第6話 馬子にも衣装
4日目
『というわけで、今日も楽しくミッション頑張っていこう・・・と言いたいとこだけど。今回は悲しいお知らせが二つあるんだよね』
少し俯きながら首を左右に振るひょっとこ。
身振りと全く合っていないお面の表情が、なんとも言えない狂気のようなものを感じさせる。
『一つはペナルティの話だよ。残念ながらお金を減らしてしまったフォーマンセルは・・・』
お面の前で1人で両手を恋人繋ぎし、手首の方を開いてすぼめた口元を隠すひょっとこ。
『こちらを被って生活してもらう』
深刻な声色のひょっとこの手に握られていたのは、4頭のひょっとこだった。
『何だって?それじゃあペナルティじゃなくてご褒美だって?確かにそれは言えてるね。でも、物事のプラスマイナスなんて受けての考えようなんだよ』
今日は機嫌が良いのか、ひょっとこはいつもより饒舌だ。
『それよりこのポーズは良いね。お面と相まって原動力が漲ってくる感じがするよ』
何か可笑しなところがあったのか、自分で言って1人で肩を揺らしている。
その意味に気づいたのか、404号室で話を聞いていた黒龍は、
「新世紀の幕開けとでも言いたいのか」
と、1人呟いた。
『さて、もう一つだが。私は怒っているよ。怒りが限度を超えてるよ』
その言葉とは裏腹に、ひょっとこは司令塔のようなポーズのまま心底楽しそうに言葉を紡ぐ。
『505号室の同志が禁忌を起こした。そう、リア充になったのさ。同志とて例外はない。彼らには眠りについてもらった。君たちはこのような真似を決してしないよう、肝に命じておいてくれ。では、そろそろ今日のミッションといこうか。頑張ってくれたまえ』
相も変わらずひょっとこの話は一方的に終わり、例のお盆がゆっくりと下がる。
しかし、404号室の黒龍と母夏はお盆の方など見向きもせず、互いに顔を見合わせていた。
「505号室って・・・」
「そう・・だよな」
お互いの思考が合っていることを確認した2人は、一斉に扉の方へと向かう。
「どうしたんですか?」
「ちょっと確かめたいことがある」
黒龍の珍しく焦った様子を見て、異常を察した風東も後に続く。
少し遅れて、火林も3人の背中を追いかけた。
幸か不幸か。ひょっとこの計算か。
部屋の扉はいとも簡単に開いた。
505号室前
「おい。返事してくれ!いないのか!?」
黒龍が大声を上げながら505号室の扉を叩くが、反応は返ってこない。
強行突破を試みるもドアはロックされており、中の状況を確認することはできなかった。
「知り合いですか?」
「ああ。昨日少し話してな。同盟を結んだんだよ」
「昨日まで元気だったのに・・・」
悲壮な顔をする黒龍と母夏を前に、風東と火林は口を噤む。
「まあ、前例通りにいけばあいつらも意識がないだけで命に別状はないだろう。俺たちのやることは変わらないってわけだ」
「そう・・・ね」
重くなった空気を察してか明るく振る舞う黒龍に、母夏も言い澱みながらも同意を示す。
それは大人としての立ち振る舞いのような。自分の感情と周りの目を推し量った結果のようだった。
「戻るか」と、エレベーターへ向かう黒龍。
その背中はいつもよりも大きく。
そして、静かに怒っているように。
風東の目には映った。
404号室
「じゃあ読みますね」
「ああ頼むよ」
再び404号室に戻ってきた4人。
すっかり朗読役が板についた火林が、率先してお盆の上の紙切れを手に取る。
「『ミッション4。エクスクイジットせよ。今回はミッションというよりも余興だ。あまり気構えせずに気楽に臨んでほしい。それぞれの部屋に大量の衣装を準備している。その中から好きなものを選び、自由に着飾ってくれ。クリア条件も特にはない。息抜きと思って楽しんでくれ。では、同志たちの武運を祈る』」
「ったく。間が悪い野郎だぜ」
先ほどの件もあり、息巻いていた黒龍が溜息混じりの悪態を吐く。
