第4話 千里の道も一歩から


2日目


「すみません。すっかり眠ってしまって」


髪が少し乱れた状態の北山火林が、申し訳なさそうに頭を下げる。


「全然大丈夫だよ。よく眠れたかい?」

「はっ、はい。今日は役に立てるように頑張ります」


仲睦まじく会話する黒龍と火林。

昨日までであれば、そろそろ母夏が割り込んでくる場面だが、今日はその気配がなかった。


「あっ、そうだ。南冬さん。部屋の鍵開いたみたいだけど帰らなくていいの?」

「本当に嫌な男ね。続けたいんでしょ?」

「まあ、俺はそうだな」

「いいわよ。火林も乗り気みたいだし」

「そうか」


明らかに昨日までとは雰囲気の違う二人の会話に、風東と火林が驚いたような顔を見せる。


「風東もいいのか?」

「はい。俺はブラドラについていきますよ!」


第一のミッションを終え、団結力が少しだけ強くなった4人。


そして、時計の針は再び真上で重なり。


ウイーーーン


昨日と同様、天井からお盆のようなものが降りてきた。


「『ミッション2。円周率をリサイトせよ。円周率を100桁暗記し、テレビに設置されたカメラの前で暗唱してもらう。4人で分担しても1人で全て暗唱しても構わない。制限時間は明日の昼12時だ。尚、これよりドアは再びロックされ、暗唱が成功した時点で解除される。チャンスは3回だ。では、同志たちの武運を祈る』だそうです」


