第38話

「穂高の両親って再婚かなんかなの?」


 JONを出てからの帰り道、義明からそんな質問をされた。日が暮れたからと、私を家まで送ってから予備校に行くらしい。遠回りになるから遠慮すると言ったけれど、「この時期は変質者も出るから」と一蹴された。


「そうだけど、なんで?」

「いや、プレートが“結婚8周年”だからさ。俺たちの年齢を考えると、そうなのかなって。聞いちゃまずいことだったらごめん。家族仲良さそうだから聞いてもいいかなってつい。」

「ううん。隠してるわけじゃないから大丈夫。私がお父さんの連れ子で、弟がお母さんの連れ子なのよ。私の本当のお母さんは病気で亡くなってるからもう居ないの。」

「そうだったんだ。軽々しく聞いてごめんな。」

「いいの。今は幸せだから。」


 そうだ。今は幸せだ。両親を困らせるようなことも、心配かけるようなこともしてしまったけれど、今は自分の家族が好きだと言える。感謝している。


「義明の家は?お父さんとお母さん、ラブラブなんでしょ?」

「うちはもうなんていうか。新婚なのかよってくらい毎日ラブラブしてるよ。母さんは大体父さんの膝の上に乗ってるしさ。父さんはずっと母さんに着いて回って、家事も一緒にやってるしさ。息子の俺は呆れてるって感じ。」

「ちょっと我が家では想像できない光景だわ。」

「だろ?小学生の頃に友達ん家に行って友達の両親の家での過ごし方を見たときに驚いたよ。全然くっつかねえじゃん!って。」

「それは笑う。」


 小学生の頃の義明の驚きを想像すると、可笑しい。我が家では普通のことでも、他では違うことの衝撃は私にもあったけれど、きっと義明はもっと衝撃だったのだろうと思うと、さらに面白い。


「両親の仲が良いことは、良いことなんだけどさ。子供の目の前でやる?みたいな。俺、5人兄弟なんだけど、両親のイチャイチャが始まったら全員リビングから出て行くからさ。一番下の弟くらいかな。そのイチャイチャに混ざろうとするのは。」

「えっ。義明って5人兄弟なの?」

「そう。兄貴が1人居て、妹2人と弟1人。」


 家族構成を聞いて、そんだけラブラブなら子供も多いよなと思ってしまった。


「でもお父さんとお母さんが仲良しだから、義明も恋人とラブラブするんじゃない?」

「まあ、影響がないとは言い切れないな。」


 義明は後頭部をかきながら、苦笑いをした。この男が恋人とイチャイチャするところなんて想像もつかないけれど、本人も認めるくらいだからそうなのだろう。


「百合子はドライそうだよな。」

「どうだろう。私、好きな人と付き合ったことないからね。」


 私の場合は、イチャイチャとかラブラブとかの以前の問題なのだ。そもそも好きな人と付き合ったことがない。これまで付き合ってきた人とイチャイチャらしきことはしてきたけれど、自分から乗り気になってということはなかった。それよりも、寂しさや虚しさを埋める温もりだけを感じていたかった。


 ただ何も考えていない時間ができることだけが救いだったのだ。だから、くっつきたいとかキュンとするなんてことはなかった。


「そういうところがドライだわ。でも最近は誰とも付き合ってないみたいじゃん。」

「まあね。誰とでも付き合うってのを止めたのよ。受験もあるしね。」

「それは良い心がけだな。雄一とかもさ、クズなことやってたけど、心と付き合ってる今のアイツの方がいいなあと思うよ。前の雄一も否定はしないけどさ、人の心を弄んでる感じがちょっと嫌だったからさ。」

「まあね。女を切るのに大変だったらしいよ。」

「それはアイツの自業自得だよ。」


 我が家の前に着くと、リビングから灯りが漏れていた。車庫にお父さんの車もあるから、もう家族が揃っているみたいだ。


「送ってくれてありがとう。ごめんね、今から予備校なのに。」

「いや、気にすんな。じゃあまた明日学校でな。」

「うん。バイバイ。」


 手を振って別れると、義明は来た道を戻っていく。花束を抱えた私は、義明の背中が見えなくなってから、玄関の扉を開けた。靴を脱いでいると、私が帰って来たことを察知したらしい樹が、忍び足で玄関にやってきた。


