第36話

 体育祭は大熱狂のまま、無事に終わった。赤団は2位という結果に終わったけれど、応援合戦は1位だったから、みんなの頑張りは報われたと思う。西野っちと私が一緒に走っている動画を蓬が撮ってくれていたため、私はそれをしっかり保存した。このときばかりは、「蓬グッジョブ!」と心の中で何度も讃えた。


 先生と生徒という関係をこれまで何度悔やんだか分からないけれど、これに関しては「先生と生徒でよかった」と心の底から思えた。あと、美人でよかったって思った。ミスコンで優勝してなかったら、西野っちは私と一緒に走ってくれなかっただろうと思うと、昨年のミスコンに出てよかったなって現金なことを思ってしまった。


 体育祭が終わると、すぐに文化祭の準備が始まった。私たちは受験生だから昨年のように本腰を入れてするわけじゃないけれど、それでもみんな日々の勉強疲れのリフレッシュとして楽しみにしている。体育祭が終わって早々に行われた文化祭になにをやるか決めるHRで、プラネタリウムをやることになった。


 プラネタリウムに決まったときは、なんてロマンチックなものに決まってしまったんだと思った。でも、最後の文化祭なんだから、それも良いんじゃないかと思うようになった。


 プラネタリウムを文化祭実行委員会で了承をもらった後は、実行委員としてやる仕事はほとんどなかった。文化祭前の2週間はさすがに忙しくなるけれど、それまでは時間がある。だから、今の内に勉強を進めておこうと思っていたシルバーウイークの最中に、渚ちゃんからどうしてもとお願いをされてしまった。


「受験生にこんなこと頼んで本当に申し訳ないわ。女将さんも百合ちゃんのお給料は割増にするって言ってくれていたから。」

「いいよ。勉強の気分転換になるし。」


 シルバーウイークの最終日、私は渚ちゃんがバイトをする料亭に仲居さんの格好をして立っていた。渚ちゃんが私にお願いをしてきたこととは、1日だけ仲居として働いてほしいということだった。


 なんでも、シルバーウイークに働いてもらうはずだった短期バイトの人がトンズラして働きに来ていないそうだ。昨日まではなんとか今居る人員で回したけれど、今日は予約客から考えてもどうしても人手が欲しいということで、私に白羽の矢が立ったらしい。渚ちゃんの従妹であることと、回転寿司屋でのホール経験のあることが見込まれたのだ。


「でも私、渚ちゃんみたいにお行儀よくできないよ?」

「大丈夫よ。百合ちゃんは十分、お行儀良いですもの。」


 はんなり笑顔で一蹴された。そもそも、着物を着ての動きというのが慣れていない。それなのに、お膳を配膳するなんてできるだろうか。とにかく渚ちゃんと一緒に動けば良いと言われただけで、できる仕事なのだろうかと不安になる。


「そろそろ開店時間ね。お客様をお迎えにいきましょう!」


 仲居頭の声かけを合図に、私はとにかく渚ちゃんについていった。お客様の迎え方も渚ちゃんの見様見真似でしたし、配膳も指定されたものを持って渚ちゃんについて行った。午前11時の開店からすぐにお客様でいっぱいになり、厨房は瞬く間に戦場と化した。


 しかしここは少し格式高い料亭だ。どんなに忙しかったとしても、お客様の前では余裕をもって接するようにということだけ、女将から口酸っぱく言い含められた。それに関しては、本当に渚ちゃんの振る舞いを尊敬した。きびきびと動いているのにしなやかさがあり、せかせかした印象はまったくない。


 生まれながらの資質は人によって違うとは思ってきたけれど、従姉なのに私とはこうも違うかということをひたぶるに感じる。私は女将に怒られないように、渚ちゃんの真似をするのが精一杯だった。


 この料亭はホール席が10席あり、完全個室席が10席ある。個室は和室でどの部屋からも中庭が見えるようになっており、さすが料亭といった佇まいだ。シルバーウイークだからなのか「ちょっと奮発して」というグループや、「記念日に」というグループも多い。それに今日の個室のうち2件は結納でのご利用だそうだ。


 予約のお客様の事情を事前に把握するのは、回転寿司屋でも行っていた。誕生日の方にはバースデー特典をしていたし、記念日の方には記念撮影なんかもしていた。そういうことに触れると、誰かの人生の幸せに触れることができた気がして、少しだけ嬉しかったことを覚えている。バイトをしてよかったと思う理由の1つだった。


