第37話

 10月になると、あれほど残暑厳しかった空気も張り詰めた冷たさを感じるようになった。昼間は温かくても朝晩も冷え込むようになった。学校の先生は口々に、「季節の変わり目だから体調管理に注意しろ」と授業の度くらいに言っている。受験生の私たちにとって、体調不良は大敵だ。


 予備校にも毎日通っている。吉永さんや花村さん、義明も同じ予備校だから、一緒に居る時間が増えた。勉強する時間は個人で過ごすけど、学校帰りに一緒に予備校に行ったり、予備校帰りが一緒になったりと、学校外で過ごす時間が増えたのだ。特に義明とは、文化祭実行委員として話すこともあるから、必然的に同じ時間を共有している。


 義明とは2年から同じクラスだけど、一臣と同じように1年の時から大地を通じて仲良くしていた。茶髪の短髪で塩顔系の端正な顔立ちだ。恩田は義明のことを「成田凌さんに似てる」って言っていたけれど、鼻で笑っておいた。


 柔和な印象があるのに飄々としており、こんな身なりのくせに学年トップの成績だ。仲良くはしているけれど、つかみどころのない男だと思う。話はするけれど、深入りはしたことない。その分、義明の方も私に深入りしたことはない。


「百合子、委員会行こうぜ。」


 10月の下旬になると、11月頭にある文化祭の準備が始まった。それに伴って確認事項も多くなり、実行委員会の開催ペースが増えてきた。実行委員会自体は短時間で終わるから良いのだけれど、今日はお父さんとお母さんの結婚記念日だから、樹と一緒に晩御飯を作る計画を立てている。だから、少しでも早く帰りたいのだ。


「来週からいよいようちのクラスも準備始めなきゃね。シフト組むのは義明に任せていいんだっけ?」

「ああ。暗幕とかの準備は百合子頼むよ。」

「うん。吉永さんと花村さんが得意だから、今度の土曜日の予備校終わりに一緒に行くことにしてる。」

「任せた。」


 そんな会話をしていると生徒会室に到着する。生徒会室はただの会議室であり、こういう委員会の話し合いをするときに使われる教室だ。中に入るとすでに、何人かの他のクラスの委員が来ていた。一臣も居る。


「義明、百合子、おーっす。」

「おーっす。」

「おっす。」


 一臣が座って居る席の隣に義明が腰かけ、私がその隣に着席する。文化祭実行委員会のときはこの並びが恒例になってきた。文化祭実行委員会の担当教師は教頭であるため、「3年の佐藤、穂高、丸林はいい加減に髪の色を戻せ」と小言をもらうのも恒例だ。


 今日の委員会では、準備の際の確認事項だった。ゴミはどうするだとか、準備物の置き場所はどうするだとかだ。すでに準備を始めているクラスがあり、放課後教室で勉強をしている受験生に支障のないようにと口酸っぱく言われた。


 一臣は委員会の後も勉強して帰るらしく、生徒会室の前で別れた。


「百合子はこの後どうすんの?予備校行く?」

「私は、今日は両親の結婚記念日でさ。花束を買ったら真っ直ぐ家に帰る約束を弟としてるのよね。」

「お父さんとお母さんの結婚記念日なんだ。おめでとう。」

「ありがとうって私が言うのも変だけどね。」

「ははっ確かに。花束ってどこで買って帰るの?」

「商店街の先のJONだよ。」

「じゃあ、俺も一緒に行ってもいい?花屋とか行く機会ないし。」

「いいけど、予備校行くなら遠回りじゃない?」

「気分転換だよ。」


 なぜか花屋に来たがった義明と一緒に花束を買いに行くことになった。別に構わないけれど、なんだか変な感じだ。


 学校から商店街までは歩いて15分ほどだ。約500mの一本道の脇に色々なお店が軒を連ねている。昔はアーケード街で賑わっていたそうだが、今はそのアーケードも取り外されており、どちらかと言えば閑散としている。でも何軒かのご飯屋さんと、呉服屋さん等の昔からやってるお店はあるから、商店街としての形は成している。


 その商店街を抜けた突き当りに、目的の花屋JONはある。初めて利用するけれど評判が良いと聞いていたから、花束の予約をした。「両親の結婚記念日のお祝いに」と伝えると、予算と色のイメージ、結婚何周年かを聞かれた。電話での予約だったけれど、電話越しに伝わる店員さんの優しい雰囲気に、ここに頼んでよかったと感じた。


