第13話 【番外編 】初恋

これは、この国の王太子であるアレクシスと倭国の皇女シラユキが正式に婚約して3年程過ぎた頃のこと。






「今日も疲れたわ……」


 セレーネは王城から帰ってくるなり庭の芝生にごろんと寝転がりため息をついた。


 行儀は悪いと思うが少しくらいは許して欲しいです。なにせここ最近は毎回顔を合わすたびにあの馬鹿な婚約者が馬鹿なことばかり言ってくるからその対応に非常に疲れるのですわ。


「お嬢様、お行儀が悪いですよ」


 侍女であるアンナはお茶の準備をしながら嗜めてくるがこの行為を無理にやめさせようとはしませんわ。私がどれだけ疲れているかを1番よく知っているからだろうけれど。


「そんなにお疲れになるくらいなら、旦那様に言いつけてはどうですか?」


「そうもいかないわ……。きっと今回も数日のうちに撤回してくるでしょうし、なによりあんなくだらない理由で婚約破棄を宣言された。なんて言ってもお父様を困らせるだけよ」


 それにあの馬鹿な婚約者が多少叱られたくらいでどうにかなるなら苦労しないです。なによりも婚約者のちょうきょ……ゲフンゲフン、教育も私の仕事のひとつだと言われたらそれまでですもの。


「本日はドレスの色がお気に召さなかったようですね」


「そうね、これ気に入ってたのだけれど……オスカー殿下のいない所で着ることにするわ」


 そう、今日は私の着ているドレスが気に入らなかったようで「それを脱いでこっちを着ないと婚約破棄するぞ!」となにやらキンキラリンのド派手なプラチナ色のドレスを投げつけられたのですわ。

 そしてなにをトチ狂ったのか私が今着ている淡い紫色のドレスのレースを思い切り引っ張ったものですからびっくりしました。まぁ、ルドルフが後ろ足でオスカー殿下を蹴飛ばしてくれたので気絶している間に帰ってきたのですけれど。


「それにしてもあのドレスどうしようかしら……」


 申し訳ないですがあんなド派手なドレスなんて私の趣味ではありませんわ。なにせ刺繍もプラチナ色、装飾のビーズやリボンもプラチナ色で所々にダイヤまでついてて光を反射するくらいキンキラリンでしたのよ。あれじゃ歩くミラーボールです。チカチカして目が痛いったらないですわ。

 まさかあれを着てパーティーに参加しろなんて言わないでしょうね……。と、想像したら威張りながら言いそうだなと思ってしまい深いため息が出てしまいましたわ。


「おや、ため息なんてついてどうしたんですか?」


 突然聞き慣れた声が耳に届き、驚いて顔をあげるとそこにはなんとハルベルト殿下がいらっしゃいました。


「は、ハルベルト殿下?どうしましたの?」


 私は慌てて起き上がりドレスについた葉っぱを払った。こんな芝生に寝転がってため息をついている姿を見られるなんて恥ずかしいですわ!


「突然申し訳ありません。実はあなたの忘れ物をお届けに来たんですが……」


「え?」


 まさか第二王子が弟の婚約者とはいえ公爵令嬢の忘れ物を届けて下さるなんてあり得ない状況に軽くパニックになりました。だって普通なら使用人に届けさせるとか、ましてや私は定期的に王城に出向いていますからその時に渡すものですもの。


「も、申し訳ありません!私ったらなにを忘れて――――」


「これなんですが、どうやら壊れてしまっていて……」


 そう言って手渡されたのは私が今日つけていた花飾りのついたピンブローチでした。レースを留めるためにつけていたのですけれどいつの間に取れていたのでしょう、全然気付きませんでしたわ。……あぁ、たぶんオスカー殿下に引っ張られた時ですわね。留め金が曲がってますし装飾の花弁が欠けてしまっています。もう使えませんわね。


「こんな物にお手間を取らせてしまい申し訳ありません……。でもお気に入りの飾りでしたので嬉しいですわ」


 ハルベルト殿下からピンブローチを受け取りお礼を言うと「それで」と小さな小箱を渡されました。


「よかったら、これを受け取って下さいますか?」


「これは……?」


 箱の中には小さなピンブローチが入っていました。真珠と銀細工を施したシンプルだけど上品なもので、とても素敵ですわ。


「もしかしなくても、このピンブローチを壊したのは弟ではないですか?あれは少々元気過ぎるところがあるので婚約者のあなたにもご苦労をかけていると思いまして……。もしご迷惑でなければこれを受け取って下さい」


 オスカー殿下が会うたびに婚約破棄を宣言しては暴れていることは誰にも言っていません。シラユキ様や使用人にも口止めしていますし、婚約破棄を訴えられていることは知られていないと思いますが……もしかしたら疲れが顔に出ていたのかしら?そうだとしたら私もまだまだですわね。


「このような素敵な品を……ありがとうございます」


「気に入って頂けましたか?」


「はい!すごく嬉しいです!」


 思わず自然に笑みがこぼれてしまいました。あ、いけない。ちゃんと令嬢らしく淑女のお礼をしなければいけないのにこんなにはしゃいでしまっては、はしたない子だと思われてしまいます!