 今回も臨時での1日だけのバイトだけど、やりがいのあることをさせてもらって感謝している。それにここのところは勉強漬けで体が鈍っていたため、運動になってありがたい。


「はい!1番個室にお願いします!」


 厨房で出してもらったお膳を、渚ちゃんと一緒に持って行く。部屋の前までは人数分のお膳を乗せたワゴンで運ぶ。


「百合ちゃん、疲れてない?大丈夫?」

「うん。楽しい。」

「それならよかった。」


 私語は厳禁だけど、誰も居ない廊下で渚ちゃんが声をかけてくれた。お昼をすぎてピークは徐々に落ち着いてきていたから、あともうひと踏ん張りだと自分に言い聞かせる。賄いも美味しいと聞いているから、それも楽しみだ。


 1番個室の前に着くと、渚ちゃんがお客様に声をかけて襖を開ける。1番個室は結納のお客様だ。女性側が振袖を召されているから気を付けるようにと言い含められた。だから少しだけ緊張するけれど、女性側は渚ちゃんが配膳することになっているからそこは大丈夫だろう。


 渚ちゃんに続いて、お膳を持って「失礼いたします。」と軽く会釈をしてから私も入室する。和室だけどお年寄りにも優しいように、和室に合うテーブルとイスが配置されているから、配膳もしやすい。


 顔をあげて男性側の配膳をしようとしたとき、私の目玉は飛び落ちるかと思った。


「え、穂高……?」


 最初に声をあげたのは、相手の方だった。


「西野っ……先生。」


 私と西野っちがあまりに驚いているものだから女性側の両親と思われる人も、西野っちの両親と思われる人も「誰?」という顔を私に向けた。その視線に気づいた西野っちが慌てながら、「俺のクラスの生徒です。」と私と紹介した。


「まあ。孝仁たかひとさんの生徒さんなのね。」


 振袖を着たその人が鈴のように跳ねた声をあげた。振袖と髪型で気づかなかったけれど、クリスマスの日に西野っちの隣を歩いていた人だった。


「西野先生にはいつもお世話になっています。」


 私は笑顔を張り付けて言った。そして、流れるように配膳する。その間中、西野っちのお父さんからは「倅はちゃんと先生をやっておりますか?」と尋ねられたため、「生徒に好かれているとても良い先生です。」と答えた。


 振袖のその人からは、「クラスの雰囲気はどうですか?」と尋ねられたから、「西野先生のおかげで仲の良いクラスです。」と答えた。それはすべて本当のことだったけれど、どこか機械的に答えてしまった。


 配膳を済ませると「ごゆっくりお過ごしください」と渚ちゃんと一緒に頭を下げて、西野っちの個室を後にした。廊下に出て、誰も通らない少し奥まったところで、渚ちゃんの足が止まった。


「百合ちゃん。」


 渚ちゃんはそう言うと、私の身体をぎゅっと抱きしめた。私の好きな人が誰なのか知っている渚ちゃん。彼女の方が辛そうな表情をしている。「私は大丈夫だから」と言いたかったけれど、言えなかった。何かを言葉にすると、涙が出てしまいそうだった。


 まさか、好きな人の結納に立ち会うなんて思いもしなかった。


 その後も仕事はあるので、渚ちゃんと一緒にせっせと働いた。働いている方が、気が紛れる。自分が失恋してしまったことを考えなくて済むと思ったけれど、どうしても彼のおめかしした姿が頭にこびりついている。


 とても綺麗な人だった。深い藤色の振袖がよく似合っており、黒い御髪も艶やかだった。華やかな白い蘭の髪飾りは生花で、凛とした彼女を象徴していた。この人ならきっと、西野っちのことを幸せにしてくれるだろうと直感的に思ってしまった。


 そんな人に、ただの高校生の私が敵うはずがない。むしろ初めから相手にされてなどいない。私も彼女をライバルなどと到底思えなかった。


 初恋は叶わないというけれど、本当に叶わないんだなあ。でも、どうしてだろう。失恋して悲しいはずなのに、悔しいはずなのに。西野っちには幸せになってほしいと思ってしまう。


 彼が幸せになるのなら、なんだっていいと願ってしまう。

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