2015.08
15 ──何、してるの、──砂、見てる。
──何、してるの、
──砂、見てる。
小学生の頃、わたしは優等生を演じていた。咲実は、その正反対をいった。問題児。
わたしたちは毎朝、一緒に家を出る。手を繋いで、ランドセルをしょって。
早朝のしんしんした空気を吸い込みながら歩いてゆくと、唐突に咲実は云うのだ。
「サクちゃん、ぶらんこ乗りたいから先にいってて」
横を向くと公園があって、咲実はランドセルを投げ出して、わたしの手を離してしまう。
「じゃあね──」
明るい笑顔ではたはたと手を振って咲実は駆けてゆく。ひどく困った。わたしは茫然とその姿を見送り、二人分のランドセルを抱えてとぼとぼと登校する。今日は先生になんと云おうかと考えながら。
咲実は三時間目も終わった頃に、悪びれないかおで登校してくる。クラスの子どもたちが彼女を遠巻きにして近づいてこない。嫌われていたとかではなくて、馴染んでいなかったのだ。ぽつんとひとりで立っていた咲実に、わたしはどうすることも出来なかった。
──何、してるの、
──砂、見てる。
小学校で咲実を見つけるとき、彼女はよく地面に座り込んで砂を凝視していた。石英の粒が見つかると嬉しいのだと云う。
──ガラスじゃないの?
──違う、セキエイ。
咲実はまた云った。
──あのね、チェルシーのカケラみたいなのも、ある。
──チェルシー?
──飴の、チェルシーの、小さい、粒みたいなの。
大学で採点の仕事に呼ばれ、また数日出掛けていた。事務室の机に向かっていると、記憶がぜんぶ、模造記憶にすり替わってくるような気がする。咲実が最期に住んでいた家なんて、本当に現実味がなかった。
事務の谷口さんが、珈琲まだある、と云いながら入ってきたので、わたしは頭を上げて珈琲メーカを確認しようとして、窓の外を見て言葉を失った。
雪が降っている。
黒い夜空をバックに、白い景色。
くるくる、ひらひら、雪が舞っている。
うーん、とわたしは思った。うーん夏なのに、と。先刻まで、夜の蝉時雨まで聞こえていたのに。思わず窓際に寄り窓ガラスに手をついて身を乗り出して凝視した。
「咲良さん? どしたん?」
清水さんが片手で珈琲を注ぎながら不思議そうに云う。
「外でなんか、やってるん? 学生、なんか遊んでる?」
「……ううん、」
彼女は気付いていない。
わたしは振り向き、首を振りながら微笑んでみせる。
「この季節になると流しそうめんをするサークルがひとつやふたつは出るものやんね」
谷口さんは珈琲カップを片手にひとり頷いたりする。
雪景色はずっと消えなかった。谷口さんが車で送ってくれるというので甘えることにした。学外に出ると、上着の肩に白く雪が積もりつつあるのにも気付かずに、片手でひらひらさせながら明るいかおで、
「暑いねー。またクーラ入れたまま寝ちゃうなあ」
と云う谷口さんが、もの凄く奇妙な眺めだった。まさか雪降ってるからチェーン付けた方がいいよ、とも云えず、わたしはぼんやりとひとりで雪を見ていた。
夢で見た景色と似ていた。
記憶がセロファンに印刷したかのようにひらひら舞ってはフラッシュバックを見せつけて瞬時に消える。思い出せ、思い出せ、思い出せ。
車を下りてから、雪はいよいよ激しくなった。
わたしは肩を竦め、腕を抱えてコンクリートの階段を上がる。寒い。ざらめのような風が吹き付けてきて、全身震える。吐き出す息は白い。かちかちと歯が鳴るので噛みしめる。
吹雪の向こうには誰も見えない。この世にひとりのような感じがする。ひとりでとぼとぼと足を引き摺り階段を上がる。
いつのまにか何もかも知っているような、恐ろしいような、無気味な気持ちになっていた。全身がざわざわして、だんだん現実感が薄れていく。この光景には覚えがあるのだ。いつも似ている。手足の感覚がなくなっていくのは、寒さのせいじゃない。
四階まで上って、家の前にきて立ち止まった。ドアの前に、誰かがうずくまっている。白い夏服で凍えているそれは、
「──咲実?」
わたしは呼吸を整えて、努めて冷静に云った。ドアに背中をくっつけて、スカートに足を包んでさんかく座りをしていた咲実がわたしを見上げた。
「サクちゃん?」
わたしと同じ顔。わたしより色白で繊細な顔。頼りなげな瞳。がたがた震えて、寒さで涙目になっている。
さむかった、
寒さに目を潤ませて、咲実は云った。
わたしは溜め息を吐いて鍵を開け、彼女を部屋に入れた。
「いつから居たの?」
部屋中の電灯をつけながら訊くと、
咲実は震えたままソファに座り込み、ゆうがた、と云う。
あんなところに夕方から夜中まで座っているなんて。
「何か他の手段はなかったの? 事前に連絡するとか、時間を潰してから、もっと遅くにくるとか」
あきれて文句をつけながら、咲実らしい、と思った。無茶をする子なのだ。
咲実は口を尖らせる。
「夕方じゃないと駄目なのよ。昼と夜の透き間にすべり込むのよ」
「凍えてるじゃない」
「さむかったのよ」
彼女は自信ありげに主張し、けれども外を覗けば窓の外の雪景色は薄れている。窓を開けてみると、むっと湿った暑い空気が頬を撫で、虫の声が聞こえた。
夜に鳴くのは、あれは何の虫なのだろうか。蝉とも秋の夜に鳴く虫とも違う、何か別の虫なのだろうか。昼間の露骨な蝉の声とちがって、鈍くざらざらしていて変だ。
やがて咲実はゆっくりと溶け、髪から落ちる雫をぬぐって微笑んだ。
「ただいま、サクちゃん」
「おかえり、咲実」
窓を閉めて冷房をつけ、向き直ってからわたしは云った。
咲実がにっこりしてわたしの肩を抱いた。
「お風呂入ってもいい? お腹も空いているのだけど」
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