第4話

 8月に入ったある日、私は自分の家に荷物を取りに行った。高校のメンバーで夏祭りへ行くことになり、浴衣を着ることになったためだ。平日の昼間なら父親と顔を合わせることもないだろうと思って家に入ると、案の定しんと静まり返っていた。


 母親には会うかなとも思ったが、どうやらどこかに出かけているようだ。私は、これ幸いとばかりに、2階にある自分の部屋に入ってクローゼットの奥から浴衣セットを引っ張り出す。


「あった。」


 新しい浴衣を買ってもよかったのだが、お小遣いを貯めて買ったお気に入りの浴衣だったため、どうしてもこれを着たかったのだ。浴衣セットを、持ってきた大袋に入れる。忘れ物はないかと確認をして部屋を出る。


 1階に降りて和室に入ると、私は仏壇に手を合わせた。家に帰って来たときくらい、お母さんにだけは顔を見せないといけないと思って居るからだ。


 合わせた手を解いて顔を上げると、そこには優しく微笑んだお母さんの遺影が変わらず鎮座している。仏壇はちゃんと掃除されているようで、お水やお花、供物もあがっていた。おそらく、母親がしてくれているのだろう。


 あの人も、一体どんな気持ちでお母さんの仏壇の掃除をしているんだろう。これが罪滅ぼしとでもいうのだろうか。


「姉ちゃん?」


 どれくらいの時間、そうしていたのだろう。樹の声ではっとして、私はその声の方を慌てて振り返った。樹は幽霊でも見たかのような顔をしていたかと思うと、すぐに顔を歪ませて私の方へと駆け寄ってきた。


「姉ちゃん!」


 わっと泣き出す樹の頭を私は優しく撫でた。


「ごめん、ごめんね、樹。」

「どこにも行かないでよ。」


 樹のその言葉に、私の胸の奥はきゅっと傷んだ。なんだかんだ言って、私は樹のことは大好きなのだ。可愛い弟なのだ。樹も私と同じように、私のことを姉と慕ってくれている。樹が、またあの仲のよかった家族に戻って欲しいと思っていることは、手に取るように分かる。弟の涙には弱い。


 私はその日から、昼間は毎日家に帰るようにした。母親の居る日は自分の部屋で昼ご飯を食べ、居ない日には樹と一緒に食べた。


 樹の方が料理上手だから私は吃驚した。いつの間にできるようになったのかと尋ねたら、5年生になってから母親と一緒に作るようになっていたらしい。そんなこと全然知らなかったから、樹に対して申し訳なかったなと改めて思った。


 私の作ったオムライスはぐちゃぐちゃで、樹は爆笑しながら全部食べてくれた。






「笹浦美琴ちゃんって知ってる?」

「え、友達だよ。なんで亮太郎が知ってんの?」


 亮太郎の部屋で浴衣へと着替えていると、そんな質問をされた。今日は夏祭りで、高校のメンバーと一緒に行く約束をしている。


「いや、今日の夏祭りさ、俺もダチと一緒に行くだろ?そのうちの連れの彼女が笹浦美琴ちゃんって言うらしくてさ。今日、連れてくるらしいんだよ。百合子のことを知ってるって言ってたから、後から百合子も俺らと合流できないかなーと思って。」

「そうなの?知らなかった。そういうことなら分かった。」

「じゃあ、そっち終わったら連絡してよ。俺が迎えに行くからさ。」

「うん。ありがとう。」


 亮太郎とそんな約束をしてから、私は浴衣姿で出かけた。蓬と学校の前で待ち合わせをしている。アスファルトに下駄が打ち付けられてカコンカコンと音が鳴る。この音を聞くと夏だなと思うのだ。


 学校の前に着くと、すでに蓬が居た。蓬の浴衣は紺の生地にカラフルな薔薇の絵柄が描かれていた。彼女らしくてとても似合っている。それに対して私の浴衣は、紺の生地に金魚が描かれている。


 みんなとは駅前で待ち合わせているから、2人で歩いて向かう。蓬と「百合子似合ってるね」「蓬こそ」なんて話をしながら、下駄の音を鳴らした。


 夏祭りは大賑わいだった。毎年足を運んで「人が多いな」と思うけれど、今年も同じだ。この夏祭りでは花火も打ち上げられるため、この街で一番大きな川沿いで行われている。川辺には集まった人たちを楽しませる屋台が所狭しと並んでいる。


 仲間内の一人である雄一ゆういちの家が川辺にあるため、私たちはそこでバーベキューをさせてもらうことになっている。到着した雄一の家では、大地や一臣かずおみがすでに集まっており、私と蓬のすぐ後にこころかえでもやってきた。


 心も楓も私たちと同じように、浴衣を着てきている。心と楓も高校になって仲良くなった子だけど、私や蓬と波長が合う。バーベキューを楽しんだ後は、せっかく浴衣を着ているからと、屋台巡りにも繰り出した。


 人の波に押されながら、背の低い蓬の手をしっかりと握る。「わー」「きゃー」と言いながらも、箸巻やたこ焼き、焼きそば、かき氷、わたがしと食べたいものは全部食べた。途中、蓬がクレープ屋の前で立ち止まったから、「買う?」と聞いたけれど、彼女は「ううん、いい。」と苦笑いをして歩き出した。


 20時になると、大きな花火が打ちあがり始めた。私たちの街はそんなに大きなところではないけれど、1万発あがる花火はこの街の自慢だ。協賛した会社の名前がアナウンスされながら、胸に響く大きな音と共に花火が打ちあがる。


