18 昔のことだ。田舎の祖母の家から、少し奥へ

 

 昔のことだ。

 田舎の伯母の家から、少し奥へいったところには林があり、その向こうには踏み切りがあった。踏み切りの傍に立って左右を見ると、どちらも古いトンネルに入ってゆく線路が見え、苛烈な日射しに熱されていた。脇では夏草が慈雨を待っていた。

 わたしは咲実を捜して小走りにその道をきた。そして、咲実の長い髪が、地面に広がっているのを見た。彼女は踏み切りのところで、線路上に横たわっていたのだ。となりに麦わらのバッグと麦わら帽子が転がっていた。腕を枕にしてうつぶせたまま、咲実は動かない。その場所は日陰になっている。

 何やってるの?

 わたしはこわばった声で呟き、数分間──或いはたぶん数十秒間──、そのままそれを眺めていた。一度だけ咲実はあたまを少し動かした。それから突然、遮断機の警告音が耳に差し込まれて、わたしはその意味を思い出して悲鳴をあげた。彼女に駆け寄る。腕を引っ張る。

 

 さくみっ、起きて!

 何やってるの起きて! 電車に轢かれる!

 早く!

 さくみ! さくみってば! 起きてよ! 死んじゃうよ!

 

 起きてよ咲実……。

 

 遮断機の交互に光る赤いランプは、けれども眩しい真昼には弱々しい色だった。

 あの警告音は蝉の声の下で埃っぽい道で、不鮮明でひずんだ鈍い音だった。

 咲実はぼんやりしていたが、わたしが乱暴に引きずっていた左手と反対の手で、転がっている麦わら帽子だけ何とかのろのろと拾った。バッグの方も取ろうとしたが、わたしに渾身の力を込めて引っ張られていたので無理だと悟ったらしかった。わたしたちが遮断機をくぐり抜け、踏み切りの手前で重なりあって地面に膝をついたところで、轟音とともに金属の箱が通り抜けていった。悪夢としか云い様のない瞬間だった。

 

 ──いつのまに居たの?

 問いかける咲実の声は不機嫌だった。

 ──いったい何しにきたの?

 わたしは彼女の腕を、思いきり乱暴に振り倒した。よろける咲実を怒鳴り罵倒し、声が嗄れるまで怒鳴り続けた。何と云ったのか憶えていない。咲実は腕で避けはしたものの対抗はせず、

 ──かばん壊れちゃったわ。

 不貞腐れて横を向き、それだけ云った。

 彼女の意図がどこにあったのかは判らない。もしかしたらそれは──ほんとうにもしかしたら──、自殺ではなかったのかも知れない。ばかな姉の、ばかな昼寝。もしかしたら。でも許せなかった。まったく許せなかった。ショックを受けたと思いたくなかったら、そのショックを怒りに転じさせるのは簡単だった。矛盾しているが車輪の下でこの世から消えて欲しいくらいに、そのときわたしは死なせなかった彼女を憎んでいた。

 

 

 草野くんはわたしが落ち着くのを待って、携帯端末でタクシィを呼んでくれた。

 踏み切りの音は、厭な記憶を呼び覚ます。

「もう大丈夫?」

 草野くんは親切だ。タクシィ、酔う? 大丈夫? と小声で気にしてくれる。

「……誰かの運転してくれてる、後部座席って好きよ」

 わたしはぽつんとそう云った。後部座席は安心の象徴だ。

「咲良さん乗せるために免許取ろうかな」

 冗談めかせて云う彼はわたしと同じで免許を持っていない。

「でも助手席には座ってくれないんだね」

「そう、後部座席で眠るのが一番のしあわせ」

 わたしはやっと微笑むことが出来た。

「漫画のピーナッツって、あるじゃない?」

 わたしは考えて付け加えた。

「スヌーピー?」

「ええ。そのなかに、ペパーミントパティって女の子が、チャーリー・ブラウンに安心って何だと思う? って尋ねる話があるの。そうしたらチャーリーの答えはね、安心とは車の後ろの座席で眠ること、って云うの」

「いいね」

 こんなときに草野くんはとてもわたし好みな表情をする。わたしは云った。

「チャーリーは、でもそれは長続きはしない、突然君は大人になって、もう絶対に後ろの座席で眠れなくなるって、絶対に、絶対にって、そう云うのよ」

「咲良さんはどうなのさ、大人じゃないの、」

 手放したくないものの大半は、どうにかすれば手放さずにいられるものだ。

「怯えたペパーミントパティが云うの、」

 わたしは草野くんに触れた。

「『わたしの手をにぎって、チャック!!』」

 草野くんはわたしの手を取って握ってくれる。

 

 

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