めでたしめでたし

 テーブルの上にはしんなりと項垂れた生成色のクロスが敷かれ、几帳面に、やや濁ったカトラリーが並べられている。席についてクロッシュを持ち上げると、薄桃色の、魚の身のようなものが目に入った。フランツが妙な既視感に口を噤んでいる横で、妻は感嘆の叫び声を上げた。

 「なんて綺麗な色なの。お魚かしら」

 フランツが首を捻りながらナイフを入れると、思いのほか肉質が柔らかく、ほどけるように切れた。妻はとっくに一口目を口に運んでいる。フランツもそれにならって一口かじると、なるほど、潮の香りが強く、間違いなく魚であろうが、小骨が無く、なんとも口当たりが良い。

 その時、ヴラジミルが不意に口を開いた。

 「フランツ、お前の楽器を最近拝借したんだが、気づいたか? あれはすごい。漁の最中に暇を潰そうと弾いてみたら、なんと、世にも美しい人魚が自分から寄ってきた。俺にしては珍しく、息を呑んだよ」

 フランツの握っていたフォークが皿に落ち、不快な金属音が響きわたった。

 「兄さん、何のこと」

 「その人魚を捕まえて調理させたんだが、味はどうだろうか。何しろまだ味見をしていないもんでね」

 フランツはわなわな震え、あらゆる罵詈雑言をヴラジミルに投げつけたが、何一つ届いていないようだった。それはヴラジミルの厚顔に由来する不通ではない。どうやら、感触からして、ヴラジミルはフランツの発する言葉をてんで理解していないようであった。あからさまに困惑した顔をしている。

 埒があかないのに憤ったフランツが助け船を求めて傍らの妻に目をやると、妻の椅子の腰掛けとスカートが、鮮血で真っ赤に染まっている。腹を痛がり泣き叫ぶ妻を抱きかかえてなだめようとするも、こちらにもまた、言葉は伝わらないようであった。


 言葉を奪われ物言わぬ廃人と化したフランツは、他者の話を聞くばかりで自ら言葉を操ることのできないことへの絶望から、社長の座を退くこととなった。あの夜、理不尽にも我が子を失ったフランツの妻もまた、その後二度と子を身ごもることがなかったという。

 ヴラジミルは、フランツの後任に就いたは良いものの、間もなく会社が立ち行かなかくなった。経営者としての才覚に恵まれなかったのは勿論、フランツが在任中長年に渡って心血を注いできた働きかけにより、ついに人魚の搾取が法律で禁じられることとなったのだ。それでも尚乱獲を続けたヴラジミルは、会社もろとも重い罪に問われ、あっけなく牢屋の中で暮らす身となった。愛を注いできた玩具たちを見ることも触れることも永遠に許されず、ただ底無しの孤独に己が身を啄ませるしかない。

 そうして、ヴラジミルの屋敷の水槽の中に、永久に朽ちることのない人魚だけが残されることとなった。誰かに救い出されて海へ戻されたのか、はたまた、今なお美しい姿のまま寂しげに揺れているのか。今日に至るまで、その行方を口にする者はいない。

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やさしいおとぎ話 @vel_59

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