掛けたのだ。

 最初は近代美術館にゆこうかと云っていたが、混雑して並ぶのは止めようと安易に決めてしまって、三条河原町で待ち合わせをした。ギャラリィを覗き、それから喫茶店を捜してすこし歩き、適当なところを見つけたので入った。今日はふたりともカプチーノを注文した。シナモンパウダの小壜が添えられていて、わたしたちはシナモンが嫌いだということで一致する。

「シナモンのほかには何が嫌い?」

 草野くんが訊く。

「……春とか」

 あまり考えずに答えた。踏み切りも嫌いだ。

「じゃあ、後部座席の他に好きなものは?」

「夜とか……お酒とか」

「夜? どうして?」

 草野くんの声はおだやかでやさしい。

「だって、楽しいじゃない、夜って」

 わたしが云うと草野くんはすこしわらい、わたしはわらい方についての自分の語彙の貧困さを口惜しく思った。草野くんは、ふうっと息を吐くようなわらい方だったり、くしゃっと目もとが微笑んでいたり、いろいろなのだ。 

 正確には夜が好きだったのは過去の話だ。最近はあまりそうではないのだけれど、以前は夜になると何が楽しいのか浮ついた気分になって、散歩をしたり明け方まで起きていて、倒れるように眠りに就く日が殆どだった。

 昔、咲実もわたしも酷い夜型だった。あけすけな深夜ラジオに(オールナイトは奇妙な連帯感をもたらす。もちろん生放送のやつ)にくすくすわらい、布団のなかで本を読み、七時過ぎ頃にやっと、両親の起き出す音を聞きつけて息を殺してそそくさと眠る。夜ばかりこればいいと心底思った。

「……たのしいよね」

 草野くんがふいに云った。

 わたしはカプチーノの白いカップから顔を上げ、初めて草野くんの顔に視線を合わせる。  

「夜、」

 彼の声は誠実だけれど、わたしと合った瞳はちょっと遠い感じがする。わたしはおおきく頷いた。

 

 帰ったのは夕方だった。バス停で草野くんは、わたしの乗るバスがくるまでいっしょに待っていてくれた。

「何処にいってたの?」 

 部屋に入ると咲実はローテーブルの椅子に座って、熱心に作業をしていた。扇風機が首振りで弱く回っている。

「ギャラリィ」

「美術館?」

「美術館は凄い混んでたから行ってない。寺町のギャラリィ、これ」

 答えギャラリィのDM手渡しながら冷房をつけ、窓を閉める。

「何をしてるの、」

 わたしは麦茶を注ぎ、咲実の向かいに座る。

 テーブルの上には色とりどりのこまかなビーズが散らばって、ちらちら光っていた。その向こうで咲実はテグスにビーズを通している。

「何を作っているの?」

 云い直して繰り返すと、咲実は明らかにうわのそらで、それを一瞬広げてみせ、ネックレス、と云い、すぐに作業に戻る。 

 夕食をすませたあとで、机のコンピュータに向かっていると、サクちゃん、と細くあまい声がして、頸に冷たい、ほそ長いものがひたりと触れた。  

「咲実?」

 わたしは頸にかけられた繊細な手触りのそれを指でとらえ、顔をあげる。首のうしろでその紐が閉じられる。

「ネックレス、サクちゃんにあげるわ」

 咲実は仏頂面でそう云い、

「今日、デイトだったんでしょう」

 と付け加えてから、くるりと背を向けてリヴィングに帰っていった。

「ちがうわよ、」

 わたしは聞こえないであろう返事をして、ネックレスに指を触れた。

 細かいビーズのネックレスは、どうしてこんなに繊細な手触りなのだろう。テグスに通されたビーズたちは、指で触るとちまちまと不自由に少しだけ動く。わたしはぼんやりとその懐かしい手触りを確かめた。

 お風呂に入る前にネックレスを外してみると、パールビーズの周りを普通のビーズでびっしりと囲った大きな粒が何色か配された、クラシックな色味の、短い竹ビーズの連なりだった。鈍く光る。

 

 昔、幼い頃、たった十数分くらいの年齢差だというのに、咲実は妙に姉ぶっていた感があった。

 たとえばおやつを分けるときには必ずわたしに多い方をくれるというような、些細だが小さな子どもにとっては全然些細じゃないことに、彼女を犠牲を払った。そのためかそういうときの咲実の顔はいつも、もの凄く不機嫌で、わたしも手放しで喜べない複雑な気持ちになる。

 気に入っている服だって、着たい日がかちあったりしようものなら、咲実は頑として自分が譲ると主張する(わたしたちの母は双子に同じ服を着せる趣味はなかったので、どれも一着ずつしかなかったのだ)。

「じゃあわたしも着ない。ふたりとも着ないでおけばいい」

 とわたしが主張すると咲実は──お出掛けの日などは、目に涙を浮かべさえして──、

「さっき着たいって云ったじゃない」

 と、こわい声を出した。

 仕方なくその服を着たわたしはその日一日を、落ち着かない気分で過ごすのだった。

 ほんの二、三歳の頃からだ。努力と我慢を何より厭う性質の彼女が、この妹にだけは無理矢理自分の希望に反してまで親切にしてくれたのは不思議だった。

 デイトだったんでしょう、と云いながら深入りしないのも、その〝姉ぶり〟の延長なのだろう。

 ネックレスを外してお風呂に入る。あがってくると机の上にあったMacのデスクトップ上に、見覚えのない文章があった。こんなのだ。咲実が書いたのだろう。

 

 

 

  さようなら

  僕はいきます

 

  今まで一度も

  野生のばらが咲いているのを

  見たことがないことに気付いて

  そのままで今日が暮れるのは

  なんだかとても不完全なことだと思うので

  旅に出ます

  野生のばらを捜しに

 

  花瓶にあふれたその記憶はあるのだけれど

  セロファンにくるまれ何本も束になって

  カスミ草を添えられた

  それも良かったのだけれど

 

  誰が植えたのでもない

  誰が育てたのでもない

  朝露を飲み土に根ざしたばらを

  捜しにゆきます

 

  そうすれば今日の最後のひとかけが

  埋まるような気がするのです

  棘に埋もれて睡ます

 

  おやすみなさい

 

 

  

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