絶妙なタイミングのミッションの内容に、ひょっとこの悪意が隠されているようにも思えた。
「おしゃれなら今度こそお姉ちゃんの出番じゃない?」
「・・・え?ああ、そうね」
考え事をしていたのか反応が遅れた母夏が、火林の意見に首肯する。
「なんだ?普段はおしゃれなのか?」
「普段はってなによ!今もおしゃれでしょ」
言われて改めて目をやると、シンプルな故に解りにくいが、おしゃれな街によくいる女性の服装にも見えた。
「そうね。あんたたちのダサい格好。もう少しどうにかならないものかと思ってたとこだし、私が指南してあげましょう」
完全に気持ちを切り替えたように見える母夏が、先生のような口調と威張った態度で言葉を紡ぐ。
果たして、彼女の姿は大人としての振る舞いからくる空元気なのか、子どものようにコロコロと心情が移ろった結果なのか。
「もう。またすぐ調子にのって・・・」
少なくとも長年彼女を見てきた火林の目には、後者であるように映ったようだ。
「うん。良い感じね」
なにやら納得した様子で、風東の眼前から母夏が一歩下がる。
そのままの動作で、自分の後方にある姿見に目配せをした。
「これ本当に僕ですか?」
姿見の中の風東は、狐に化かされたような顔をしていた。
ゆったりとした狐色のワイドパンツに、真面目な印象のネルシャツ。
その上にアイボリーのニットを重ね着することで、全体的にまとまったシルエットが演出されている。
決してモデル体型とは言い難い風東だが、自分で見てもおしゃれだと思える程には仕上がっていた。
「本当に凄いな。スタイリストに着付けしてもらったみたいだ」
真っ黒なジャージからの変身に、隣の黒龍が感嘆の声を漏らす。
かく言う彼の服装も、黒のスキニーパンツにデニムジャケットを合わせたワイルド風ファッションに様変わりしていた。
勿論これも母夏によるチョイスであり、宣言通り今回のミッションは彼女の独壇場であった。
「・・・お姉ちゃん。本当にこれ着なきゃだめ?」
寝室にいる火林が顔だけ出して母夏に尋ねる。
「だめ。絶対似合うから大丈夫だって」
「はぁ。わかったよ」
これ以上ごねても無駄だと察したのか、再び部屋に戻る火林。
ごそごそと衣摺れの音が続いた後。
暫の間沈黙すると、やがてドアがゆっくりと開いた。
「どう・・・かな?」
「「・・・・・」」
火林の問いかけに男性陣からの反応はない。
念のため明記しておくと、それは決して無視をしているわけではなく、見惚れて絶句しているのだった。
オーバル型の知的なメガネから、ラウンド型の柔らかい印象のメガネに。
服装はショートパンツに大きめのパーカーと、可愛らしさとエロさを兼ね備えた、まさに男の夢ファッション。
黒龍はまだしも、風東に関しては口をあんぐりと開けて、アホみたいな顔になっている。
恥ずかしそうに俯く火林と男性陣の反応を見て、母夏は満足したようにうんうんと頷いた。
午後6時
夕刻となり、母夏セレクトの衣装に身を包んで食卓を囲む4人。
テーブルの上では、鍋の中で具材たちがグツグツと煮えていた。
ちなみに母夏自身も着替えを済ましており、白ニットの上にブラウンのカーディガンを羽織って、下はチェック柄のスカートを履いている。
控えめに言ってとてもおしゃれだ。
「ちょっと、肉ばっかじゃない。野菜も食べなさいよ!」
「なんだよ。おふくろみたいなこと言いやがって」
「誰があんたの母親よ!そんなんだから太るのよ」
「誰が太ってるんだよ?俺は堅いが良いだけだ」
「みんなが気を使ってそう言ってるだけでしょ。真に受けてないで野菜も食べなさい」
そう言って、黒龍の器に野菜を注ぐ母夏。
「人生は有限なんだぞ。なんで食べたくないものまで食べなきゃいけないんだよ」
「有限で貴重な時間なら、健康体で過ごした方が良いでしょ」
母夏の正論にそれ以上言い返すことができず、渋々野菜を口にする。
そんな親子のようなやり取りに、風東と火林は聞き耳を立てながら、同じく鍋を頂いていた。
