17 わたしたちは夏休みを母方の祖母の家で

 

    †

    

 

 わたしたちは夏休みを母方の祖母の家で過ごす習慣だった。少年というのはわたしたちの従兄のことで、何故だかわたしたちは彼の名前を覚えず、彼はわたしたちのあいだでだけ、少年と呼称されていた。彼は田舎に住んでいるということもあってか、まったく少年らしい容姿をした少年だった。

 伯母の家の向かいに住んでいたおじいさんは、キャンディのことを、キャンデーと云った──パーティーはパーテーで、ディズニーランドはデーズニーランドなのだった──。方言と昔の言葉づかいと、妙な片仮名語の混ざった話し言葉は、耳に心地がよかった。かき氷はすり氷と呼ばれていて、わたしはその呼び名が好きだった。仕事で機械に左腕を挟まれて切断したというそのおじいさんは、右手でわたしたちによく硬貨を渡して、

「すり氷買っといで、」

 と云った。わたしたち──少年と咲実とわたし──は歩いて十分ほどの雑貨屋へいって安い氷菓を四つ買い、帰りは氷が溶けないように走って帰って、おじいさんと一緒に食べた。おじいさんはいつもメロンシロップ、わたしはイチゴ、咲実はレモンで、少年はひとり、ソーダアイスバーなんかを食べていた。咲実がいつも、包帯の巻かれた左肘から先のないお爺さんのために、スチレンのカップを押さえてあげていた。優しい子なのだ。誰も知らないけれど。

 

 ついこのあいだも電話を掛けてきた従兄は、今はもうわたしたちの少年ではない。誰それの法事がどうしたとか、咲実のお墓がどうだとか、母からの伝言だとか、そんなことを知らせてくる彼は、あの頃の少年が風化した姿ではない。もうまったく別のひとのようだ。結婚して、子どもが二人もいる。男の子と女の子が。

 あの家で過ごすのは必ず夏だったから、少年を思い出すとそこは必ず夏だ。

 記憶はどうして、こんなに苦いのだろう。思いでは光っていて、戻れないところがひどくかなしい。

 

 

 草野くんと逢った。

 美味しいカレーを食べよう、と誘われて、一緒に野菜カレーとヨーグルトのシャーベットをを食べ、カレーのあとには居酒屋へ入って二十二時頃まで飲んでいた。平日なので早めに切り上げなくちゃ、と大通りまで歩いていた。

 それは、不意打ちだったのだ。

 今までずっと、それには気をつけていた。気を張り詰めて、耳から閉め出すようにしていた音だった。踏み切りの、警報機の音。

 草野くんとふたりで良い気分で話していたのでフラッシュバックに油断した。ふいに踏み切りと警報機が目の前に現れ、あの警告音が聞こえてきたのだ。黒と黄色の遮断機が下りてくる。その奥に人影を見た。気が。してしまった。息を呑む。いや、誰もいない。否、いないのか? いないのか? 死んだのか? 咲実が死ぬのか? わたしが助けられなかった? 電車が来る轟音。ああ、遮断機を持ち上げて滑り込まなくちゃ。今度はわたしが。わたしが死ななくちゃ。轢かれなくちゃいけない。早く。早く。速く。疾く。今、今、死ななきゃ。

 死ぬ。

 呼吸が苦しくなる。落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ、という思考自体が混乱している。いやだ、この音は、いやだ。今まで絶対身構えていたのに、不意打ちだ。足が震え、俯いて額に左手を押し付けた。

「咲良さん、どうしたの、咲良さん、」

 草野くんがびっくりしてわたしの肩に触れる。わたしがそのまま倒れそうになったので、下から支えてくれた。わたしの呼吸は乱れて止まらない。警報機の音。かん・かん・かん・かん……。汗が滲む。気が遠くなる

「咲実が、咲実が……」

 口走るわたしの両腕を、草野くんの両腕がつよく握った。

 

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