13 水のなかの思いで。わたしたちはふたりとも、……
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水のなかの思いで。
わたしたちはふたりとも、水泳は苦手だった。小学校の低学年の頃、プールサイドで泣きながら噎せ、咳き込んでいた咲実の姿を憶えている。夏休みのプールは、毎日通っているふりをして、何処かで時間を潰していた。
わたしは毎日律儀にも、監督の教師に出席カードにスタンプを押してもらってから、こっそり苦労してその場を逃げ出していた。咲実の方はそんな細かい芸はせず、さっさとひとりで場所を決め、座ってわたしを待っていた。例えば砂ぼこりの立ちのぼるグランドの隅の木陰で、あるいは校舎裏のアスファルトの日陰で。わたしと咲実は会話が弾むこともなく汗を拭いながら、本を読んだり、うとうとと眠ったりする。ふらふらと様々に縒れる、うすく果てしない考え事。太陽が動くにつれて形を変える日陰にあわせて少しずつ移動する。
「サクちゃん狡くない?」
咲実は責めるでもなく云う。カードのことだ。夏休みのプールに皆勤したスタンプがずらりと並べば、新学期に表彰されるのだ。でもわたしとしては、プールの存在をまるっきり──そしてあっさり、平然と──無視する咲実の方が、狡いと思っていた。
ほんの稀に気が向くと水着に着替えてプールに入る日もあった。けれども泳ぐのには程遠く、ふたりで水に浸かって蒸し暑さをしのぎ、涼んでいるだけの、まったく怠惰な二匹のさかなだった。そんな気になるのは、人数の少ない曇りの日が多かったと思う。でもわたしたちは更衣室も消毒液も嫌悪していたので──更衣室で濡れた水着を脱ぐときって死にそう、と咲実は云った──、そんな日は滅多になかった。
体育の授業でのプールに関していえば、咲実はやがて、唇が紫色になればプールサイドで休むのを許されるということを心得、時間の殆どをタオルを羽織ったままプールサイドで過ごした(そして実際、彼女はすぐ血の気の無い頬と、色の無い唇になって、がたがた震えていた、嘘ではなかった)。わたしはひとりで苦行に甘んじ、クロウルが少しだけ出来るようになった。
尤も、家の幼児用ビニルプールでは、よく並んで座り込んで涼んでいた。それはもう、〝幼児〟でなくなってからもかなり長いあいだ愛用していた。赤色で丸いプールだった。暑い午後には裏庭でプールを広げて貰い、下着姿でふたり並んでぺたんと座り、なかに浮かべていた如雨露とビニルのぷかぷかした金魚の玩具も、水のなかに落ちてしまって出られないままの夏の光も、プール底にプリントされたイラスト──知らない何かのキャラクタ、酷くよそよそしい──のうえで、みんなぼんやり水に浸かっていた。ふちにぐったりともたれ掛かりながら、プラスティックの小さな観覧車の玩具に如雨露で水を掛けると、滴をこぼしながらくるくると回った。
わたしたちは、海で泳いだことはない。夏休みの残りは田舎の伯母の家で過ごしたが、そこはどちらかといえば山と林の傍だった。
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