第16話
最近、私の心臓はおかしくなってしまった。学校に行くだけで胸がきゅうきゅうに狭くなるような感覚がある。でもそれも、蓬たちと喋っていればいつの間にかなくなっていく。だけど、数学の授業が始まると、また鼓動が
それを原先生に真剣に相談したこともある。もしかしたら、術後の経過が悪いんじゃないかと心配してのことだった。原先生ははじめ、私の話を真剣に聞いてくれていたけれど、すぐに笑顔になって「それは私の専門外だわ」と大笑いした。
「なんでそんなに笑うんですか。ちゃんと検査してくださいよ。」
私が頬を膨らませて抗議をすると、原先生はさらにお腹を抱えて笑った。失礼なことに、涙で目を潤ませながら大笑いしている。
「いや、それは検査しても分からないから。」
「……セカンドオピニオン行きますよ。」
「行ってもいいよ。でもただ、身体は健康だって言われるだけだよ。」
「なんでそんなに自信満々なんですか。」
「まあ、百合子ちゃんも分かるときがくるわよ。自分で気づかないと意味がないことだからねえ。分かるまで思いっきり悩んだらいいわ。」
原先生は答えをくれているようで、まったく分からないことを得意げに言った。分かっているんなら教えてくれたっていいのに、でもそれは私が自分で自覚しないといけないらしい。
なんだかなあとは思うけれど、原先生がそう言うのだからそうなのだろうと思う。原先生に診断をもらえなかった帰り道は、やけに夕焼けが綺麗に見えて、燃え沈む太陽をいつまでも眺めていた。
私と蓬は接客担当になったため、文化祭準備期間は看板づくりがメインになった。放課後、蓬と居残りをして看板を作っていると、隣のクラスの
中学の頃はこんなに行事ごとへ真面目に取り組んだことなかったから知らなかったけれど、学校の友達と何かを一生懸命頑張るってこんなに楽しいことなんだと思った。
「よし!完成~!」
文化祭の前日、無事に看板はできあがった。私と蓬の力作だ。カレーの絵は私が描いたけれど、思ったより上出来だと思う。
ベニヤ板にペンキを塗って描いた看板は、高校生が作ったにしては上出来なんじゃないかと思う。文字も少し曲がっているけれど、それもご愛敬だ。
「文化祭、どうする?一緒に回るでしょ?」
私と蓬の休憩時間は一緒にしてもらっているからそのつもりでいたけれど、念のために確認しておこうと思って予定の話を始めた。
「もちろん。百合子の他に回る人なんていないからねー。」
「それは私の台詞だわ。」
そこでふと、蓬の好きな人のことが頭を過った。蓬の好きな人が誰なのかは知らないけれど、まったく進展していないということもないんじゃないだろうか。むしろ、この文化祭は進展させるための絶好のチャンスなのではないだろうかという余計な老婆心が芽生えた。
「……蓬はさ、好きな人を誘わなくていいの?」
「えっ。」
今まで蓬の好きな人について言及したことはほとんどなかった。だけど、せっかくの機会だから触れてみることにした。蓬はそれが意外だったようで、大きな瞳をさらに大きくさせている。
「いや、文化祭って結構チャンスじゃない。だから、蓬は動かないのかなーと思って。」
「ああ、まあ、そうだねえ。」
「告白大会だってあるじゃない?蓬の好きな人がこの学校かどうかは知らないけど、なんかきっかけはあるんじゃないのかなと思って。」
「そうねえ。」
蓬は困ったような笑みを浮かべながら、頭を掻いた。困らせてしまったかと一瞬思ったけれど、聞かれたことが嫌というよりもシンプルに答えに窮しているという雰囲気で、私はほっとした。
「……私の好きな人ね。多分、私のこと嫌いだから。うーん。嫌いっていうのも違うかな。関わりたくない?うん。関わりたくないって感じかな。だから、なにかしら無理にでも関わらなきゃいけない環境にならない限り、声をかけられないんだよね。」
「でも、蓬に好かれてるって知ったら、誰でも嬉しいんじゃないの?」
特に大地なんかは飛んで喜びそうだけど、とは付け加えなかった。
「いやあ~。そんなことないでしょ~。」
