第14話 窮鼠猫を噛む?


 俺は腰を抜かしてその場に尻餅をついてしまった。

 顔面幼虫野郎が俺にのしかかって来る!

 おわわっ、怖い! 死ぬ! ヤバい! って、これ以上、俺に近づくんじゃない!


 悪臭の塊のような臭気に、俺の目と鼻が悲鳴をあげた。顔面すれすれに迫った奴の牙がカチカチとうれしげに鳴っている!


 クソっ、コイツは俺を喰う気なのだ。ちくしょう、簡単にやられてたまるか!

 うおああっ、とにかく俺は必死に足をジタバタさせた。無我夢中のパニック状態で。

 来るな!あっちに行きやがれ! これこそ最後の抵抗って奴だ。


 と、その時、いきなり『ズボッ』と音がした。

 俺の右足の裏が、奴の腹部にきれいに入ってしまったのだ。

 深々と刺さったというか、奥の奥までめり込んだような異様な手応え。

 その途端、顔面幼虫野郎が扉の手前まで勝手に吹っ飛び、まるでバンザイをするように両手をあげてひっくり返った。

 

 へっ?

 まさか、今のジタバタが効いたのか?

 顔面幼虫野郎がいやらしい節のある青白い腹部を見せ、起きあがろうともがいていた。

 逃げるなら今がチャンスだ! って、そう思った次の瞬間、どこにも逃げ場がないことを思いだした。しかも、ここにはカオリ達がいるのだ。


 俺はハッとして二人の姿を探した。カオリとニーナは向こう側の壁際で固まり合い、怯えた表情をこちらに向けていた。その時だった。


「クパアアァァッ!」


 顔面幼虫野郎の口らしき裂け目が大きく開き、緑色の液体を吐き出した。

 途端に俺は直感的に理解した。って、細かい理由なんかわからない。だが、コイツが吐き出したものに触れたら最後、まず助からないってことが。


 パチンと何かのスイッチが入ったかのように、いきなり俺の視界がスローモーションと化した。

 緑色の液体が宙で爆ぜる。

 細かくなった飛沫が四方にぶちまけられる。まるでスロー再生された高速度撮影の映像のように。


 俺は避けた。というか、避けることはまったく難しくなかった。これも理由は不明なのだけれど、当たらない位置と身体の動かし方が直感的にわかったからだ。


 奴が吐き出した液体はすべて床にぶちまけられ、あちこちに焦げるような煙柱を立てた。って、あんな劇薬みたいな代物が身体にあたってたら、洒落になんないだろ。


 とにかく今、何よりもはっきりしたことは、『コイツを殺らなければ100%俺が殺られる』ということだった。もちろんその次はカオリ達の番だろう。


『俺は戦わなければならない』


 俺は自分自身が極めつきの臆病であると思っていたのだが、追い詰められて覚悟が固まったというか、妙に冷静にその言葉を受け入れることが出来てしまった。ええと、そう言えば『窮鼠猫を噛む』だっけか? こんな俺だって、やらなきゃならない状況に追い込まれれば、それなりに頑張れるらしい。


 そうだ、何か武器になるものは…? って、最初から腰元に警棒があっただろ。


 俺は初めて警棒を手に取り、抜き放ってみた。

 これは折りたたみ式だ。手首で素早く振ってみると、一気に三倍の長さになった。

 なんだか頭の方よりも身体の方が使い方を理解しているような不思議な感覚。初めて警棒に触れたはずのに、妙に手に馴染む。

 

 さらに、何もない目の前の宙に、楕円形の軌跡が浮かんでいるような感覚。

 俺は直感的に理解した。それをトレースするように警棒を振ればいいのだ。

 もっと鋭く。もっと速く。

 俺は素振りを繰り返した。徐々に風切り音が鋭くなっていく。ますます警棒がしっくりくる。


「グシャアアアアアッ!」


 いつの間にか顔面幼虫野郎が立ち上がっていた。

『やってやる』と心を決めて奴に向き合った時、眉間の中央に黒い渦が巻き起こった。ダンジョンに向けて索敵を飛ばした時よりも、荒々しく禍々しい螺旋型の奔流が巻き起こった。それが右手に流れ出し、警棒を握りしめた手の平から、警棒の先へと伝わっていく。


 いまや警棒全体が黒い瘴気のようなものを放っていた。

 まるで俺の殺意が乗り移ったかのように。


 いきなり顔面幼虫野郎が真正面から突進してきた。

 避けようと思えば避けられたが、この後、コイツがカオリ達の方へ突き進んでしまったら洒落にならない。


 俺は脇に屈み込み、忙しく動き回る奴の足に向けて警棒を振るった。


 スパリ。何の抵抗もなく斬れた。

 

 切断された奴の両足首が青白い体液をまき散らしながらグルグルと宙を舞う。

 そして奴自身も、そのままの勢いで床に激突し、派手に転げ回った。


 って、なんで警棒なのに刃物みたいに容易く斬れる? さっぱり訳がわからない。もしかして、これが巫力の発動って奴か? まあ、顔面幼虫野郎は無様な格好で床で這いつくばっているし、これはこれで結果オーライだろ。


「グヤャアアッ!」


 気色の悪い叫び声が響き渡った。

 俺は背後から近づき、問答無用で奴の首を断ち切った。


 幼虫面がゴロゴロゴロと床に転がり、すぐに止まった。

 やっぱり警棒なのにスパッと斬れる。というか、終わりだった。まったくあっけなく。
















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