「良かったです」


 しかしハルベルト殿下は私を嗜めることもせず、にっこりと微笑んで私の頭を優しく撫でて下さいました。灰色がかった銀髪がサラリと揺れたのを見てこの銀細工のピンブローチと同じ色で綺麗だな、と思ってしまい不覚にもドキリと胸が高鳴ってしまいましたわ。

本当なら婚約者以外の男性からプレゼントなんて受け取ってはいけないのでしょうが、相手はオスカー殿下の兄で第二王子です。断る方が失礼ですわね。なにより、こんなに素敵な物をプレゼントされたのは初めてだったのですごく嬉しかったのですわ。


 それにしてもこんなに素敵な品物を贈られるなんて他の令嬢なら勘違いしてしまいそうですわね。でも、ハルベルト殿下はオスカー殿下のお兄様で私がこのままオスカー殿下と結婚すれば義理の兄になる方です。それにハルベルト殿下は昔から私を実の妹のように大切にしてくださってますし、これは兄から妹へのプレゼントのようなものですわ。

 それに私はひとりっ子ですから、もし兄弟がいたらハルベルト殿下のような兄が欲しいとずっと(今も)思ってますし、こんなに素敵なお兄様がいらっしゃるオスカー殿下が羨ましいです。



 ハルベルト殿下がお帰りになったあとも、銀細工のピンブローチを見つめていると笑みが止まりませんでした。


「さすが第二王子殿下でございますね、素晴らしい紳士です」


 いつもオスカー殿下のわがままっぷりを見ているアンナは「同じ遺伝子を持っているとは信じられません」と誰かに聞かれたら不敬で捕まりそうな事を堂々と口にします。困った侍女ですわ。


「どうせなら、ハルベルト殿下の婚約者になられたらよろしかったのではないですか?」


「アンナ、私とオスカー殿下の婚約は王命なのよ。それにハルベルト殿下は将来国王の補佐役となることが決まっておいでだから、公爵家に婿養子になんてこれないわ。私が婿養子を取らねば公爵家が途絶えてしまうのよ」


「お嬢様はまだ10歳ですのに、枯れてますね」


 失礼ね、枯れてませんわ。ちゃんとハルベルト殿下のおかげで今は潤ってます。


「いいのよ。それに、将来ハルベルト殿下が義兄になって下さるんだからそれだけで幸せなことだわ」


 アンナがため息混じりに「お嬢様がそれでよろしいのでしたら」と諦めたように呟いたのを見て心配をかけているなと反省しましたわ。


「……そういえばお嬢様はご存知ですか?ご令嬢たちの間では恋人や婚約者の髪や瞳と同じ色のアクセサリーやドレスを身につけるのが流行なのだそうですよ」


「まぁ、そんなことが流行っているのね。どんな意味があるのかしら?」


「なんでもその方の色を身につけることによって“あなた色に染まってます”と言う意思表示だそうです。殿方の独占欲が満たされるらしいですよ?」


「ふーん?」


 殿方の独占欲ねぇ?そうゆうのってよくわかりませんわ。噂を聞こうにもまだ令嬢友達がいないですし。


 そんなことを考えながらアンナが淹れてくれたお茶を飲み、ハルベルト殿下にもらったピンブローチをぼーっと眺めるとオスカー殿下のせいでゴリゴリに削られた精神がちょっと回復した気がしました。


「……あら?そういえば、逆に殿方が自分の色をした身につける物を贈るっていうのもあったような……?」


 カップを片付けながらアンナがなにか思い出したように呟いたが、それはセレーネの耳には届かなかった。












 その後、なにかと理由をつけてはハルベルトがセレーネの屋敷に顔を出すようになりいつの間にかお茶会をするのが当たり前になっていった。

 ハルベルトの体質を知り夏場などはお茶会の場所を庭から屋敷内へと変えるがふたりに怪しい噂が流れることはなかった。それはハルベルトがセレーネの名前を呼び捨てにするようなことはないし甘い雰囲気になることも決してなく、あくまでも和やかにお茶をするだけの関係が続いているからである。その話の内容も勉強のことや新しい流通のこと、時にはオスカーのこと。色恋のことなど欠片も話題には出ないのはすべての使用人が証言している。そしていつしかふたりはお互いになんでも相談出来る仲になっていった。……ハルベルトの誰にも言えない秘め事以外は。


 そして、成長し令嬢友達が出来たセレーネはコイバナに巻き込まれ初恋について学習する。のトキメキがもしかしたら自分の初恋だったのだろうと結論は出たがそれを表に出すはまったく無く、誰にも言わずに思い出として心に閉まった。まさか未来の義兄に懸想していたなんて言えるはずもないからだ。それに、兄と言う存在に憧れていたから余計にハルベルトにそんな感情を重ねてしまったのだろうと考えた。こんなことだからセレーネは枯れている。なんて侍女に言われるのだ。




オスカーがやらかして、セレーネが我慢の限界を迎えるのはこれからもう少しあとのことである。





あの銀細工のピンブローチは、セレーネの部屋の宝箱に今も大切に仕舞われている……。


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