蓬はそう言ったあと、教室の外を眺めた。窓からは、夕陽に向かって校門を出て行く生徒の姿が見える。
「……そんな風に思ってもらえる日がきたらいいなあとは思うけどね。」
そう呟いた彼女の横顔は、とても綺麗だった。蓬にこんな顔をさせるのは、一体誰なのだろうと思うと、胸の奥がきゅんと疼いた。そして、思い浮かんだのは西野っちの笑顔だった。
……一体どうして、ここで西野っちの顔なんて浮かぶんだろう。
「そういう百合子は?誰かいい人いないの?」
瞬きをする間に、蓬がこちらを満面の笑みで見ていた。もう、あの綺麗な横顔の彼女は居なくなってしまったようだ。
「んー……。心臓がきゅってなることはあるけど、いい人はいないなあ。しばらくは彼氏とかいらないかなーって思うし。」
「なにそれ。恋じゃん。」
破顔する蓬の言葉がストンと私の心に落ちた。
「え?きゅってなるのって恋なの?」
「え?恋でしょ?違うの?」
「……その人の顔が見たいけれど、緊張しちゃうのは?」
「恋でしょ。」
蓬は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。私はそれを見て破顔した。なんだ、そうだったのかと思う。私があまりにお腹を抱えて笑うものだから、蓬の顔には「訳が分からない」と書いてある。
でも今、私は嬉しい。なんだ、これは恋だったのかと思う。
「百合子、変なの。そのまま笑ってればいいのよ。置いて帰るから。」
「いやいや、待ってよ。ごめんって。」
笑い涙を拭い、帰りの支度を始める。傾きかけだった夕陽は、すっかりと地平線の向こうへと姿を隠し、紫色から紺色へと空は変わろうとしている。明日の文化祭、少しでも西野っちと会える時間があったらいいなと心の中で期待を寄せた。
文化祭が始まると、普段の学校とは違った賑わいが校舎を包んだ。私ももれなくみんなと一緒に浮き足立っている。そこまでテンション上がるタイプじゃないけれど、不思議の国のアリスをイメージした接客係の衣装を着ると、自分の意とは反してテンションを上げさせられる。
「百合子めっちゃ似合ってるじゃん。」
「いや、蓬の方が似合ってるでしょ。」
衣装に合わせて、蓬はツインテールをしていた。それがまた彼女らしくて可愛い。老け顔の私はツインテールなんて似合わないから、巻き髪をハーフアップにしている。うちのクラスの接客係の女子は、全員不思議の国のアリスだ。男子は特攻服を着ている。この組み合わせの謎さも文化祭ならではだと思う。
ありがたいことに、私たちのクラスのカレー屋は大繁盛した。衣装がどうとかよりも、お昼ご飯にカレーっていうのが食べやすかったのだろう。私たちは、接客の合間にカレーをつまみ食いして食べさせてもらったけれど、頬っぺたが落ちるくらい美味しかった。
お昼のピークを過ぎた頃、そろそろ私と蓬の休憩時間が近づいてきた。そんなときだった。
「カレー1つ~。」
私たちの屋台にやってきたのは、西野っちだった。
「うわー。西野っちじゃん。来てくれたのー?」
大地が早速西野っちに絡んでいる。「俺、カレーが一番好きな食べ物だからさ。」という西野っちの言葉を聞いて、カレー屋に決めたうちのクラス全員グッジョブと心の中でガッツポーズを決めた。
「お。女子は不思議の国のアリスの衣装なんだな。」
男子と話していた西野っちはふいに、私の方へと目線を向けた。
「そう。可愛いでしょ?」
スカートを少し摘まんでポーズをとってみせると、西野っちは破顔した。
「ああ。可愛いね。」
JKの可愛い衣装姿を見て、可愛くないなんていう男性はほぼ居ないと思う。だからこそ、西野っちを照れさせたいと思って可愛いポーズをとったのに。だけど、最初から私の方が負けだったのかもしれない。可愛いと言った彼の瞳から先に視線を逸らしたのは私だった。
「ありがと。」
そっぽを向いて唇を尖らせて御礼を言うのが、私なりの精一杯だ。
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