第9話 百聞は一見に如かず
南冬母夏 北山火林 側
「お姉ちゃん。本当に来ないの?」
火林が、隣を歩く母夏に問いかける。
「うん。よろしく伝えておいて」
母夏は冴えない表情でそう答えた。
火林が訪れようとしていた場所は病院。
入院している母親の元へ、顔を出そうと考えていたのだ。
そこに義姉である母夏も誘ったのだが、やんわりと断られてしまった。
「お姉ちゃんも来た方が母さん喜ぶのに」
「いいからいいから」
なかなか折れない姉に、火林の頰がムーと膨らむ。
「それじゃあ。病院こっちだから」
曲がり角に差し掛かり、火林が一方を指差して告げる。
「うん。また明日ね」
それに対し、母夏はあっさりと別れを告げた。
「・・・・・」
角を曲がり、しばらく歩いた後で火林が振り返る。
母夏の姿は既になかった。
秋春黒龍 側
皆と別れた黒龍は、いつものスナックを訪れていた。
「ママ。この間の話覚えてる?」
「坊やと来た時の話かい?『ごめんな。俺がもっとしっかりしてれば・・・』って、言ってたやつ」
「いやその時じゃなくて・・・って、俺そんなこと言ったっけ?」
「潰れた後にね。坊や大変そうだったよ」
「そうか。それは悪いことしたな」
必死に自分のことを起こそうとする風東の姿を思い浮かべ、黒龍が苦笑を浮かべる。
「それで?いつの話だい?」
「あれだよ。イヴの時にした結婚の話」
「あー。あったねえそんな話」
それはクリスマスイヴの夜のこと。
ラジオ終わりにスナックを訪れた黒龍は、話の流れで自身の結婚観について語っていた。
「実はさ。昔、結婚しようと思ってた相手がいて・・」
「なんだい失恋の話かい?」
「そうなるね。嫌だった?」
「いいや。大好物だ」
「ママは性格悪いな〜」
お酒を注ぎながら、冗談のように言うママ。
「ありがとよ」と、注がれた酒をグイッと飲み、黒龍はこう続けた。
「でも、俺はその子をひどく傷つけてしまった。それからさ、誰かの特別な存在になることが怖いんだ・・・」
声のトーンを落とし、黒龍が弱々しく語る。
「ブラちゃんは優しいからね。その子とはちゃんと話したのかい?」
「・・・いいや。俺にはそんな資格ないよ」
「そんなことないなんて無責任なことは言えないけどさ。もしかしたら、その子は今も待ってくれてるんじゃない?」
「そうかな。でも、こんな落ちぶれた男じゃ、何も変えることはできないよ」
カウンターで酒を嗜む、丸まった背中。
その曲線には、なんともいえない哀愁が漂っていた。
北山火林 側
「それでね。そのクレームを入れてる酔っ払いのお客がね。よく見たらお姉ちゃんだったんだよ」
場所はとある病院の病室。
ベッドに横たわる女性に向けて、火林が楽しそうに話をしていた。
「それはその店員さんも災難だったね」
「そうだよ。お姉ちゃんの酒癖にも困ったものだよ」
彼女の話を聞いて、嬉しそうに静かに笑う女性は、火林の実の母親であった。
「火林ちょっと疲れてない?また遅くまで勉強してたの?」
「・・うん、でも大丈夫だよ」
ここ最近の出来事を話すには時間が掛かりすぎるし、何より母に心配を掛けたくないといった想いから、火林は優しい嘘をついた。
「あんまり根を詰めすぎちゃだめだよ。勉強も大事だけど、身体が一番だからね」
「わかってるよ。ありがとね」
火林が人一倍勉強をすることには理由があった。
それは、彼女が目指している大学の特待生になるためだ。
特待生に選ばれれば、学費免除が受けられる。
母の負担を少しでも減らす為、火林は勉強に力を注いでいるのだった。
「じゃあそろそろ帰るね」
「もうそんな時間?寂しいけどしょうがないね・・・」
「またすぐ来るから、早く元気になってね」
「そうだね」
交代で病室に入ってきた看護婦さんに会釈をして、出口へ歩いていく。
「火林。今度は母夏ちゃんも連れて来てね」
「・・うん。わかった」
少しぎこちない笑みを浮かべて、火林は病室を後にした。
南冬母夏 側
火林と別れた母夏は、ひとりアパートまでの帰路を歩いていた。
「・・・もか?母夏か!?」
その途中。
すれ違った男が振り返り、母夏の背中に向けて、興奮気味に声を投げかけた。
「・・・人違いじゃないですか?」
対する母夏は、その男の顔を視認すると、冷たい声でそう言い放った。
