14 咲実が死んでいるのが見つかったのは、
咲実が死んでいるのが見つかったのは、井戸のなかだった。それはとても不可解な話だった。
その少し前に咲実は大学を辞め、両親と話さなくなり、西嶋という男のひとから経済的援助を受けていた。その頃の彼女は、はた目にもそれと判るくらい、どんどん調子が悪くなってきていた。車でも一時間半かかる、幾つかある西嶋氏の持ち家のひとつで独り暮らしをしていたのだが、それは立派な、けれども閉塞した感じの旧式日本家屋で、土蔵など見れば訪ねていったわたしにも否応なしに、座敷牢という言葉を思い出させた。そう広い家ではなかったが裏には暗く湿った林があり、件の井戸というのは庭にあった。
最寄りの駅のあった町の雰囲気が、田舎の伯母の家の近くの町のものに似ていた。だから咲実はそこを好きになったのだとわたしには解ったし、咲実も、似ているよね、とわたしに云った。
わたしは不本意ながら事実上彼女を監視するような状態で、週に二、三度はそこを訪れていた。記憶のなかでも奇妙な時期だった。濡れ縁で応接セットの丸い椅子に座って、庭を眺めながら咲実の出してくる飲み物を飲んだりしたものだ。そういうのは、普通に云って酷い茶番だった。ときを何十年か遡らせて、軽井沢だか何だかにいる没落貴族ごっこをして遊んでいるみたいだった。遊びたいわけでもないのに、そうして居ないといけないことや、あの不穏な優雅さとか、自由な時間は永遠にあって、そのくせ一秒たりとも満ち足りた安息はないこととか。物語のためだけに、やけに不幸になってゆく、古い嘘くさい映画のフィルムのなかに、閉じ込められたような感じだった。
井戸の遺体を見つけたのは、わたしではなく西嶋氏だった。彼は月に二、三度だけそこを訪れていた。
不可解だったのは警察の話で、彼女は井戸で溺死したのではない、ということだ。彼女がこときれたあとにどうやって躰が井戸に落ちたのかは、誰にも分からない。
綺麗な水の出る、良い井戸だったのだが。
良い水の湧く場所を穢してはならない、と、あるひとには云われた。そう云われても、それは咲実がやったことであって、わたしにはどうしようもない。だいいちわたしはそのとき何処に居たのだろう。
本当にわたしは思い出せないのだ。色んなことを、忘れているのだと思う。
そんな一抹の謎を残しつつも、時は経ち、西嶋氏はやがて井戸を埋め、家は処分してしまった。それ以後は知らない。あのひとは今はもう、六十代後半ぐらいだろうか。あまり深く話したことはないのだが、真面目そうなひとで、考え方やライフスタイルが贅沢だがシンプルなところには好感が持てた。咲実に対しては〝お砂糖よりも甘くて優しくて親切〟だった(と、咲実本人が云った)。あんな年齢になってから、わたしの姉のために複雑な体験をした彼に対して、わたしは少し申し訳なく思っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます