第5話 彼女のスマホ

 最初の投稿には一枚の写真が載っていた。僕と結花だ。二人でサンタクロースの帽子を被り、グラスを片手にケーキを囲んでいる。


 「懐かしい、やっぱり結花は可愛いな」


 付き合って間もない頃で、初めて僕の家に結花が足を踏み入れた日。そして、身体を重ね合った日でもある。丁度、その日は祝日で昼から「ケーキを作ろうよ」って、結花は張り切っていたな。


 画面をスクロールすると、春先に陽太と朋美さんを交えた四人で花見をした写真。僕と菅野は顔を酒で赤く染めて、苦笑いする二人の彼女。


 「飲み過ぎだよ。当分お酒禁止だから」


 「だったら、一緒に住んだ方が監視し易いんじゃない?」


 そう冗談めいて言った一言で僕達は同棲するようになった。あの時みた結花の気恥ずかしそうな顔は忘れない。近くにある寒緋桜のように頬を染めるのを。


 さらにスクロールする。その途中には僕と結花、それぞれの誕生日を祝った時の写真もあった。季節は変わり夏頃の写真が、画面に映り始める。これは四人でバーベキューをしていた時の写真だ。近くに川もあって、学生に戻ったみたいに大はしゃぎしたな。


 結花が足を攣って溺れかけた。陽太と助けた時は心臓が止まるかと思った。助けられた結花は子供みたいに泣きじゃくっていた。


 「怖かった。助けてくれてありがとう」


 「当たり前だろ。結花は僕の大事な人なんだから」


 今でも思い返すと体が震える。傍に陽太がいなかったら僕一人じゃとても助ける事は出来なかった。本当、陽太には感謝している。


 徐々にSNSの投稿暦が現実に近づいて来る。季節は秋に差し掛かった九月頃。この辺りから彼女は一人で出掛ける事が多くなるのだった。


 「ちょっと、友達と遊んで来る」そう言って、身支度を整えて出て行くのを、何度見送った事だろう。


 当時、僕は仕事で営業の成績が伸び悩み、心身共に余裕は無かった。だから、構って欲しいとせがまれるよりも、好き勝手に遊んでくれていた方が都合が良かったのだ。


 とは言え、余りにも頻度が多くなると訝しむのも当然で、僕は結花に尋ねるのだった。


 「ねぇ、誰と遊んでるの? そんなに仲が良いなら家に呼んでも良いよ」


 「ん? 普通に女友達だよ。まさが妬いてくれるの? 嬉しいな」


 嘯く事も無く、僕をからかう結花は楽しそうに続ける。


 「家に呼んだら、友則がいるから話せないよ」


 どんな内容か聞き返しても結花は、はぐらかすばかりで結局教えてはくれなかった。


 そんな事よりも、とSNSに意識を戻す。更に読み進めると写真の無い投稿が続いていた。


 『友則と付き合って、そろそろ一年。最近忙しそうだけど、私との事考えてくれてるかな』


 「もちろん。考えていたよ」


 僕はテーブルに備え付けの引き出しから、小さなケースをスマホの横に置く。ケースを開けると二つの指輪が並んでいる。


 『前に友則が焼き餅妬く姿、可愛かったな。友達と≪良い奥さんになる研究会≫を開いていた事なんて言えないもの』


 「そう……だったのか」


 震える指で更に読み進める。


 『男性の意見も聞きたいって事で、友則には内緒で菅野さんに会って来た』


 まずは知り合いの私が相談して、菅野さんが迷惑じゃ無かったら≪研究会≫に参加してもらう。友則の事を私と同じくらい知っている人だったから――。そんな流れが記されていた。陽太が? 唖然とした。仕事で毎日のように顔を合わせているのに、全然そんな素振りは無かった。


 『……ごめんなさい、友則。菅野さんと食事していた筈なのに、急に眠気がして気が付いたらホテルで――』


 スマホを握る手に力が籠る。やるせない気持ちが滲みだした。「そんな筈はないだろ」と、心の中で何度呟いただろう。


 『友則。私、見つけちゃったよ。引き出しの奥に隠してあったケース。ちゃんと考えていてくれたんだね。私の事……』


 部屋の電気に反射して煌く指輪。僕は嗚咽を鳴らし、涙がスマホに零れ落ちる。指を動かす度に静寂の中で僕と彼女の会話は続く。


 『でも、私は駄目なんだ。「友則に知られたくなかったら――」そう言われると、私に抵抗手段は無くて何度も――』


 「なんで……、なんで言ってくれなかったんだ」


 『嫌だった。友則に嫌われたくなかった。傷つけたくなかった』


 「そんな事……どうだっていいんだよ。結花が傍にいてくれるだけで」


 『ある日、友則が「イブは予定開けといてね」って言ったくれた時は、嬉しかった。あの指輪をくれるんだって思ったら幸せだった。でも――』


 「あ、ああ……なんで! どうして気付けなかった! 僕は一体、結花の何を見ていたんだ!」


 心に溜めた感情が溢れ出し、自分を叱責する言葉が止めどなく出て来る。手当たり次第に物を掴んでは部屋中に叩きつけた。


 『でも、私は友則に相応しくない。この事を知られたくない。だから、私の想いは実家に送る事にする。お父さん、お母さん、こんな娘でごめんなさい』


 続けて最後にこう記されてあった。


 『友則。迷惑かもしれないけど、少しでも永く友則の傍に居させて。せめて思い出の詰まったこの場所で』


 僕は力一杯、ケースとスマホを抱きしめて、子供の様に咽び泣いた。ソファから立上りベッドに近寄る。掛け布団を剥ぎ取ると、布団圧縮袋に包装した結花が横たわっていた。


 透き通っていた白い肌は黒ずみ、以前の可憐さは微塵も無い。変わり果てた彼女がそこにはいた。


 結花が亡くなった日の晩、僕が仕事から帰って来ると空の小瓶が大量に部屋へ散らばっていた。辺りは吐しゃ物まみれ、その中で埋もれるように横たわる結花は既に冷たかった。


 ベッド脇に膝をついて、指輪を手に取った。一つは自分の指へ、もう一つをそっと彼女の指であろう所に指輪を置く。


 「僕と……結婚して欲しい」


 沈黙を守る結花を抱きしめる。僕の目に滲む涙越しからは、結花の嬉しそうに微笑む表情が浮かんできた気がした。


 自分のスマホを取り出し、時間を確認する。八時を回った辺りだった。もう、時間は無いな。着信履歴から菅野を見つけて発信をタップする。


 『おお、どうした?』


 電話口から菅野の陽気な声が聞こえて来た。ぐっとスマホを耳に押し当てる。


 『悪いな突然。陽太には言っておかないと思ってな』


 『なんだ? 結花ちゃん見つかったのか?』


 『ああ、今傍に居るよ。それで、俺達結婚する事にしたんだ』


 『めでたいじゃないか!』と、菅野は祝いの言葉を並べる。僕の掌に爪が食い込む感覚があった。


 『その事で詳しく聞いて欲しい事があるんだ。今から家に行っても良いか?』


 『ああ、もちろんだ。良い酒用意して待っているからな』


 こうして通話は終了し、再び部屋には静けさが戻って来る。結花に視線を落として僕は唇を動かす。


 「行ってきます」


 結花が最後に耳にしたであろう音は、玄関扉が閉まる音だった。

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彼女のスマホ 神村 涼 @kamira09

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