第39話

 文化祭当日を迎えると、校舎の表情が変わっていた。いつもは授業で堅苦しい学び舎も、カラフルにおめかしをされてふわふわ浮ついている。この光景の中に混じるのも、今年が最後なんだなあと感じる。


 私たちのクラスのプラネタリウムでは、受付で番号札を渡してクッキーを配ることになっている。だから、教室内のプラネタリウムを運営する係と受付の係に分かれることになった。そして、それぞれでシフトを組むことになっている。


 蓬と恩田カップルをペアで受付係に指名すると、恩田は不服そうな顔をしたけれど、大地が「お前ら人気あるんだからさ」とフォローしてくれた。恩田はいつまでたっても自分は地味だと思っているらしい。もっと自分に自信を持ったらいいのにと思うけれど、周りの声に左右されないのが、ある意味恩田の良さなのだろう。


 私はというと、義明とペアで受付係をすることになった。シフトは全部義明が組んでくれたのだが、なぜか義明と一緒だった。「なんで?」と聞いたら、「その方が何かと都合良いだろ?」と言われた。


 それは義明の言う通りだった。実行委員としての仕事はもうあまりないのだけど、初日は片桐さんを案内しなければならない。あの後、西野っちから「慶子がすまん。」と連絡がきた。片桐さんは西野っちに私たちと文化祭を回ることを伝えたらしい。西野っちには「気にしないで。」と言っておいた。


 自分でもなんて変なことになったんだろうと感じている。好きな人の婚約者と一緒に文化祭を楽しむなんて、正気の沙汰じゃない。きっと片桐さんと二人きりだったら、平静を装うことすら無理だっただろう。義明も一緒だから、そこのところは安心している。しかし、あの時JONに義明と一緒に行かなければ、こんなことにもならなかっただろうとも思っている。


 義明と一緒に受付をしていると、ひっきりなしにお客さんが来てくれた。クッキーがもらえるという特典がよかったのか、カップルや女の子のお客さんが多い。今年も文化祭を見に来ると言っていたうちの家族も、私の受付当番の時間帯を狙ってやってきた。


「姉ちゃん来たよ。」


 中学生になった樹だけれど、お父さんお母さんと一緒に行動しても恥ずかしくないらしい。最近はさらに賢い顔つきになった。


「ありがとう。」


 クッキーと受付番号を渡す。


「ただいまの受付は、12時30分の回となっております。入場開始となっておりますので、受付番号の座席にお座りください。」

「ありがとう。はい、お父さん、お母さん。」


 樹に渡した三人分の受付番号を、彼はお父さんとお母さんに渡す。


「大盛況だな。しっかり頑張りなさい。」

「百合ちゃん頑張ってね。」

「ありがとう。楽しんでいってね。」


 両親とも挨拶を交わすと、三人は教室の中へと入って行った。中からは「百合子がいつもお世話になっております。」というお母さんの声と、「いえ、こちらこそお世話になっております。」という西野っちの声が聞こえてきた。


「百合子の弟っていくつ?」

「中1。」

「昨年来てたときも思ったけど、めっちゃ賢そうだな。」

「私の弟だから当たり前でしょ。」


 義明が樹のことを褒めてくれたのが嬉しかった。私は立派なブラコンだ。樹に困ったことがあったら、いつでも私が加勢すると決めている。


 それから1時間ほど経ったところで、私たちと交代をする蓬と恩田がやってきた。二人はお昼ご飯を堪能してきたらしい。


「百合子はこれからどうするの?」

「ああ。約束があるから。明日は一緒に回ろうね。」


 蓬に予定を聞かれたけれど、私は約束があるとだけ言って詳しくは言及しなかった。別に言ってもいいのだろうけれど、なんとなく口に出すのが憚られた。


 義明と一緒に、片桐さんと待ち合わせしている校門へ行くと、彼女はすでに待っていた。私たちに気付くと、片桐さんは軽く会釈をして私たちの方へとやってきた。


「ごめんなさい、私のわがままで。今日はお世話になります。」

「とんでもないです。一緒に楽しみましょう。な?百合子。」

「うん。ぜひ楽しんでいってください。」


 私と義明と片桐さんというなんとも不思議なメンバーでの文化祭が始まった。まずは腹ごしらえをしようということで、食べ物の屋台をしている校庭で食べたいもの探しから始めた。


「片桐さん、嫌いな食べ物はありますか?」

「いいえ。私、食べることが大好きで、なんでも食べられるの。」

「じゃあ、手っ取り早く食べられるところから行きましょうか。」


 お昼のピークは過ぎているようだが、私や義明のようにお昼時に当番だった人たちが食べに来ているようだった。だから、できるだけお客さんの少ないところから攻めていくことにしたのだ。


 言っていた通り、片桐さんは食べることが本当に好きなようで、焼き鳥、はし巻、たこせん、タコス、フランクフルトと、お祭りならではの食べ物を買っては、どんどんとその胃袋に入れて行った。


「高校の文化祭といっても侮れませんね。全部美味しいです。」

「それはよかったです。」


 私も義明も笑顔で片桐さんの食いっぷりを見ていたけれど、一体その体のどこに入って行っているのだろうと驚いた。義明とほぼ同じくらいの量を、片桐さんは平らげてしまった。