 蒸し暑くてあんなに汗をかいていたはずなのに、花火を見上げるとそれを一気に忘れられるから不思議な感じだ。


「綺麗だね。」


 私が花火を見つめながらぽつりとそう言うと、「うん、綺麗だね」と蓬が返事をしてくれた。蓬の横顔を一瞥すると、彼女の瞳は花火の光に照らされてきらきらと輝いていた。彼女は今、誰のことを想っているのだろう。


 花火が終わると、人の流れは帰宅する方へと動き出す。私たちも一旦雄一の家に戻って写真を撮った後は解散する流れになった。雄一の両親が女の子は送ると車を出してくれることになったけれど、私は亮太郎との約束があったから断った。


 亮太郎に連絡を入れると、彼はすぐに迎えに来てくれた。いつもの、黒いホンダのヴェゼルだ。その助手席に乗り込むと、後部座席から「こんばんは」と声をかけられた。振り返ってみると、そこには亮太郎の友達らしい人が乗っていた。


「はじめまして。穂高百合子です。」


 私が挨拶すると、その男の人は「まじもんのJKじゃん!」と騒いだ。亮太郎は短髪で爽やかなルックスだけど、中野一道なかのかずみちと名乗った亮太郎の中学の同級生のその人は、長髪で口ひげを生やしているソース顔の人だった。


 亮太郎の運転で車を走らせている間、中野さんから亮太郎との出会いや亮太郎のどんなところが好きなのか、事細かに聞かれた。私はしきりに照れっぱなしで、でもその回答をするたびに、「亮太郎のこんなところが好きだったのか」と逆に自分のことを知れた気持ちになった。


 目的地に到着したらしく、亮太郎の車が手慣れた手つきで広い駐車場へと入った。その駐車場の隣には、コンクリートの造りのビルが建っており、何軒ものスナック等が入っている。


「私も入って大丈夫なの?」


 お酒を提供する場所に未成年である私が入るのも大丈夫なのかと心配になり、亮太郎に一応確認をすると、「知り合いの店を貸し切ってるから大丈夫」と返事をされた。それなら大丈夫かと思い、私は亮太郎に手を引かれながらそのビルへと入った。


 エレベーターで5階にあがると、その扉が開かれた瞬間からクラブのようなお店だった。他の階は店舗で小分けになっているけれど、このフロアは1店舗で占められているらしい。


 私たちが到着するのを待っていたのか、バーカウンターのようなところでお酒を飲んでいる集団が、こちらに向けて手を挙げた。亮太郎の友達が集まるって聞いていたから、多くてもせいぜい10人くらいかと思っていたけれど、音楽に合わせてダンスホールのようなところで踊っている人だけでも30人は居るように見える。


「百合子!」


こちらに向けて手を挙げている人たちの中には、美琴の姿もあった。普段、足を運ばないようなところで緊張していたけれど、美琴の姿を見た瞬間にほっとした。


「その子が百合子ちゃん?」


 美琴と腕を組んでいる男の人が、私と亮太郎に向かって話しかけてきた。


「はじめまして。穂高百合子です。」

「はじめまして。俺は亮太郎の友達で、美琴と付き合ってる矢野翼やのつばさです。モデル事務所の社長をやってます。」

「モデル事務所ですか。」

「そう。美琴とも、俺がスカウトしたことで知り合って、な?」

「うん。彼氏兼社長って感じ。」

「そこは社長兼彼氏だろ~。」


 分かりやすく、美琴と矢野さんは目の前でイチャつきだした。美琴にこんな大人で雰囲気のある彼氏がいるって美琴の学校の男子が知ったら、落ち込む人はどれくらいいるのだろう。


「こっちで一緒に話そう。」


 矢野さんに誘われるまま、亮太郎と美琴と4人で、ソファー席で話をすることになった。「浴衣可愛いね」と矢野さんや美琴にも褒められて、少しだけ気分もあがった。途中からは、「未成年は少しだけだからね」と言われて、私と美琴の2人で1杯だと決められてカクテルも飲んだ。


 お酒は成人してからだっていうのは分かっているけれど、中学の時から仲間と集まってはチューハイとかビールとか飲んでいたから、カクテルを飲むことに対してもそこまで抵抗はなかった。


 初めて飲んだカクテルは、大人の味だった。甘くて飲みやすいけれど、すぐにほろ酔いになる。亮太郎からは、「俺以外の前で飲んじゃ駄目だからな」ときつく言われた。


 良い感じに楽しくなってきたから亮太郎の肩に頭を乗せて目をとろんとさせていると、どこからともなく嬌声が聞こえてきた。「えっ。」と思ってあたりを見渡すと、ダンスホールで踊っていた人たちが情事を始めている。


 目の前に座っている美琴と矢野さんを見て、私はまたぎょっとした。彼らも人前でイチャつく程度の度を超した交わりを始めていたのだ。不安になって亮太郎の顔を見上げると、彼は苦笑いを浮かべた。


 そして、亮太郎は私の手を引いて、ソファを立ち上がった。そのまま帰るのかと一瞬安心したけれど、亮太郎はずんずんと店の奥へと進んでいく。店の奥にはいくつかの扉がある。ビルの1フロアを使っているだけあって、奥はとても広いようだ。


 そのうちの1つの扉を、亮太郎は躊躇なく開けた。その部屋に入ると、そこには大きなベッドが1台だけ鎮座している。これはどう見ても、そういうことをするために作られた部屋としか思えない。


 亮太郎は後ろ手に部屋の扉を閉めて、鍵をかけた。


「しよ?」


 彼のその一言を合図に、私たちは大きなベッドへとなだれ込んだ。


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