お盆のようなものの上から紙を自ら取り、丁寧に読み上げた火林。

その下には一回り大きい紙が4枚あり、それぞれ円周率が100桁印刷されていた。


「今度は円周率か・・・」

「あー、円周率ね。3. ・・・なんだっけ?」

「南冬さんは今回お休みだな」


さらっと言いのける黒龍に、母夏が「なんでよ!」と抗議の声をあげる。


「風東はどうだ」

「暗記はてんでダメであります」

「そうか。火林ちゃんは?」

「はい。得意な方だと思います」

「おう、いいね!俺も仕事柄割と慣れてるから、今回は俺と火林ちゃんの出番だな」


その後の話し合いの結果。

風東と母夏が10桁ずつ。黒龍と火林が40桁ずつ暗記することとなった。


「それじゃあ。暗記タイムといくか」

「はい。頑張りましょう」


円周率が印刷された紙をそれぞれ持ち、散らばる四人。


こうして、ミッションの2つ目がスタートした。




「えーと。45923078だから、四国にサウナはっと・・・」


円周率が印字された紙とにらめっこしながら、火林が呪文のようなものを呟く。

紙には、メモのようなものが綺麗な字で書かれていた。


「火林ちゃんは語呂合わせ派かあ」

「はい。あっ、ありがとうございます」


火林の背後から声をかけながら、冷蔵庫の材料で作ったパスタを提供する黒龍。

受け取った火林は、フォークで器用にパスタを巻き、口へと運んだ。


「んー!美味しいです。秋春さん料理も上手なんですね」

「口に合ってよかったよ。一人暮らしも長いからね」


風東や母夏も、黒龍が作ったパスタを美味しそうに食べていた。


「それにしても苗字で呼ばれるのは慣れないなあ。黒龍で大丈夫だよ」

「じゃあ黒龍さんって呼びますね。黒龍さんはもう暗記終わったんですか?」

「うん。もうばっちりだと思うよ」

「早いですね。どうやってるんですか?」

「写真みたいに脳内に保存する感じかな」

「へえ、凄いですね!テストにも使えそう」

「そうだね。でも、俺の場合は仕事の処世術として身につけたから、学生時代の成績は全然だったよ」

「そうなんですね」


仲睦まじく会話か交わす黒龍と火林。

その様子を後ろから見つめる母夏は、フォークを片手に何やら考え込んでいた。


「火林があんな風にすぐ馴染むなんて・・・。あの男只者じゃないわね」

「そうです!ブラックドラゴンは凄いんですよ!」


母夏の呟きを受け、風東が目を光らせて力説を始める。


熱量を感じるブラックドラゴン語りを、母夏は対照的に冷静な態度で聞き流した。




午後6時


「・・・7067」


暗記タイムを経て、暗唱を始めた4人。

南冬母夏、赤西風東、秋春黒龍、北山火林の順で行い、今ラストの火林が暗唱を終えた。


『おめでとう。ミッションクリアだ』


少しのラグの後、録音したものと思われるひょっとこの声が部屋に響く。

テレビ画面には、安っぽいフォントで『おめでとう』の文字が映し出されていた。


「凄いね火林ちゃん。バッチリだったじゃん」

「ありがとうございます。黒龍さんこそスラスラ言ってて凄かったです」

「ありがとね。南冬さんと風東もお疲れ」


第一のミッションと違い、時間に余裕を残して完遂した4人。

話題は必然的に今後の行動へとシフトする。


「それで、扉のロックも解除されたみたいだけど、どうする?」

「私は一回帰るわ。着替えとか持ってきたいし」

「私もそうします」

「そうか。じゃあ、また明日の昼に集合で」


部屋を後にする母夏と火林を見送った後、黒龍は風東に向けてこう告げた。


「腹減ったし、飯でもいくか?」

「いいんですか!お願いします!」


こうして、フォーマンセルは一度二手に分かれることとなった。




南冬母夏 北山火林 側


「晩御飯何がいい?」

「お姉ちゃん料理できないでしょ。コンビニでいいよ」

「失礼な。私だって目玉焼きくらいできるよ」

「はいはい」


母夏の戯言をさらりと聞き流し、コンビニに行くよう先導する火林。


黒龍らと別れた後。一度火林の家に寄って荷物をまとめ、現在は母夏のアパートを訪れていた。


「外は寒いよー。こたつはこんなにあったかいのに」

「はいはい。コンビニ行ったらお姉ちゃんの好きなおでんが待ってるよ」

「おでん・・・」


母夏の目の色が変わり、温められた脚がこたつから脱出を果たす。


「行くよ。火林」

「お姉ちゃんが単純でよかったよ」


呆れ顔の火林を母夏が引き連れて、二人はコンビニへと向かった。



コンビニ店内


「卵と餅巾着と白滝。あと大根で」


名札に店長と書かれた年配の店員さんにおでんの具を指定し、器に移して貰う待ち時間。


母夏は店内をきょろきょろと見渡した後、こう続けた。


「あのー。若い男の短髪の店員さん。今日はいないんですか?」


それはクリスマスイブの夜のこと。

お酒を購入する際に、前に並んでいた女性には年齢確認をしたにも関わらず、自分には確認を求めなかったことで、クレームを入れたあの事件。


今いるのは正にそのコンビニであった。


母夏自身は酔っていたこともありうろ覚えだったのだが、火林の証言により記憶は確かとなり、今日も件の店員がいるのなら謝ろうと考えていたのだ。


「あー。山田くんのことね。彼は今意識不明だよ」

「えっ?」

「例のリア充爆発事件だっけ。うちの若いのはほとんど巻き込まれたみたいでね。猫の手も借りたい状況ですよ」

「そうなんですね・・・」


そうこう言っている内におでんは移し終わり、手渡された器の入った袋を持ってコンビニを後にする。


大好物のおでんを手にしても、母夏の顔はどこか優れなかった。




赤西風東 秋春黒龍 側


「ママやってる?」

「いらっしゃいブラちゃん。あら、今日は可愛い連れがいるみたいねえ」

「ああ。お手柔らかに頼むよ」


「初めまして」と黒龍の後ろから挨拶する風東を、スナックのママが値踏みするような目で睨め付ける。


鋭い視線に身体を硬直させる風東を笑いながら、黒龍はカウンター席に腰を下ろした。


「俺はいつもの焼酎ね。風東はどうする?」

「烏龍茶でお願いします」

「なんだよ飲まねえのか?二十歳超えてんだよな?」

「今年で21なんすけどね。お酒はあんまり好きじゃなくて」

「そうか。まあ嫌いなもんを無理して飲ませるのも違うしな」


黒龍に倣って席に着いた風東が申し訳なさそうにそう言うと、話を聞いていたママが口角をニッと上げて語り始めた。


「お酒なんて飲まないにこしたこたぁないよ。ブラちゃんみたいになったらもう手遅れだね」

「ママったら手厳しいなあ」


苦笑いを浮かべる黒龍を眺め、ママが豪快に笑い飛ばす。

そこには、目には見えない信頼があるように感じて、風東は羨望に似た眼差しを送った。



「どうだ?ママ特製の『ごまだしうどん』。なかなかのもんだろ」

「はい!おいしいです!」


黒龍に返事しながら麺をすする風東。


魚の身をほぐし、胡麻などを加えペースト状にした調味料『ごまだし』を解き入れたうどん『ごまだしうどん』は、ママの地元の郷土料理らしく、このスナックの人気メニューでもあった。


