4昼を過ぎるとわたしは、伯母の家の外のブロック塀に

 昼を過ぎるとわたしは、伯母の家の外のブロック塀に腰掛けて従兄弟たちが帰るのを待つ。毎日、何処にいるのかも知れない蝉の啼き声が降り注ぐなかで、ぼんやりと。そして、茫然と。

 郵便配達人の赤いバイクが、曲り角のオレンジ色の反射鏡のなかを丸く横切っていく。空が姿見のようになめらかで、この世界が端からとろとろと銀色に融解しつつあるような錯角を起こした。けだるい大暑。

 サクちゃん?

 伯母がわたしを呼びながら出てきて、日焼けするよと云い、わたしのあたまに麦わら帽子をのせていった。ありがとう、と呟いて広いつばに触れる。芳しい匂い。麦わらの目の隙き間から細かな光が落ちてくる。静かだ。無音だ。どんどん遠くなる。

 空と自分との距離がどれくらい近いのかわからなくなる。意識がゆっくりと膨らんでいき、それからすうっと収束する。やがて蝉の啼き声が戻ってきた。

 あのとき、腰掛けていたブロック塀の上──それはとてもとても高い所だ──から、わたしは跳んだ。躰は不格好に宙を泳ぐことも出来ず地面に落ちた。額が割れてわたしは目を開いたまま背中の裏側に地面を感じて死体になった。黒い蟻が行列を成してやってきて、開いたままだった瞼を閉じてくれた。割れた額から血が流れている。黒い蟻は、葬列のための虫なのだ。

 目を開く。まだ生きている。

 いつになったらこの世から出られるのだろう。今日もブロック塀から飛び降りた錯覚を繰り返し額や躰は幻の痛みに苛まれる。

 でも、まだ生きている。

 夏の花が好きな人は夏に死ぬ。誰かの小説に書いてあった言葉。

 夏の花は炎天下に立つ。黄ばんだ葉をじりじりと焦がし、おそろしい勢いで白く乾いた土に水を求め、吸い上げる。ああ、とわたしは願う。

 夏に死にたい。

 先のひとが、花の下にて春死なん、と願ったように。 わたしは静かに切望する。

 夏の葬列。黒い服を着て汗を拭う人々に、扇風機がかたかた回る。果物を剥くお婆さんの手付き。墓地に咲いていた夾竹桃。ざあっと風が吹いて、卒塔婆が音をたてる。

 わたしは夏を深く愛す。恋い焦がれる。

 ひんやりとして薄暗い台所でカルピスを飲む。白灰色の冷蔵庫にもたれて。ガラス細工の白鳥が付いたかき混ぜ棒が綺麗だ。カルピスを混ぜる時の、氷と軽やかにぶつかりあう音も綺麗だ。

 くじらが落ちて来ないかな、と想像した。

 巨大なのに流麗なくじら。

 駄菓子屋を出て、今にも融けそうなアスファルトの道を歩く少年たち。白いTシャツと日に焼けた細い手足の、尻込みしたくなるくらいに健全な少年らしさを持つ、わたしの三人の従兄弟たちだ。粗悪な感じの棒付きアイスを齧っている。純度の高い、空と水と砂糖のソーダ味。

 やがて彼らは空に見える何かに気付く。鳥のようだが鳥ではない、次第に大きくなっていくその影は、くじらの降臨だ。

 ──くじらだよ。

 末の弟が空を指差して云う。

 ──ばっか、そんなもの……。

 年かさの二人は笑い飛ばそうとするけれど、空を見上げて理解する。本当にくじらだ。

 想像してわたしは一人で笑った。そう、本当にくじらが落ちてくるんだよ。

 この島の夏。埃っぽい道路に響くクラクション、長距離トラックのミラーに映る入道雲。何処かを見つめてビヤホールに並ぶ大人、いずこも同じテレビ番組が吐き出される昼下がり。塾の冷やし過ぎた教室で勉強する子どもたちと、重たい鞄。ラジオのノイズ。電波のノイズ。

 もうすぐ巨大なくじらが落ちてきて、何もかもを一緒くたにしてしまうだろう。押しつぶされてしまうこと──それもたいしたことではないのだけれど──に、彼らは最期の一瞬だけ騒ぐかも知れない。

 最初にくじらを見つけた三人の少年は、何もせずに美しいくじらを見上げている。ぼんやりと口を開けて、ソーダアイスがだらだらと溶けていくのにも気付かずに。

 大きな青黒いくじらの影が、悪夢のように青空を覆い尽くす。白昼夢。

 ──わたしはわらい、冷蔵庫の扉を滑り落ちて足を投げ出して床に座った。落ちてくるくじら。台所の床は冷たくて、窓の外は白く、眩しすぎて見えない。

 従兄弟たちはまだだろうか。早く帰って来ればいいのに。

 わたしは、ゆっくりと目を閉じた。

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