第3話 特選クラス


 体育館の地下3階にある大きな扉。

 しかも何かの合金で出来ているような無骨さ極まりない金属製の四角い扉。

 その真ん前で俺は深い溜息をついた。


 どうにも展開がわからなすぎる。って、とにかくここが特選クラスの教室らしいのだ。


 結局、昼休みの間も特選クラスがどこにあるのかクラスメートに聞くことが出来ず、職員室で教えてもらってやって来たのだが、こんな地下深くに教室があるなんて、どうにも嫌な予感しかしない。しかも特選クラスは一年にだけにあり、二年や三年には存在しないらしいのだ。


 やれやれともう一度溜息をつき、扉に手を伸ばした時だった。

 いきなり目の前の扉がガチャリと音を立て、真横にスライドして開いた。

 と、そこには橋本香織が立っていた。これこそまさに鉢合わせってやつだ。

 

 はっきりと二重を描く大きな瞳が、きょとんと俺を見つめてくる。

 程よい160センチ程のスリムな身長。それでも結構なサイズであることをにアピールするバストのふくらみ。短くお直しした制服のスカートから大胆に見せる太もも&足首へと続く絶妙な曲線美。キラキラと輝くような美少女オーラをまとう橋本カオリは、同学年の男子から絶大な人気を誇っていた。


 というか、俺の知っているカオリは1年C組のクラス委員を務めていたはずなのだが、いつの間にか特選クラスの一員になっていたらしい。


 カオリの驚いたような瞳の輝きがすぐに濁り、拒絶するような冷たい色合いに変わった。

 そう、実は俺と彼女は幼稚園児時代の頃から顔なじみだったりするのだが、ある時から、俺だけが徹底的に嫌われているのだ。


「ここは特選クラスよ。あんたが何の用なの?」って、予想通りのヒンヤリとした声。

「え、えっと、それが、今日の午後から特選に行けって言われてさ」


 カオリの瞳が俺の襟元に向けられた。俺も彼女の襟元に目を向けた。例のバッジは俺の色とは違って、暗い紫色に輝いていた。


「あんたが深緋?」


 カオリの瞳がさらに冷たく輝き、その目元が嘲るような笑みを形づくった。


「…ふうん、よかったじゃない。イヤらしいあんたなら、さぞかし大喜びしたんでしょうね?」

「はああ? 大喜びって、意味わかんないんだけど?」

「とにかく、あんたが特選だろうが私には何一つ関係ないわ。今後は一切、私に話かけないで頂戴」


 カオリはそう言い切ると、スタスタと俺の前から早足で去って行った。

 俺は彼女の後ろ姿を見送った後、仕方なく教室に入り、ズッシリとした手応えがある扉を閉めた。


「あぁ? なんだぁ、おめえはぁぁ…?」


 いきなりDQN言語が飛んできた。

 顔を向けると、逆立った赤髪のデカい奴がじっと俺を睨んでいた。

 糸のような細眉の右側に二つ、左側に一つ、大小のリングピアスが通してある。

 だらしなく着崩した制服といい、粗暴そうな悪人面といい、幼稚園児でも即近づいてはいけないお兄ちゃんだと判別できてしまう人種だった。


「なんでこんなアホ面の奴が、特選に入ってくる? あぁ?」


 奴は座っていた席を立つと、ぐいぐいと俺に迫ってきた。

 って、特選の教室は変わっていた。天井が異常に高く、広さが普通の教室に比べて倍以上。また教室の真ん中から後方は、ほとんどの面積を板張りの道場らしきものが占めていた。思い立ったら即座に立ち会いなんかが出来てしまうだろう。


 生徒達は前方の黒板の前に机を並べて座っていた。

 ざっと見た感じでは、15人程の少人数で、男子の方が多いらしい。また栗色の髪や顔立ちから明らかに外国人だとわかる女子も混ざっていた。その全員の視線が俺に向けられていた。


 俺の目の前にやって来た赤髪ヤンキーがわざとらしく屈み込み、俺のバッジを覗き込んだ。まるで嫌な臭いでも嗅ぐように。


「おまえが特選? はは、しかも、こんなまぬけ面の奴が、深緋だぁ? ふざけたジョークだよなぁ?」


 ヤンキーの色はカオリと同じ暗い紫色だった。どうやらバッジの色は、何かのレベルを示しているらしい。


「まっ、とりあえず、あっち行こうぜ」


 ヤンキーが道場の方に顎をしゃくった。

 

「腕試しだよ。おまえよりも格上の俺様が、深緋の等級が本物かどうか見極めてやるって」


 はあ? って、いきなり道場で何をする? 俺には武術の類など全く経験がないのだ。

 しかし赤髪の奴は遠慮なく俺の肩を小突くと、ズカズカとそのまま道場にあがり込んでしまった。


 いきなり俺に向かって何かを放り投げてくる。

 あわてて掴んでみると、それは竹刀に似た代物だった。って、これで何をしろと?

 その場でためらっていると、急に後ろから突き飛ばされた。


「とっとと行けって」


 振り返ると、ギャル系の女が立っていた。

 浅黒い肌に、アイラインを際立たせたメイク。襟元のピンバッジが水色に輝いている。整った顔立ちをしているし、可愛いことは可愛いのだが、どこか人を小馬鹿にするような笑みに、無性にイラッとさせられてしまう。


 コイツが俺を突き飛ばしたことは間違いがない。即座にクソビッチという言葉が浮かんできてしまった。

 

「ほらほら、黙ってないで、早く行けってーの」


 クソビッチが無遠慮にあおりたててくる。しかし無力な俺は何の抵抗も出来ず、道場まで追い立てられてしまった。って、目の前で赤髪ヤンキーが刀をかまえていた。


「ほらぁ、避けてみせろよぉ?」


 いきなりだった。

 赤髪ヤンキーが打ち込んで来たのだ。

 その瞬間、首筋にヒヤリとした違和感。

 俺は左足を後ろに引きながら身体を真横に動かし、剣先を避けた。


『バシィィ!!』


 空を切った刀が床を激しく叩いた。

 ものすごい振りだった。ギリギリで避けた顔面に、ふわりと生温かいそよ風。これが風圧って奴か?


「へええ、一応はやるみたいだな。ま、今の大振りは避けてもらわなきゃ、話にならねえけどなあ」


 俺が今のを避けた? って、なんでそんなことが出来る?

 いやいやいや、そんなことよりも、今のを避けなかったら、俺の身体はどうなっていたのだ? ツーっと背筋に冷たいものが流れた。と、その時、クソビッチが不満げに言い放った。


「今のはマグレっぽいんじゃね? もっとビシッとキビしく打ち込んでみよーよ」


 俺は即座にこのクソビッチを敵認定した。 


「よぉーし。今度はマジで行くからな。出来るもんなら、避けてみせろよ?」


 赤髪ヤンキーが楽しげに刀を握り直し、腰を落とした。

 ちくしょう! なんで俺がこんな目に遭わなければならない? あまりにも理不尽すぎるだろ。

 東京ダンジョンに、金髪の不審者に、特選クラス。なんでこんなに訳がわからないことばかりが続く?

 この赤髪ヤンキーも、クソビッチも、いきなり俺に何をしてくれるのだ? もう一秒だって我慢できない。


 目の前の刀が動いたのと同時に、俺の身体中の血液が一気に沸きあがった。


 その時、パチンと何かが切り替わった。

 いきなり視界がスローモーションに変化する。

 赤髪ヤンキーが刀を振りおろそうとしていたが、その動作が妙にのろい。こんなものは楽に避けられる。

 

 『喉だ』


 赤髪ヤンキーが無防備にさらしている弱点、喉仏。今すぐ楽に手が届く。あそこを刈り取れば一瞬で終わる。


『そうしてやる』と奴の喉に右手を伸ばしかけた時、凛とした声が俺の動作を止めた。


「何をしているのですか?」


 目を向けると、中年男が立っていた。

 白いワイシャツの右袖だけがだらりとぶら下がって揺れ動いている。…いや、右腕がないのだ。


「い、いよう、斉藤先生。来るのが早すぎだって。まだチャイム鳴ってないじゃん?」


 そう言って赤髪ヤンキーが竹刀を床に投げ出した。


「赤石くん、私は『何をしていたのか?』とあなたに尋ねているのです」


 斉藤先生と呼ばれた男は、どうにも地味な印象で、まったく教師然としていなかった。

 銀縁の眼鏡にくぼんだ両頬。右腕のない痩せこけた身体。四十代か五十代か? 教師というよりも用務員と呼ばれた方がしっくりくるかもしれない。


「や、やだなあ、斉藤先生、そのマジ顔、怖いから止めてって。こんなの、ただの遊びなんだからさぁ」とクソビッチ。

「そ、そうなんだよ。見慣れない奴が教室に入ってきたから、技量を確かめようとしただけだって」と赤石と呼ばれた赤髪ヤンキー。


 二人ともしどろもどろになっていた。まるで何かに怯えるように。まさか、この先生が怖いのだろうか?


「…なるほど」


 斉藤先生はそう言うと、俺をじっと黒い瞳で見つめてきた。

 奇妙な違和感。心の中を見透かされているような不思議な感覚。


「君が編入生の永澤君ですね。特選クラスへようこそ」


 って、この男は用務員や先生なんかじゃない。中身がまったく違う奴だ。人というより何かもっと禍々しくて危険なもの。俺の首筋がチリチリと警報のような感覚を激しく伝えてくる。


「とにかく、今日は予鈴が鳴る前にクラスに来て正解でした」


 斉藤先生はそう言うと、俺の右肩に手を伸ばしてきた。全身が激しく緊張したが、次の瞬間、俺はポンポンと肩を叩かれていた。ビクッと身体が反応してしまったが、何事も起こらなかった。


 斉藤先生が小さくうなずいた。

 ふうう。俺はかなり力んでいたらしい。息を吸って吐き出すと、全身の筋肉が弛緩していくことがわかった。


 その時、予鈴のチャイムが鳴った。

 斉藤先生が人の良さそうな笑顔を見せ、赤髪ヤンキーとクソビッチに話しかけた。


「二人とも、危ないところでしたね。大きな事故にならなくてよかったです」



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