胡麻の風味と魚の旨味が広がる味が癖になる一品だ。


「ご馳走様でした」

「口に合ったみたいでよかったよ」

「はい。美味しかったです」


ぺろりと平らげてしまった風東を見て満足したのか、ママがご機嫌な様子で食器を片付けていく。


そんなママの後ろ姿を烏龍茶片手に眺めていると、黒龍が徐に会話を切り出した。


「なあ風東。お前はなんでGODに加入したんだ?」

「え?」


黒龍の問いに、風東は思わず言葉を詰まらせる。

というのも、風東は明確な理由や目的を持ち合わせてはいなかったのだ。


言ってしまえば単なる好奇心。

突如訪れた明確な変化。なんの代わり映えのない日常に到来した非日常。


怖いもの見たさの野次馬魂が赴くままに、風東はあのビルに足を運んだのだった。


「俺は別に・・・。そういうブラックドラゴンは?」

「俺か?俺はあの投稿が臭ってな」

「におう?」


首を傾げる風東に、黒龍はスマホを取り出し、とある画面を表示して見せた。


「ほら、この書き込み。25日に日付が変わった瞬間投稿されてるだろ」

「ですね」

「でもな。リア充が爆発しただの騒がれ出したのは、25日の朝方なんだよ」

「なるほど。ということは、あのひょっとこがこの事件を起こしたというのは事実ということですね」

「そうなるな」


淡々とした口調の中に狂気を感じさせるひょっとこ。

あいつの正体が、この事件の鍵を握っていると考えられる。


「ということは、ブラックドラゴンは調査のためにGODに入ったってことですね。さすがっす」

「いや、そうでもないさ」


風東の言葉に困ったように苦笑を浮かべる黒龍だったが、その真意がそれ以上語られることはなかった。




南冬母夏 北山火林 側


「どうしたのお姉ちゃん?」

「え?・・なんでもないよ」

「ふーん」


母夏の心ここに在らずの返事に、不思議そうな顔を浮かべる火林だったが、それ以上の言及はせず、弁当のハンバーグに箸でメスをいれる。


コンビニでそれぞれ食料を調達した二人は、母夏のアパートに戻り、コタツで暖をとりながら晩御飯を食べていた。


母夏がおでんとおにぎり。火林はハンバーグ弁当だ。


「へえ、黒龍さんってこんな凄い人だったんだ」


弁当を半分ほど平らげた火林が、休憩がてら弄っていたスマホの画面を見て驚きの声を漏らす。


それに反応した母夏が「どしたの?」と声をかけ、「これこれ」と、火林が新品同様の綺麗なスマホを手渡した。


「ふーん。やっぱり只者じゃなかったか・・・」


そこに表示されていたのは、ブラックドラゴンの芸歴が事細かに書かれたWebページだった。


「俳優に歌手にラッパー。才能があるのか器用貧乏なのか分からないわね・・・」


大根を頬張りながら画面を見ていた母夏が、率直な感想を漏らす。


「でも、いろんなことに関心を持ってるってことでしょ」

「まあ、そうともいえるわね」

「それって凄いことだよね」

「・・・まあ、そうね」


母夏の同意を最後に、部屋に静寂が訪れる。


重くなった空気を察し、母夏がコタツ上のリモコンを手繰り寄せてテレビを点けたが。


『未だ原因が究明されていないリア充爆発事件。GODなる組織の関与が疑われていますが、真実は闇のままです。捜査に進捗があり次第お伝えしていきたいと思います』


テレビから流れてきたのは例の事件の報道。


部屋の空気は更に重くなる結果となった。




赤西風東 秋春黒龍 側


「ブラックドラゴン!起きてください」

「ごめんな。俺がもっとしっかりしてれば・・・」


カウンターに突っ伏す黒龍の背中を風東が摩って声をかけるが、真面な返事はない。

その様子を笑いながら見ていたママが、風東に同情の目を向けながらこう言った。


「そうなったブラちゃんはテコでも起きないからね。置いて帰っても大丈夫だよ」

「そうですか。じゃあお言葉に甘えて」


「明日の昼には遅れないようにお願いします」と、ママに伝言を頼み、風東はスナックを後にした。



「寒いな・・・」


外に出た瞬間。風東の身体目掛けて、真冬の冷たい風が容赦なく吹き付ける。


熱を逃がさないように身体を丸めながら、風東は直近の出来事を思い出しつつ、ネットで得た情報と照らし合わせ、現状を整理していた。


都内各所で続出した意識不明者。

カップルの組み合わせが多かったことから『リア充爆発事件』などと囁かれるようになり、面白半分で歓喜の声をSNS上に書き込む者も多く見られた。


しかしその原因は未だに判明しておらず、都内の目紛しく回転する歯車はその動きを確実に緩め、異常な静けさに包まれていた。


事実、今風東がいる周辺も、普段より人通りが随分と少ない。


ザッとSNSを見返したところ、当初はわいわいと面白おかしく騒いでいた者たちの書き込みも、段々と少なくなっていた。

ことの重大さに気づいた観測者たちは、その声を潜め、ことの経過を見守っているようだ。


まあ、単に興味を失っただけかもしれないが。


「やっぱりあのひょっとこが鍵だな・・・」


誰に聞かれるでもない風東の呟きは、白い吐息と共に冬の街へ消えていく。


SNS上で拡散されていたGODなる組織への勧誘。

実際に足を運んだ人がどれほどいたのかは知らないが、そこで出会ったひょっとこが、この事件の重要参考人であることはまず間違いないだろう。


いつか読んだ漫画のような展開に、不謹慎だと思いながらも少しだけ心を躍らせながら。

風東はいつもより静かな街を、確かな足取りで闊歩するのだった。

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