第15話
次の日、退院するときにはお父さんとお母さんだけじゃなくて、樹も来てくれた。「樹は今日学校じゃないの?」と聞いたら、瞳にいっぱい雫を貯めてそれを零さないように必死になりながら私の腕にしがみついていた。
「樹?」
私が問いかけても樹は口を一文字に閉じて、ただ、私から離れようとしなかった。あんなにひどいことをしたのに、どうしてこの子は私の傍に居てくれるんだろう。
「ごめんね。」
私が謝ると、樹はぎゅうっと私の手を握ってきた。だから私も、その小さな手を握り返した。お父さんの車に乗って家に着くまでの間も、樹は私の手を握って離さなかった。
その日の夜は、久しぶりに家族4人で食卓を囲んだ。快気祝いだからと、庭でのバーベキューだった。うちの庭にはテラスがあり、そこでバーベキューができる仕様となっている。だけど、この数年は使われていなかった。
今までの険悪な我が家の雰囲気はどこに行ったのか、私と樹は2人で肉にがっついた。「それ私の肉でしょ!」と笑いながら怒るのが楽しかったし、お父さんもお母さんもそんな私たちを見て笑っていた。樹は調子に乗って肉を食べ過ぎて、「お腹痛い」と言っていた。
こんなに楽しい家族での食事はいつぶりだろうか。ひょっとしたら、ただ私が勝手に目を逸らしていただけなのかもしれない。つまらない意地を張って目を瞑ってきただけなのかもしれない。
久しぶりの学校は、想像以上にうざかった。蓬は教室で私の顔を見るなり、抱き付いてきて離れなかった。入院中は蓬とメッセージのやりとりをして逐一状況を報告していたけれど、彼女はそれでは満足できなかったらしい。
「本当の本当にもう大丈夫なの!?」
「大丈夫だってば。」
私がそう答えても、蓬は私から離れてくれない。これは樹と同じ反応だ。背の小さい蓬の頭を撫でると、蓬はさらにぎゅうっと抱き付いてきた。小学生男子と同じ反応というのが、なんだか笑えてしまい、私は「ふっ。」と笑いを漏らしてしまった。そんな私を、蓬は怪訝そうな表情で見上げる。
「ごめん。なんか、うちの弟と反応が同じすぎて。」
「……百合子の弟って小学生でしょ?」
「そう。」
「なにそれ!心配かける百合子が悪いんでしょ?!小学生男子と一緒にしないでくれない?!」
「いや、そうなんだけどさ。」
堪え切れず、私は大笑いをした。どうして私は見落としていたんだろう。私のことをちゃんと見てくれている人は居るのに。
「ごめんね、心配かけて。もう大丈夫だから。」
「……。」
蓬は無言で私とことをじっと見つめる。いつも、蓬のこの瞳が羨ましくて苦手だった。純粋な眼差しに負けてしまうから。でも、それと同時に大好きでもあった。いつも、私の心を洗ってくれるから。
私が目尻を緩ませると、蓬は破顔した。それはまさに、ぱっと花が咲いたような、温かい木漏れ日のような、そんな笑顔を惜しみなく私に向けてくる。
「うん。百合子の言う通り、もう大丈夫そうだね。」
「え?」
「百合子、いつも死にそうな顔してたでしょ。いつ死んでも関係ないみたいな。そういう危うさも魅力ではあったけれど、今の方がもっと素敵。」
「なに、死にそうって。そんな顔してた?」
「うん。自殺しそうにはなかったけど、やばい事件に巻き込まれそうではあった。」
「なにそれ。」
私と蓬は教室の後ろで笑い転げた。実際にちょっとやばい事件に巻き込まれはしたけれど、あれ以上やばいことにならなくて本当によかったと思う。そうでなければ私は今、ここにはいなかった。
私たちが笑い転げていると、「席に着けー。」と担任が教室へと入ってきて朝のHRが始まった。それでも私たちは笑い転げていたから、「穂高と山崎うるさい」と怒られた。でもそれもなんだか可笑しくて、私たちは笑った。
放課後、私は校長室へと呼ばれていた。校長室に入ると、すでに私を校長室へと呼んだ人たちが居た。男性と女性の刑事さんだ。あの事件の事情聴取をしたいということだったのだ。
男性の刑事さんは宮西さん、女性の刑事さんは花山さんと名乗った。宮西さんは格闘家のようにいかつくて顔も狙った獲物を逃がさなさそうな雰囲気だが、花山さんは物腰が柔らかくてこんな人が警察官をやっているのかと驚くほどだった。
校長室には刑事さんの他に、養護教諭の里中ちゃんも居た。里中ちゃんは女性の先生で、まだ若いけれど生徒たちから信頼されている。里中ちゃんが一緒に居てくれると知ってほっとした。
「では、いくつか質問をします。答えたくないことがあれば、無理に答えなくていいですからね。」