それもそのはず。
その男の正体は、彼女が最も軽蔑する男。
実の父親だったからだ。
「そう・・だよな。今はまだそれでいいんだ」
男は寂しげな表情で呟くと、気合いを入れ直すように拳を握り、独り言を話すようにこう続けた。
「あの後色々あってな。俺は仕事をクビになったんだ。お金に困った俺はギャンブルに手を出して、更に金を失くした。それでヤケになって酒を飲み、体を壊した。まさに踏んだり蹴ったりってやつだ」
男が養育費を寄越さなくなったのは、払わなくなったのではなく、払えなくなったのだ。
「人生のどん底ってやつを経験したよ。まあ、全部自業自得なんだけどな」
男は、その時を思い出すように苦く笑った。
「そんな時だ。生活費の足しにする為に、いらなくなった服を整理してたら、こんなものが出てきた」
そう言って男がポケットから取り出したのは、小さな紙切れだった。
よく見ると、幼い子どもが書いたような字体で『かたたきけん』と書かれていた。
『た』が一文字抜けているところが、年相応のあどけなさを表現しているようで実に可愛らしい。
「これを見た時思い出したんだ。俺は娘に労ってもらえるような。家族の為に頑張るかっこいい父親になりたかったんだって」
幼い頃の母夏が憧れた。
おしゃれでかっこいい父の姿。
それは娘にかっこいいと思われたい。
その一心で必至に取り繕った。1人の男の姿だった。
「もう一度、娘に肩を叩いてもらえるような。そんな日が来る可能性が万が一にでもあるのなら。それが、10年後だろうが20年後だろうが待ってやる。俺はそう思って、ゼロからやり直したんだ」
矢継ぎ早にそこまで語ると、俯きがちだった視線を母夏の目に合わせ、最後にこう言った。
「だから、俺に謝るチャンスを与えてほしい。・・・連絡待ってる」
母夏の返事を待たずに、男は180度回転し、スタスタと歩きだした。
「・・・・・」
段々と小さくなっていく背中を、母夏は黙って最後まで眺めていた。
赤西風東 側
「・・・ただいま」
風東の小さな声が、誰もいない家に吸い込まれていく。
風東の両親は共働きである為、この時間は家に誰もいない。
ガチャッ
自身の部屋のドアを開くと、食べかけのお菓子やカップ麺の残り汁の籠った臭いが、鼻を襲った。
床と同じく散らばった机の上。
そこに作業できるだけのスペースを空け、椅子に腰掛ける。
そのまま、慣れた手つきでPCを起動した。
「・・・懐かしいな」
数秒後。
モニターに表示されていたのは、動画投稿サイトのページだった。
とある動画のコメント欄。
その一つ一つを目で追いながら、ゆっくりとスクロールしていく。
「・・・・・」
その動きが、あるタイミングでピタリと止まった。
『お前もしかして風東か!?』
マウスカーソルのちょうど真下には、そんなコメントが表示されていた。
2年前
「わりいな。大学デビューに成功したんだよ」
「何が大学デビューだ!くだらねえ!」
風東は怒鳴るように言い放つと、通話を一方的に切った。
電話の相手は高校時代のオタク友達。
別々の大学に進学したことで疎遠になっていたため、久しぶりにイベントに行かないかと誘ったところ、「そういうのはもう引退したんだ」と、断られてしまったのだ。
「ったく。どいつもこいつも浮かれやがって」
大学に入学してから早1年。
学校では気の合うような人が見つからず、風東はいわゆるボッチ生活を送っていた。
「・・・もうこんな時間か」
ボソっと呟き、トイレの個室をそうっと開く。
風東は講義までの時間を潰すため、トイレの個室に籠っていたのだ。
誰もいないことを確認した風東は、そのままひとり講義室を目指す。
「・・・ここでいいや」
講義室の隅の席に座り、スマホのゲームアプリを起動する。
「お!モンドラじゃん!しかも結構やり込んでね!?」
その直後。
後から講義室にやって来た、ちゃらい印象の男が風東に声をかけた。
「え、えーと・・・」
「ああ、わるいわるい。俺は馬熊光だ。よろしくな」
戸惑う風東に向けてスマホを差し出す男。
その画面には、同じゲームのフレンド登録画面が表示されていた。
「よ、よろしく」
ぎこちない返事をし、番号を打ち込んでいく。
「あっ、教授来たな。またな」