鶏の出汁がよく出ていて、美味な一品だ。
「そんなことより、ひょっとこの狙いについて意見を交換しないか?」
「ひょっとこの狙いですか?」
「ああ」
野菜を食べているせいか、表情が優れない黒龍が話題を振る。
口の中の野菜を麦茶で流し込むと、続く言葉を口にした。
「奴は『リア充が消えた世界でも社会が回るかのテストをしたい』とか宣ってたが、本当にそうだと思うか?」
「どういう意味ですか?」
授業で解らないところを先生に聞くように、火林が真面目な調子で尋ねる。
「まず待遇が良すぎると思わないか?」
「確かにそうね。こうして美味しい鍋を食べられるくらいだもん」
そう言って、自分の器に注がれた具材を口にする母夏。
鍋の食料は事前に部屋に用意されていたもので、その他にも当分は食に困らないだけの備えがあった。
「あつっ!」
豆腐を口にした母夏が叫び、餌を前にした池の鯉のように口をパクパクとさせる。
「それに加えてミッションの内容だ。無理矢理こじつけてはいるが、趣旨と合っているようには思えない」
リアクションを続ける母夏を敢えて無視し、黒龍が風東と火林の方へ向けて会話を続ける。
「円周率の暗記とか。全く関係ないですもんね」
「たしかに。ジグソーパズルも謎ですよね」
「そうだよな。俺たちの忠誠心でもはかってるのか?」
真剣な表情のまま、どさくさに紛れて器の中の野菜を鍋に戻そうと試みる黒龍。
「なにしてんのよ」
しかし、涙目で豆腐を飲み込んだ母夏にみつかり、その思惑はあっさり阻止された。
午後7時
「それにしても南冬さんのファッションセンス凄いよな。勉強でもしてたのか?」
鍋を食べ終わり、洗い物まで済ました4人。
今は母夏が淹れたコーヒーを皆で飲んでいる。
ちなみに鍋は黒龍と火林が調理し、洗い物は風東が担当した。
子どもの教育も兼ねて当番制を採用している家族のようで、微笑ましい雰囲気が404号室を満たしている。
「・・・まあね」
少しバツが悪そうに返事をする母夏。
その後、何やら考え込むようにコーヒーを啜ると、俯いたまま言葉を紡ぎ出した。
「実は、私と火林血が繋がってないのよ」
「・・・いや、知ってるけど」
「え!?言ったっけ?」
「だって全然似てないじゃん」
「どういう意味よ!」
「だってなー」と、風東に話を振る黒龍。
風東も「うんうん」と頷いている。
「まあ、いいけど」と、自分に言い聞かせるように呟くと、母夏は火林に向けて何やら目配せをした。
母夏のメッセージに気づいたのか、火林はコーヒーの入ったマグカップを手に持ったまま、コクリと頷く。
何かを覚悟したような顔つきと、どこか怯えてみえる目。
よく見ると、マグカップを持つ手が僅かに震えていた。
「これは私が高校3年生の時の話なんだけど・・・」
過去を思い出すように語る母夏の顔は、どこか切なく、虚しそうであった。
5年前
「お姉ちゃん。入るよ」
「どーぞ」
部屋に入る火林の目に映ったのは、机に向かい黙々と作業を進める母夏の姿だった。
「またやってるの?」
「そうだよ。私の生き甲斐だからね」
視線は下に落としたまま。後方の火林に向けて返事をする。
机の上には人型のモデルが描かれた紙があり、その上に色鉛筆で服がデザインされていた。
「デザインの学校に進学するの?」
「そうだね。今のとこはそのつもり」
スラスラとペンを走らせながら、母夏が答える。
火林は「ふーん」とだけ返事をすると、母夏の部屋に置いてある本を取り、読み始めた。
「邪魔しちゃ悪いし、そろそろ戻ろうかな」
本を読み上げた火林が静かに立ち上がる。
時間にして2時間ほどが経過していたが、その間、母夏のペンを走らせる音が止むことはなかった。
「あれ?何か用事があったんじゃないの?」
「相談したいことがあったんだけど、ただの思い過ごしかもしれないから今度でいいや」
「そう?遠慮しなくていいからね」
「うん。わかってる」