花山さんがにこやかにそう言うと、校長不在の校長室で事情聴取が始まった。私は、私に答えられることにはすべて答えた。途中、あの鉄臭い部屋のことを思い出して気分が悪くなりそうになった時もあったけれど、精神的に不安定になるということもなく落ち着いて話をした。
なぜか私はあの事件のことを、どこか客観視しているところがある。巻き込まれて入院までした出来事だったけれど、別世界の話をしているような感覚になる。怖かったし、命の危機だって感じた。だけど、完全なる決別をしたからなのか、思い出すことで傷つくことはなかった。
宮西さんと花山さんが終始、温和な話し方をしてくれたのも客観的に見ることができた要因だと思う。威圧感があれば、あの大男たちを思い出して体が震えていただろう。つくづく私は、周りの人にどれだけ守られているのかを感じる。
「では、百合子ちゃんの方から何か質問はありますか?」
花山さんが最後に、私からの質問の機会を与えてくれた。少しだけ気になっていたけれど、誰にも聞けなかったことがある。両親には到底聞くことはできないからこの機会に聞くしかないけれど、聞いていいものなのか私には判断ができない。
「こんなこと聞いてもいいのかなって思うことでも、何でも聞いていいよ。」
私が何か言いたげにしていることが伝わったのか、笑顔を浮かべた花山さんがそう言ってくれた。もしここで聞かなかったら、あの時聞けばよかったと思うかもしれない。だから私は聞くことにした。
「亮太郎は……。それに美琴も……。あの3人はあの後、どうなったんですか?」
それは、不自然なほどに誰も教えてくれなかった。ただ、教えてもらえない理由もなんとなく分かる。そして、私も自分からは聞けない。あの3人がどうなったのか聞くことでまた心配をかけてしまうのかと思うと、聞けるわけがない。
気まずそうにそれを聞いた私に、花山さんは笑顔を絶やさずに口を開いた。
「3人ともあの後入院したけれど、快方に向かっていますよ。」
無事だと聞いてほっとする。
「……3人は捕まるんですか?」
念のためにと私も尿検査をさせられた。結果は陰性だったためお咎めなしとなったけれど、あの3人はそういうわけにはいかないだろう。
「今後のことは言えませんが……。ただ、然るべき措置をとることになると思います。」
「そうですか……。」
どこでどう間違ってしまったのだろう。私と出会う前から、大麻をやっていたのかもしれない。でも私には優しい彼氏だったし、バイト先の店長としても普通だったように思う。私にとって日常の隙間に落とし穴があったように、きっと亮太郎にとってもそうだったのだろう。
私にはその落とし穴から這い上がるのを手助けしてくれる人たちがたくさん居たからよかったけれど、もしその手を取らなければ私は同じ穴の貉だったに違いない。
「ただ、これで終わりではないと思うんです。」
「え?」
「きっと、3人にだって、これから何度でも道を正してくれる人に出会っていくことでしょう。その人の手をとることができるかどうかが、彼らにとって重要なことになると思います。人生はこれからも続くのですから。」
花山さんの言葉は、私の胸に突き刺さった。それは、私にも言われていることであるような気がした。本当に道を正してくれている人は誰なのか。私だってこれから何度でもそんな場面に巡り合うと思う。そのときに、自分にとって本当に幸せな方を選んでいけるのか。
そしてそれと同時に思うのは、手を差し伸べられるだけじゃなくて、私も差し伸べる側になりたいということだ。私みたいな経験をする子が、一人でも少なくなってほしいと思う。
校長室を出ると、西野っちが壁にもたれかかって立っていた。
「話、終わったか?」
「うん。西野っちは何してんの?」
「穂高のことを心配してたに決まってるだろ。」
「決まってんの?」
「決まってんの。でも、穂高の顔見れば大丈夫だったこと分かるから安心したわ。」
西野っちはそう言うと、校長室の対面にある職員室の扉に手をかけた。「気を付けて帰れよ。」と私に満面の笑みでそう言うと、職員室へと入って行った。
私はというと。なんと言ったらいいのだろう。顔から火が吹きそうなくらい、頬が熱くなっている。自分でも何が起きたのか分からない。どうしてこんなに心臓の鼓動が忙しいのだろう。
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