第5話

「百合ちゃん。明日の朝から穂高のお家に行くからね。」

「やっぱりそれ、私も行かなきゃいけないの?」


 お盆の前日。母親から本家に行く予定の念を押された。前々から「お盆は空けておくように」と言われていたから、バイトの休みをとっていたものの、どうしても行きたくない気持ちが出てくる。


「毎年のことだから。親戚の皆さんに顔を見せてあげてよ。」


 母親は眉毛をハの字にして笑った。父親の不倫相手でそのまま後妻としてその座について、一番陰口を叩かれているのはこの母親自身であるというのに、どうしてそこまでして本家に顔を出すというのか。


 そうまでして、親戚づきあいってしなきゃいけないもんなの?と、言えない気持ちを胸に抱えたまま、「分かった。」とだけ返事をした。一番行きたくないであろう人に、行こうと誘われたら断りたくても断れない。


 ひょっとして父親は私の性格をそこまで見込んで言っているんじゃないかと思うと、反吐が出そうになる。


 毎年、本家には5日間滞在する。亮太郎にはそのことを伝えてあったため、バイトのシフトもそうしてもらっていた。お盆という一番大切な時に休むことを申し訳なく思って居ると、「親戚の集まりなんだから仕方ないよ」と亮太郎は笑って許してくれた。


 次の日の朝、私は久しぶりに父親と顔を合わせた。目も合わせずにいると、父親の方から「おはよう」と声をかけてきた。何食わぬ顔で挨拶してくる父親が腹立たしい。私は父親の挨拶には返事もせずに、樹とばかり話をした。


 5日分の荷物を車に乗せると、父親の運転で本家へと出発した。穂高の本家は、車を2時間走らせたところにある。いつでも気軽に行く距離ではないから、小さい頃は旅行気分で楽しかったけれど、あの真実を聞いてから楽しいと思ったことは一度もない。


 父親が運転をしている間、助手席に乗った母親はかいがいしく父親のサポートをしていた。ジュースにストローをつけてやったり、ちょっとしたお菓子をあげたりしている。その姿がまた、私を苛々させた。


「百合ちゃんよう来たねえ。」

「ばあちゃん久しぶり。」


 本家に着くと、ばあちゃんが出迎えてくれた。父親の母親である。


「樹ちゃんも大きいなったねえ。」


 いつの間にか小さくなったばあちゃんだけど、まだ樹よりは背が高いからか、樹の頭をわしわしと撫でた。樹は「おばあちゃんやめてよ」と言いながらも嬉しそうだ。


「百合ちゃんは高校生になってから、ますます綺麗になったねえ。手足もスラーっとして。」

「ありがとう。ばあちゃんは相変わらず可愛いね。」

「ありがとう。ほら、2人ともおおばあちゃんに挨拶してきなさい。」

「はーい。」


 ばあちゃんに促されて、私と樹はおおばあちゃんの部屋へと向かった。古びた日本家屋のこの家は、建築されてもう100年近くになると聞いたことがある。それでもびくともせずに建っているし、親戚が一堂に会しても部屋が余るくらい立派なお屋敷だ。


 ぎしぎしと音の鳴る廊下を樹と二人で歩き縁側に差し掛かると、硝子の向こうに青々と茂った日本庭園が見えてきた。この庭の手入れのために庭師がやってくるらしい。一体、どこにそんなお金があるのだろうとも思う。


 おおばあちゃんの部屋の前に着くと障子の前に膝をついてそっと声を出した。


「おおばあちゃんお久しぶりです。百合子と樹です。入ってもいいですか。」

「ああ。入りなさい。」


 か細いけれど元気な声が聞こえてきたため、私はゆっくりと障子を開けた。おおばあちゃんは敷かれた布団の上で腰掛けていた。


「ごめんねえ。こんな格好で。」


 おおばあちゃんは、父親の祖母である。浴衣の寝間着のままであることを気にしているらしかった。


「ううん。体は?今日は調子いいの?」

「今日は起き上がっていられるくらいにはね。」


 目尻の深い皺を見ると、この人はずっとこうやって笑って生きてきた人なんだなと思う。


「百合ちゃんも樹ちゃんも大きいなったね。ほら、2人とも頭を。」


 おおばあちゃんに言われるまま私と樹が頭を差し出すと、2人の頭を皺くちゃの掌で撫でてくれた。やせ細ったその腕を見ると、おおばあちゃんはあまり長くないのかもしれないと思う。


 おおばあちゃんの年齢を考えると当たり前のことではあるけれど、お母さんの死以来、私は誰かが死ぬことに敏感だ。できれば、おおばあちゃんにいつまでも元気で居て欲しいと思う。


「よう来たね。ゆっくりしてね。」

「うん。」


 おおばあちゃんもばあちゃんも、私と樹に分け隔てなく接する。それは嬉しいことだけど、それがまた私の胸を締め付けた。まるでそれは、樹が父親の実の子であることを肯定しているかのように感じるからだ。


 本家に来ると、久しぶりに会うのは祖母や曾祖母だけではない。伯父伯母や従兄弟たちと会うのも正月以来になる。父親は次男だから家を出ているけれど、長男である伯父はこの家を継いでいる。


「百合ちゃんは年々綺麗になるね。お母さんに似てきたね。」


 みんなで夕食を囲んでいるときに伯母にはそんな言葉をかけられた。


「……ありがとうございます。」


 確かに私はお母さんに似ている。仏壇に飾ってある写真に似てきたと、自分でも最近思っている。だけど、それを母親の前で言うことなのであろうか。気づかれないように母親を見ると、彼女は笑っていた。


 みんな馬鹿げていると思う。作り笑いをして人間関係を築いて一体何が生まれるというのだろう。言いたいことを我慢して笑うなんて、自分の心を殺していることと同じじゃないのか。


 そういう私は、母親のことをかばいもせずにただ黙々と自分に用意された食事を口の中にいれているだけだ。だから私も人のことを言えない。


 家族が寝静まった後、私は泊まっている部屋を抜け出して、亮太郎に電話をかけた。あれだけ暑い昼間だけれど、夜になると少しだけ冷える。広い日本庭園に置いてあるベンチに腰掛けて彼に電話をすると、不在着信になった。


 お風呂にでも入っているのかと思っていると、すぐに折り返しかかってきた。


『ごめん。すぐに取れなかった。どうしたの?』

「ううん。亮太郎の声が聞きたくなったの。」

『そっか。嬉しい。今、なにしてんの?』

「庭で空見てる。星が綺麗。」


 亮太郎にも見せたいくらい、満点の星空が頭の上に広がっていた。プラネタリウムよりも綺麗だ。ただそれを眺めているだけで、心も綺麗にしてもらっているような気持になる。


『そっか。見てみたいな。』

「うん。見せたい。亮太郎は?なにしてんの?」

『テレビ見てる。』

「なんの?」

『エロいやつ。』

「えー?そっちー?」

『だってお前が居ないときじゃないと見れないしさ。』

「もう。帰ったら全部捨ててやる。」

『借り物だから、お前が帰ってくる前に返してきまーす。』

「せこっ。じゃあ、間抜けな姿のまま電話させるのは哀れだから、切るわ。また明日電話してもいい?」

『明日は俺からするよ。親戚と一緒だと大変なこともあるだろうけど、楽しんでな。また明日な。おやすみ。』

「うん。おやすみ。」


 電話を切った後、私はスマホをぎゅっと胸で抱えた。明日は亮太郎の方から電話をしてきてくれるなんて、嬉しい。


 亮太郎は私の気持ちを察してか、穂高の本家に泊まっている間、夜になると電話をかけてきてくれた。

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