そう言い残すと、火林は部屋を出ていった。
「あんまり遅くまでしないでよ。起こすの大変なんだから」
「わかってるよ。おやすみ」
「おやすみなさい」
ドアを再び開けて母夏に注意喚起すると、火林は今度こそ自分の部屋へ戻っていった。
「あと一枚頑張ろうかな」
その日。
母夏の部屋の明かりが消えたのは、夜中の3時のことだった。
翌日
この日も自分の部屋でデザイン画を描いていた母夏は、その途中で空腹を感じ、台所へ向かっていた。
「・・・なんであいつが?」
母夏の視線の先にいたのは、火林の部屋から出てきた実の父の姿だった。
母夏と父親の仲は良好とは言い難い状況だった。
というのも、母夏の父親はお世辞にも見上げた人間とは呼べない性格をしていたからだ。
酒に女にギャンブル。
欲に忠実な男で、幼い母夏に向けて手を上げたこともあった。
そんな父に愛想を尽かして、母夏の母親は家を出ていった。
その時に母夏も連れ出してくれれば良かったのだが、余裕がなかったのか、母はひとりで家を出た。
それから程なくして、母夏の父親は火林の母親と再婚し、母夏と火林は義理の姉妹となった。
義妹となった火林の存在が、母夏の不安定な心の支柱となったことは間違いないだろう。
事実、実の母親が居なくなった後、母夏が初めて笑ったのは、火林が母夏のデザイン画を見て「すごい!」と褒めた時だった。
そして、もう一つの支柱。
ファッションデザイナーになるという夢が、憎き父親との同居を我慢できる要因となっていた。
高校生という身分で家を出れば、デザインについて学べる学校には、とてもでないが通えない。
幸い父親の収入は多い方で、お金の心配はいらなかった。
もう少しの辛抱。母夏は自分にそう言い聞かせて、日々を過ごしていた。
「火林?入るよ」
そんな忌の対象である父親が、火林の部屋から出てきたことに疑問をもった母夏は、火林の部屋へと足を運ぶ。
「火林!?どうしたの!!」
母夏の目に映ったのは、自分の心の支柱であり、自分が支えるべきでもある存在。
毛布に包まり、ガタガタと小刻みに震える義妹の姿だった。
火林の部屋
「ほんとう・・・なんだね?」
「・・・・・うん」
火林の肯定によって、母夏は絶望した。
彼女の話によると、母夏の実の父親である男は、火林の部屋に侵入し、ベッドで眠る彼女の身体を弄ったそうだ。
好意を抱いているわけでもない。大人の男のゴツい手が、自分の身体を弄ぶ。
そんな忌々しい出来事は、少女の心を壊すのに十分すぎるものだった。
「おねえちゃん・・・。たすけて」
未だ震えが止まらない火林が、母夏の服の袖をぎゅっと握る。
彼女の小さな瞳からは、大粒の涙が溢れだそうとしていた。
「かりん・・・」
そんな姿を目の当たりにして。母夏は火林とは違う意味で震えていた。
その感情は『怒り』だった。
実の父親に対して。そして自分自身に対して。
火林は、ここ最近の父親の言動に違和感を覚えていたそうだ。
いつもと違う視線。頻繁に寄せられるメッセージ。
昨日母夏の部屋に訪れた火林は、そのことを相談しようとしていたのだ。
しかし、母夏が忙しそうであったことと、勘違いの可能性が高かったことから、火林は何も言わずに自室へと戻った。
そんな話を聞かされて、真っ先に母夏の頭に浮かんだのは『後悔』だった。
あの時、無理矢理にでも話を聞き出していれば、火林のトラウマを未然に防ぐことができたかもしれない。
しかし、いくら悔やんだところで過去を変えることはできない。
「もう大丈夫だから。お姉ちゃんに任せて」
それ故に、母夏は未来を変えるべく動き出した。
それが『決別』を意味する道と知りながら。
そこからの展開は早かった。
母夏が火林の母親に事情を説明すると、父親に対してあっさりと離婚を申し出た。
それは、母親の子どもに対する信頼と愛情の裏返しとも言えたが、父親への擬心の現れとも取れた。
日頃の彼の言動から、火林の母も思うところがあったのだろう。