「姉ちゃん、お帰り。」

「ただいま。」


 私たちは心なしか小声だ。


「お父さんは書斎で、お母さんは和室で洗濯物を畳んでいるよ。」

「分かった。じゃあ、これをリビングに隠して晩御飯作ろうか。」


 樹に花束を任せて、私はまず和室の襖を開けた。襖を開けたのに気付いたお母さんが、洗濯物から顔をあげる。


「ただいま。」

「おかえり。今日は、予備校は?」

「委員会だったからそのまま帰ってきた。晩御飯、私と樹で作るから。」

「ええ。お母さん作るわよ。」

「いいの。結婚記念日でしょ?お父さんとゆっくりしてて。」

「まあ。じゃあ、お言葉に甘えるわね。」


 私は笑顔で返事をして襖を閉めると、手洗いうがいをして大急ぎで部屋着に着替えた。そして、樹とキッチンに立つ。冷蔵庫を覗くと、今日はハッシュドビーフにする予定だったようだ。結婚記念日だからだろう。


「じゃあ、樹シェフ、お願いします!」

「百合子助手はしっかり私の手伝いをするように!」


 料理のできない私は、料理の陣頭指揮を樹に任せた。最近は野菜を切ることはできるようになったから、とにかく野菜を切った。1時間もすれば、デミグラスソースで煮込む牛肉の香りが、リビング中に立ち込めた。その匂いにつられるようにして、お父さんもお母さんもリビングへとやってきた。


「今日は百合子と樹が晩御飯を作っているのか。」

「ええ。私たちの結婚記念日だからですって。」


 キッチンでせっせと料理をする私たちを微笑ましく見ながら、お父さんとお母さんはゆっくりとリビングのソファで寛いでいる。両親のこの顔が見たかったのだ。それから30分もすれば、すべての料理ができあがった。


 全員でダイニングテーブルに着席して、食事を始める。ハッシュドビーフも、シーザーサラダも、マッシュポテトも、全部「美味しい、美味しい」と言いながら、お父さんとお母さんは食べてくれた。二人ともお代わりをしてくれた。そのおかげで、作った分は全部この晩御飯で平らげてしまった。


 ご飯が食べ終わったタイミングを見計らって、私と樹は目配せをした。そして、樹がリビングの電話台の棚に隠していた花束を持ってくる。お母さんは、「え?!どうしたの?!」と両手で口元を押さえて驚いている。


「お父さん、お母さん。いつもありがとう。これからも仲良くしてくださいね。」


 私がそう言うと、樹が花束をお母さんに渡した。お母さんは涙ぐみながらその花束を受け取ってくれた。お父さんはそんなお母さんの肩を抱いて、樹の頭を撫でている。そして、「百合子」と私も近くに呼び寄せると、全員を固く抱きしめた。


「ありがとう。」


 お父さんがこんなに喜んでくれるなんて、思ってもいなかった。そりゃあ喜んでくれるだろうとは思っていたけれど、感極まった声を出すなんて思いもしなかった。こうして家族を腕の中に入れるほど嬉しかったんだな、お父さんは。


 私も樹も口元を緩ませながら、しばらくお父さんの腕の中を堪能した。こうしてお父さんに守られるのも、あと何年だろう。


 晩御飯の後片付けは私たちがやると言い張ったけれど、「あなたたちは作ってくれただけで十分だから」とお母さんがキッチンに立った。「片付ける場所が違ったら使いにくくなるから」と言っていたけれど、お母さんなりの感謝の気持ちの表し方だろう。


 私はその間、お母さんの仏壇の前に座った。お母さんの仏壇には、私がお母さんとさよならする1年前の笑顔の写真が飾られている。


「お母さん。私ね。お母さんが二人居て幸せだなって思うんだ。」


 産んでくれたお母さんとは短い縁しかなかったけれど、優しくて綺麗で儚げで、でも強いところが大好きだった。今のお母さんは、樹と分け隔てなく接してくれて、私の気持ちを尊重してくれて、信じてくれる。そしてなにより、お父さんを大事にしてくれる。


「結婚8周年、おめでとうだね。」


 仏壇のお母さんの写真に手を合わせて、お母さんと一緒に結婚記念日をお祝いした。

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