フレンド登録が済むと、光と名乗る男はあっという間に去っていった。
それこそ名前の通り、光の速さで。
自宅
光に声を掛けられてから1ヶ月の時が流れた。
その間彼に何度か話しかけられたが、会話の内容は薄く、関係は顔見知り程度のままだった。
カタカタカタ
部屋に響くのはキーボードを叩く音。
椅子に座る風東の目に、モニターの画面が映り込む。
この日。
大学から帰ってきた風東は真っ直ぐ机に向かい、とある作業を進めていた。
「ここに効果音をつけてっと・・・」
風東の操作に合わせて、爆発音のようなものが鳴る。
その作業とは、動画の編集だった。
風東は大学に入学してすぐ、元々興味のあった動画投稿を始めた。
ジャンルはゲームのプレイ画面を共有する、ゲーム実況と呼ばれるものだ。
PCゲームからスマホゲームまで、幅広いゲームのプレイ動画をアップロードし、一定の視聴者を獲得していた。
内容の面白さはもちろんだが、ゲーム実況としては珍しい凝った編集が、視聴者にウケているようだった。
「よし。完了っと」
全ての作業が終了し動画がアップされると、視聴回数を表す数字が目に見えてぐんぐんと増えていった。
この数字が、自分の存在を証明及び容認してくれているようで。日頃は低い風東の自己肯定感が、最低限ではあるが高められていく。
「うんうん」
風東はその様子を見て満足気に頷くと、疲れからか、机に突っ伏して眠りについた。
テレレ...テレレ...
アラームが起動し、机の上のスマホが健気に震える。
「・・・・・ん」
徐々に覚醒していく意識。
痺れた感覚の両腕が、風東の顔をしかめさせる。
机の上の時計が示す時刻は、深夜0時。
どうやら本格的に眠っていたらしい。
寝ぼけ眼のまま。風東はアラームを止め、スマホのラジオアプリを立ち上げた。
『さあ始まりました。オールビット0。この時間はブラックドラゴンがお届けして参ります』
渋い男の声が部屋に響く。
その声をBGMに、風東はPCを立ち上げ、動画投稿サイトを開いた。
『12:31の編集すごくね!?』
『↑それな』
『何気にプレイもヤバくね?』
『ワイも思った』
『風呂アロマ最高ww』
絶賛の嵐に思わず風東の頬が緩む。
中にはアンチコメントと呼ばれるような誹謗中傷もあったが、他の人の動画と比べてその数は非常に少なく、肯定的な意見の中に埋もれていた。
普段の生活では味わうことのない賞賛が、風東の自己肯定感を高めてくれる。
目立ったコメントに対して、風東は返信を打ち込んでいく。
こういった地道な活動が、ゲーム実況者風呂アロマの好感度を底上げしているのだった。
「・・・っ!」
返信を続けていた風東の身体がビクッと震え、指がピタリと止まる。
その要因は一つのコメント。
『お前もしかして風東か!?』
といったものだった。
マウスを握る手が震え、視界が狭まっていく。
スマホから聞こえるラジオの音が、段々と小さくなるのがわかった。
風東はネット歴が長く、匿名の誹謗中傷には多少の免疫があった。
しかし、それは自分も匿名であるという安心からくるもの。
風呂アロマという名前を使い、別人として振る舞うことで、心にバリアを張っていたわけだ。
そんな領域に突如書き込まれた本名。
風東が動揺するのも無理はなかった。
そして、問題なのはコメントの横に書かれたネーム。
光という名前だった。
これがあの馬熊光のことで、自分が動画投稿をしていることを周囲に言いふらすようなことがあれば。その噂は瞬く間に大学中に広まり、皆から白い目を向けられるのではないか。
そうなれば、今以上に肩身の狭いキャンパスライフを送る羽目になってしまう。
そんな考えすぎとも思える不安が、風東を襲った。
ここ1ヶ月。光と接してきて、彼にもった印象はリア充だった。
十数年生きてきて、なんとなく身についたリア充への偏見が、風東の不安を膨張させる。
そして、その確証のない不安は、確証がない故に足枷となり。翌日、風東は大学を休んだ。
一日だけ。もう一日だけ。あと一日。
拭きれない不安は、日を増すごとに風東の足を重くさせた。
それから2年。
気づくとそれだけの時が流れていた。
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