第15話 ヒトガタ種


「ま、まさか、あんたが倒したの?」


 カオリが言った。彼女はニーナとともに怯えが混じった視線を顔面幼虫野郎の死体に向けていた。

 床に流れ出ていた大量の青白い体液が腐ったような黒色に変わっていく。俺は答えた。

  

「う、うん。っていうか、無我夢中だったから、よくわかんないんだけどさ」


 実際、いきなり視界がスローモーションになったり、自分の立ち居振る舞いがあまりにもスムーズだったりと、どうにも他人事のように現実感が欠落していたのだ。


「そ、そんなの嘘でしょ? っていうか、この禍憑きがメチャクチャ弱かったってこと?」とカオリ。

「いえ。この禍憑きは明らかに直立二本足歩行というヒト以外の生物には不可能とされる機能構造を有していました。ヒトガタ種に間違いありません」とニーナ。


 二人はそう言って黙り込んでしまった。妙な間が嫌だったので、俺は素朴な疑問について訊ねてみた。


「えっと、ヒトガタ種って何なのかな?」

「…ダンジョン探索の最前線で最も恐れられている禍憑きの一種です。『ヒトガタに出会った場合は即時撤退』、この一文はすべての迷宮探索隊員が胸に刻み込んでいる絶対則のひとつです。幸運にも生き延びられた隊員達の報告によって、ヒトガタ種は昆虫類や齧歯類など複数の頭部構造を有することが伝えられています」


「やっぱり何かの間違いよ。昨日候補生になったばかりの素人がSランクの禍憑きを倒せる訳がないわ」


 そりゃあカオリの言う通りだろ。この俺様は戦闘経験どころか、口喧嘩さえろくにしたことがない。あれがSランクの禍憑きだったら、俺の方が瞬殺されているはずだ。


「…いえ、それが間違いではないと思われる事実があります。つい先程、私は自分のUBDユニットで確認したのですが、レベルが5つ、それに技能階位が2クラスもあがっていました」

「はああ? なんでニーナのレベルと技能階位が…」


 はっとしたカオリがいきなり左腕を目の前に動かした。自分のUBDユニットでステータスを確認しているらしい。


「…なんなのよこれ? 私もレベル7だし、技能も『4』になってるんだけど?」

「ヒトガタとの戦闘時、私達はあれ程の距離を取っていました。それなのに、レベルも技能階位も揃って急上昇したということは、あれが斃死した際、この空間に莫大な量の禍巫力が撒き散らかされたものと推察されます。禍巫力の収着に関してはヘンリー・デイビッド・リー理学博士が構築した数式、V = - N/Δ2ΦΔーt3>45D で計算できます。ここに30メートルの距離をあてはめると、あのヒトガタの禍巫力総量はおよそ23,148,000強となり、その数値を一般的なレベル判定チャートに照らし合わせた場合、想定レベルは58から60に相当します」


「ご、58から60?」カオリが怒ったように言った。「っていうか、レベル60の禍憑きなんて、ベテランのラビリンスウォーカーでも無理ゲーの世界じゃない?」

「まあ、確かに無理ゲーですね」


 ニーナがクスリと笑った。と、その瞬間、俺はドキリとしてしまった。どこか冷たさを漂わす外国人美女がいきなり微笑んだ時の可愛らしさといったら、それこそハンパじゃなかったのだ。って、不意打ちでこんな笑顔を見せられたら、男族はみんな一瞬で惚れてしまうだろ。俺はニーナから目が離せなくなってしまった。


「とにかく、なにもかもがまったく現実的ではありません、以前、レベル40台の精鋭を揃えた米軍のパーティが、レベル48のヒトガタを8時間に及んだ激闘で斃した討伐記録を読んだ記憶がありますが、ソロでヒトガタを討伐したという記録は一度も目にしたことがありません。というよりも、ヒトガタ以前に、レベル60の禍憑きをソロで討伐できる人間など、『Hole Day』以後、誰一人として存在していないと思われるのですが…」


 ニーナが疲れたといった様子で深いため息をつき、胸に当てていた合金プレートを外して床に置いた。

 うわっ、…こりゃまたすげえ。

 ぴったりと身体にフットしたボディスーツが、かの菊池先生とタメを張る巨大バストの形状を、まんまぴっちりシルエットで伝えてきたのだ。


 で、でかっ。というか、ちょっとした仕草だけで、たわわ過ぎるふくらみがぷるるんと柔らかそうに揺れているのだ。思わずゴクリと生唾を飲んでしまった瞬間、いきなりニーナが切れ長の瞳を真っ直ぐ俺に向けてきた。


「あなたは何者ですか? 歴戦の勇士なのですか?」


「ゲホッ!」またしても不意を突かれ、俺はむせた。しかも激しく。


「なにやってんのよ、ったく、ホントに馬鹿なんだから」


 そう言いながらも、カオリがむせ込む俺の背中を叩いてくれた。って、バシバシと痛い。これってかなり力が入ってないか? もう少し優しく叩いて欲しいんだけど。


「…ねえ、正直に言いなさいよ。あんた、一体どんな卑怯な手を使ったの?」


 カオリが下から覗き込むようにして、キラキラした瞳を向けてきた。

 って、疑うような、どこか怒ったような輝き。こんな近い距離で彼女とぴったり目を合わせるなんて、何年ぶりだろう? 胸の深いところがズキリと痛み、俺はあわててしまった。


「えっと、卑怯っていうか…、そういえば、無我夢中で抵抗したら足がズボって入って、奴が勝手にひっくり返ったっていうか、警棒をビシッと振ったら、奴の足がスパって切れたっていうか…」


「あんたねえ、そんなのちっとも説明になってないでしょ?」

「そ、そう言われても、自分でもよくわかんないんだよ」

「はあぁ? よくわからないのはこっちなの。あんた、一体レベルいくつなの?それに何の技能を持ってるのよ?」

「それもわかんないんだよ。UBDユニットのバクで何も表示されないんだ」

「バグ? なにそれ?」


 俺はそう答えながら試しにUBDユニットでステータス画面を立ち上げてみた。って、いきなり全面にわたって赤い文字が瞬いた。

 

『我再構築中』


 おわっ。

  …これって、俺に注入されてしまった『超微胞』とかいう正体不明のシロモノがやってるのか?

 って、いきなりコイツが現れるなんて、レベルどころの話じゃないわ。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る