2015.06

7圖書室は靑い森でした。 もう日が落ちるのが早いので、

     

 圖書室は靑い森でした。

 もう日が落ちるのが早いので、讀書燈の橙があちらこちらで點きました。しかし本棚の林立する邊りは靑く、奧の方は眞つくらです。

 パネルラはジェイニの向かひの席で、天窻から落ちる僅かな光だけで色えんぴつを動かしてゐました。ジェイニが手を伸ばして、彼女の席の讀書燈も點けてやると、パネルラがかおを上げました。

「あ、氣附いてなかつた、もう暗かつたんだね。ありがたう」

 

    †

     

 草野くんと知り合ったのは六月だった。フルネームを、草野しんいちという。

 梅雨の合間の、夏場のような陽射しの日だった。わたしは所用で母校の大学へ出向いていた。

 大学のカフェで見つけた『パネルラ』というzineを、輪転機の回る横で読んでいたときだ。パネルラとジェイニというふたりの少女を主人公に置いた、『銀河鉄道の夜』へのオマージュ作品だった。浅葱色の紙に紺色のインクで印刷されていた。今、レジュメを印刷している輪転機は黒インキだが、このzineもカラーインキの使える輪転機で刷ったのだろう。

 印刷室に誰か入ってきて、あ、と云ってそのまま動く気配が無いのでかおを上げた。

「すみません今、五限のレジュメを刷っていて……」

 わたしが云い掛けると彼は、いや、と云った。いや、そうじゃなくて。

「あの、何回生の方ですか?」

 草野くんの口調は礼儀正しかった。わたしはわらってしまった。わたしが在校生に見えるだろうか。

「わたし、学生じゃないんです。卒業生」

 わたしがそれほど警戒しなかったのは、彼がわたしの苦手なタイプの男子学生ではなかったからだ。穏やかな感じ、丁寧な口調、染めていない髪。香水や整髪剤の臭いのしない男子。

「それ、『パネルラ』ですよね?」

「え、あ。はい」

 わたしがzineを見せようとすると、彼もその同じzineを抱えたファイルから出してみせた。

「夕方から講堂で『パネルラ』の朗読ライヴをやっているんですけど、来ませんか?」

 わたしは唐突なことを云う彼のかおを見直した。何処か見たことがあるような気もするが、初対面だ。

「あなたの入っているサークルなの?」

「や、あの、僕は……、いや、僕の友人がブッキングをしていて、まあ、集客を頼まれて、ですね……」

「なる、ほど」

「はい。そういう、こと、です」

 彼がにっこりしたので、わたしもにっこりした。それから、その日の夕方、講堂で一緒にライヴを観た。

 

 ロックバンドやら暗黒舞踏やら相変わらず無茶なブッキングが揃っているな、と思っていたら『パネルラ』の朗読も半分演劇のようなものだった。背の低い細い女子の歌った〝アヴェ・マリア〟が良かった。誰の作曲したものだろうか。シューベルトでもない。グノーでもない。

 

 何しろ学生時代は咲実についてのあれこれと休学と留年を含め院まで学んだ恩師であるので、アルバイトは断ることもなく、そのうえ草野くんとまで知り合って良い六月だった。雨の日は市バスで、降っていなかったら自転車で母校に通っていた。

 そういえばあの期間は朝まで飲酒していることは無かった。そして箍が外れた、ということか。

 

    †

    

 ジェイニは眼をひらきました。圖書室の森でつかれてねむつてゐたのでした。靑い森のなかの樹々の育ちや草花の見廻りにきた賢治先生が、長い棒を支へて天窻の幕を下ろさうとしてゐました。

 夜になつてゐたのです。

「賢治先生、パネルラは何處へいつたのでせう、」

 ジェイニはゆつくりと身を起こして云ひました。

「ジェイニ、パネルラはもう、戾らないかも知れないね」

 賢治先生はしづかな眼差しで答へました。

「ネルリの火傷は大丈夫だらう。パネルラがかばつて救つたのだよ」

 ジェイニはいろいろなことで胸をいつぱいにしながら、今までの夢が映つてゐた花崗岩の机の上に落ちる星明かりを見て、いつまでもすべてを心に留めておかうと思ひました。

 それから、銀河ステーションまで賢治先生と一緖に步いてゆき、鐵道に乘つて家路に着きました。

 

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