そして、母夏の父親はこの申し出を呆気なく受け入れた。
申し出の時期的に、火林に手を出したことがバレたことを悟ったのかもしれない。
その後の話し合いの結果。
母夏の父親が1人家を出て行くこととなり、残りの3人はそのまま一緒に住むことになった。
初めは養育費として金を毎月寄越していた父だったが、その額は段々と少なくなり、やがて0になった。
連絡をとっても音信不通。
火林の母は、母夏と火林を養うために昼夜問わず働いた。
しかし元々身体が弱かったこともあり、そんな生活に耐えかねて、母親は度々入院を繰り返すようになった。
そのような背景の中で、母夏は『進路』という重要な選択を迫られた。
当時。高校3年生の母夏が選んだのは、ファッションとは全く関係のない一般企業への就職だった。
決め手となった事柄は大きく分けて二つ。
一つは、これ以上火林の母親に迷惑を掛けられないという想い。
火林の母親は、母夏に対して「お金の心配はしなくていいから」と口癖のように言っていたが、実際余裕がないことを母夏は知っていた。
そしてもう一つの理由。
それは、皮肉なことにファッションに興味を持ったきっかけが、実の父親であったからだ。
母夏の父親は、世間的におしゃれな部類に入る身だしなみをしていた。
衣服に気を使い、家の中でも割とピシッとした格好をしていた。
そんな父親のことを、幼い頃の母夏はかっこいいと思っていた。
「将来はパパのお嫁さんになる!」と、目を輝かせていた頃が懐かしい。
そんな衣服に人一倍気を使う父親も、服を脱いでしまえば、ろくでもない男であった。
『どれだけおしゃれに着飾っても、中身は変わらない』
そんな考えがよぎったあの事件から、母夏はデザイン画を描くことをやめた。
突然、自分のやっていることが、とても無意味なことに思えてしまったのだ。
そして、就職を機に一人暮らしを始め、母夏は家を出た。
針が付いていない方位磁針を握りしめて。
現在 404号室
「・・・というわけ」
一通り語り終えた母夏が、コーヒーに静かに口をつける。
マグカップの中のコーヒーは既に冷めており、冷たくてほろ苦い液体が口の中を支配した。
「そんなことがあったのか・・・」
いつも飄々としている黒龍も、今回ばかりは口を濁している。
発すべき言葉を慎重に選んでいる様子だ。
「そんなに暗くならないでよ。私はもうなんとも思ってないし、火林に関しても大分克服できたみたいだから」
「はい。気にしないでください」
母夏の言葉を受けて火林が明るく振る舞う。
顔に貼り付けられた笑顔は、なんだか引きつったものに見えたが、黒龍と風東はそのことに触れなかった。
「このタイミングでファッションのミッションが出されたことには、なにか意味があるのかもしれない。ただの偶然かもしれないけど、少しでも事件の解決に繋がる可能性があるならと思って、話しただけよ」
言葉にして吐き出したことで気持ちが幾分か楽になったのか。いつもよりもペラペラと喋る母夏。
「『ファッションのミッション』って、なんか響きいいな」
「ですね。韻踏んでますし、『ファ』と『ミ』が音階になっててまとまりがいいですね」
「お!風東わかってるな!」
「だてにブラドラのラジオ、毎週聴いてませんからね」
場を和ませるためか、男性陣が斜め上の話題で盛り上がる。
その心遣いを察したのか、火林が笑顔を自然なものへと変化させた。
母夏は気づいているのかいないのか。
「どういうこと?」と、韻について質問をしていた。
ありふれた家庭といった言葉がぴったりな。温かい空気が404号室に溢れる。
それは、あの日火林が奪われた。
そして、母夏が諦めた。
かけがえのないのに形もない。
そのうえ明確な名前もない。
日常を型どる、幸せのピースの一つであった。
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