「両親の結婚記念日のお祝いに花束用意するってなんかいいな。」


 商店街を歩いていると、義明はしみじみとそう言った。


「うちも今回が初めてなんだけどね。いつまでも仲良くしてくれたらいいなと思うからさ。」

「確かに。俺もなんかしようかな。花束は照れくさいけど、ちょっとしたプレゼント。」

「いいんじゃない?ご両親、喜ばれると思うよ。」

「まあ、うちは年甲斐もなく勝手にラブラブしてる両親なんだけどさ。」

「そうなの?意外だわ。」

「そう?」

「うん。義明ってどちらかというとドライな感じというか、掴めない感じだからさ。あーでも、彼女とはラブラブすんだっけ?なんか前に聞いたことがある気がするわ。」

「まあ、彼女とはするだろ。俺、1人と付き合ったら長いからね。」

「今は居ないの?」

「今居たら百合子とこうして歩いてないわ。」

「確かに。」


 そんな話をしていると、JONの前に着いた。ガラス張りの引き戸を開けると、ピンポーンとう音が鳴り、「いらっしゃいませー!」と奥から女の人の声がした。「花束を予約していた穂高ですけど」と言うと「はーい。お待ちください~。」と優しそうな女の人がエプロンで手を拭きながら出てきた。


 その人の姿を見た瞬間、私の心臓は大きな音を立てた。彼女と目が合うと「あら。」と驚きの声をあげると言った。


「孝仁さんの生徒さんだったのね。こんにちは。」


 その花屋の店員は、西野っちの婚約者だった。世間は狭いとは言うけれど、何もこんなところで会わなくたっていいんじゃないだろうか。


「こんにちは。花屋さんをされてあるんですね。」

「お花が好きで。ご両親への花束でしたよね。こちらになります。」


 西野っちの婚約者は、色々な花が保管されているショーケース兼冷蔵庫のようなところからピンク系の花束を取り出した。


「結婚記念日ということだったので、愛に纏わるお花でピンク系にしました。いかがでしょうか。」


 その花束はどこからどう見ても綺麗だった。センスが良いのも分かるし、お父さんとお母さんが喜んでくれる姿が目に浮かぶ。プレゼントする側の私も心が浮き立つような可憐な花束だ。“結婚8周年”と書かれた可愛いプレートも付いている。


「とても素敵です。ありがとうございます。」

「喜んでもらえてよかったです。」


 そう言って笑顔を咲かせたその人は、まるで花のような人だと思った。結納のあの時も、生花を髪飾りにされていたのは、それだけお花が好きだってことだったのだろう。この人を西野っちが好きになった理由は、何も聞かなくても分かる気がした。


 お会計を済ませると、彼女は私と義明に名刺を渡してきた。そこには、<フラワーアレンジメント講師 片桐かたぎり慶子けいこ>と書かれてあった。


「フラワーアレンジメントのお教室もしてるんです。興味があればとは思いますが、よかったらまたお花を買いにきてもらえたら嬉しいです。素敵なお花ばかりだから。」


 一瞬だけ営業かと思ったけれど、片桐さんの顔を見るとそうではないことがすぐに分かった。本当にお花が好きだから知って欲しいという感じだった。


「はい。またぜひ。ね、義明。」

「え、あ、ああ。てか、二人はどういう……?孝仁って西野っちのことだよな?」


 義明が懐疑的になるのも無理はなかった。私と片桐さんは知り合いっぽいし、西野っちの名前も出てきている。不思議に思うのが当たり前だ。


「ごめんなさい、私ったら名乗りもせず。」


 恐縮する片桐さんだが、そこは私が悪い。片桐さんが自分から「西野先生と婚約しています」なんて言えるはずもない。


「片桐さんは西野っちの婚約者だよ。」

「え?!そうなの?!なんでそれを百合子が知ってんの?!」

「あー。たまたまね。私の知り合いのお店に西野っちと片桐さんが来られて。」


 結納だったということは伏せた。私が勝手に話して良いことじゃないと思ったからだ。片桐さんは恐縮しきりだ。


「そうなんだ。いつも西野っちにはお世話になってます。」

「こちらこそ。いつも楽しそうに生徒さんのお話をされていますよ。今度、文化祭があるんでしょう?」

「そうです。俺たち、その文化祭の実行委員で。な?」

「うん。」

「楽しそうですね。文化祭、見に行きたいけれど、孝仁さんから止められてて。」

「え!勿体ない!ぜひ来てくださいよ!なんなら、俺たちが案内しますし。」


 はあ?!とは思ったけれど、義明は乗り気だし片桐さんは満更でもなさそうだった。「な?」と義明に目配せをされて片桐さんを見ると、期待の眼が満ちている。これはもう、断れる感じじゃない。


「はい。ぜひいらしてください。」


 私は笑顔でそう答えていた。当日のやりとりをするために、三人で連絡先を交換した。「それでは、また。」とJONを出ると、外はすっかり日が落ちていた。


「まさか西野っちの婚約者と会うとは思わなかったなー!」

「そうだね。」


 少し興奮している義明とは対照的に、私は作り笑顔をした。笑えるけれど笑えない。どうしてこんなところで会ってしまったのだろう。

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