「展示も見に行きましょうか。」


 屋台を出していないクラスや部活は、展示を行っている。特に文化部はこの文化祭の展示を中心に活動しているから、力の入った作品を見られる。校舎の中に入ると、片桐さんは持参したスリッパを出してそれを履いていた。


「実は私、ここの卒業生なんです。」


 片桐さんはそう言って、懐かしそうに昇降口の正面にある階段を見上げた。今、彼女の目には何が映っているのだろうか。文化祭で騒がしいはずの校舎内だけれど、片桐さんの周りだけ時間が止まっているように見えた。


「そうだったんですか。じゃあ、私たちの先輩なんですね。」


 そう言うと、片桐さんは私ににこりと笑顔を見せた。彼女にどんな邂逅があったのかは分からなかったけれど、思い出の片鱗を見た気がした。この学校はずっと誰かのものでありながら、誰のものでもないのだ。私が卒業すれば、もう私のものではなくなる。でもきっとずっと、みんなと出会えた場所として私の思い出の中に残るのだ。


 私たち3人は、文化部の展示を見て回った。片桐さんのことを「その人誰?」となると面倒だから、私たち3年のクラス展示は避けた。文化部の中にも私と仲良しの後輩は居たけれど、片桐さんのことは「学校の関係者で私と義明が案内を頼まれている」と言うと、あっさりと納得してくれた。


 写真部の展示も見に行った。今年もミスコンに出場する子たちの写真が展示されている。私は、今年はエントリーしなかった。大河から今年も出て欲しいと要望があったけれど、受験勉強と実行委員を理由に断った。


「百合子さん!」


 写真部の展示がしてある視聴覚室に入ると、大河が一目散に私のところへとやってきた。彼の大型犬気質は変わらない。彼に尻尾があればきっと、大振りしているだろう。


「見に来たよ。」

「ありがとうございます。えっとそちらは……。」

「学校関係者の方なの。私と義明でご案内してるのよ。写真部も見学させてもらっていい?」

「そうなんですね。もちろんです。」


 片桐さんが軽く会釈をすると、大河も会釈で返した。そして、展示されている写真を見ていく。


「百合子さんがミスコン出場辞退したんで、こんなの作ったんですよ。」


 大河が持ってきたのは、謎の投票箱だった。


「なにこれ?」

「これ、ミスコンにエントリーしている人以外で、美人だと思う人は誰ですかっていうアンケートを投票する箱です。これで1位になった方には後日、写真部の方から取材させていただくことになっています。だからぜひ、お三方も投票して行かれてくださいね。」

「なんで私の出場辞退が理由になるのよ。」

「百合子さんが辞退したから、色々な人から声があがったんですよ。百合子さんが出れば2連覇できるんだから、なにか別の形でそれをできないのかって。だから、ミスコン以外のミスコンを作っちゃいました。」


 大河は笑顔でさらりと言ってのけたけれど、私の知らないところでそんなことをしていたとは。写真部の展示を見て回る間中、大河は私たちについて回った。


「今日はありがとうございました。」


 一通り見て回ると、片桐さんはそろそろ仕事に戻るということで、帰ることになった。


「こちらこそ。俺たちも片桐さんと回れて楽しかったです。な、百合子。」

「うん。片桐さんのおかげで、私たちもゆっくり回れました。」

「私のわがままに付き合っていただいたのに。これ、心ばかりですが、どうぞ。」


 片桐さんはバックから2つの小袋を出すと、それを私と義明に1つずつくれた。良い香りがするけれど何なのか分からずにいると、「私が作ったポプリです。よかったらお家で使ってください」と片桐さんが言ってくれた。


「それじゃあまたぜひ、お店にもいらしてください。今日は本当にありがとうございました。」


 深々と頭を下げた後、片桐さんはすっと伸びた背筋で校門をくぐった。その背中を見ながら思う。今日、片桐さんのことを知れてよかった。好きな人の好きな人が、彼女でよかったって思ったのだ。


「片桐さん、良い人だな。」

「そうだね。」

「だからって、西野っちのことを諦めるとかしなくていいと思うぞ。」


 義明の言葉に、私は耳を疑った。


「ん?どういうこと?」

「百合子って西野っちのこと好きだろ?だから、婚約者が居るからって諦めなくてもいいと思うけどって励ましたんだけど。」

「ちょっと待って。なんで私が西野っちを好きなことになってるの?」

「見てたら分かるんだけど。」


 心の中では「そんなに分かりやすかっただろうか」と動揺しているけれど、それを見せれば見せるほど肯定したことになる。背中に冷や汗をかきながらも、私は努めて表情を変えなかった。


「いや、違うから。」

「いや、バレバレだから。」

「……。」

「……。」


 私が満面の笑みを義明に向けると、彼も満面の笑みを私に向けた。やっぱりコイツは何を考えているのか分からない。食えない奴だ。


「西野っちにはちゃんと告白してちゃんとフラれろよ。」

「……。」


 私は笑みを向けたままだったけれど、確実に蟀谷に青筋が立っている。諦めなくても良いと言ったりフラれろと言ったり、一体なんなんだろうか。


「だから、私の好きな人は西野っちじゃないってば。」


 義明の考えていることが分からなさ過ぎて、私はそう返すのが精一杯だった。

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