先輩の秘密
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桜野あたえ Side
あたし_桜野あたえは、望岡ユキに告白された。
驚いたけれど、その気持ちは嬉しかった。ただ、今の自分では…ユキの想いを誠実に受け取ることが出来ないと思った。だから、断るしかなかったのだ。
あたしには、忘れられない人がいる。
その人は前の高校の同級生で、初めての恋人だった。
中学の時、容姿についてクラスの男子から執拗に馬鹿にされていた。
ブス、ニキビ面、デブ、etc。
体育祭で綱引きに出場すれば「お前がいれば優勝だわ」と笑われ。行事の出し物で女子でお揃いのリボンをつければ「ブスにリボンはキツい」と指を差され。
最初は気にしていなかった。けれどそれが重なる内、段々とあたしの心は卑屈に歪んでいった。黒いどろどろした何かが、確実に心に積み重なっていた。
そんな中進学した高校は、まるで天国のように思えた。
クラスメイトは、皆優しかった。自分はクラスで目立つ方ではなかったけれど、馬鹿にされたり軽く扱われたりすることなんて一切無くなった。
それでも_心に溜まった黒い塊が、消えることはなかった。
容姿で攻撃されることは無くなっても、確実にこの世は容姿が良い方が得をする。
「○組の××さんが可愛い」「△部のマネージャーは美人で羨ましい」
そんな会話を聞くたびに、「やっぱり内心では容姿を評価されてるんだ」と何度も思い知ることになった。
卑屈な自分が苦しかった。自分を卑屈にさせた奴らが憎かった。
それでも現実は何も変わらない。あたしはあの頃のまま、ブスでデブでニキビ面だ。
あたしは、ストレスが溜まると食べてしまう方だった。学校生活のストレスが大きければ、ダイエットも上手くいかない。ニキビだってストレスが溜まれば治るどころか増える。ブスは整形しなければどうしようもない。メイクも下手だ。メイクをすると「メイクをしてもこの顔か」という言葉が浮かんで、ますます卑屈になる。笑うと丸い顔が更に目立つ気がして、段々笑えなくなっていった。
変わりたい。変われない。辛い。苦しい。醜い自分が嫌いだ。
でも、そもそも何で変わらなきゃいけないの?どうしてあたしを蔑んだ奴らの言葉でこんなに努力しなきゃいけないの?
そう葛藤を繰り返すうちに、もう何が正しいのかもわからなくなってくる。自分の容姿がどう評価されるのかが怖くて、人との関わりを避けるようになっていった。
そんな地獄のような日々の中で、一筋の光が差し込んだ。
_それが、「彼女」だった。
彼女と出会ったのは、高校一年生の秋。仲良くなったきっかけは単純で、席が近くなったからというだけだった。彼女は、自分の容姿にも他人の容姿にも無頓着な人だった。だからあたしも、彼女とだけは笑顔で会話することができた。
彼女に魅力的だと思ってもらいたくて、ヘアアレンジを頑張るようになった。メイクは苦手だけれど、ヘアアレンジなら練習の成果がわかりやすかった。何しろメインは髪だから、自分の顔にはそこまで注目しなくていい。
「あたえはいつも笑って話を聞いてくれるよね」と彼女に言われたから、出来る限り笑顔を心がけた。話しかけるきっかけが欲しくて、テスト勉強にも力を入れた。点数がよければ「教えるよ」と言えるし、「○点だった!」と自慢する名目で会話が出来る。
努力が実って、冬になる頃、彼女と付き合うことになった。
あたしは舞い上がった。天にも昇る気持ちだった。苦しい日々に耐えてきたのは、このためだったのだと本気で思った。
学校生活に大きなモチベーションが出来て、ストレスは前よりマシになった。食事制限やファスティングをして、10kgのダイエットにも成功した。痩せたら鏡の前に向かう気力が湧いてきて、メイクも練習出来るようになった。
あたしは変わった。誰がどう見ても、可愛くなったはずだった。
だから勘違いをしていたのだ。自分の価値は上がったのだと。
そしてその思い上がりは、正しさの尺度さえ歪ませてしまった。
高校2年の_夏休みに入る前の頃だった。
彼女とクラスは離れてしまったけれど、上手くやれていると思っていた。このままこの幸せな日々が続くと、そう信じていた。
明日から夏休み、という日のこと。
昼休み、あたしは教室でクラスメイトの3人と一緒にお弁当を食べていた。
「もうちょっとで夏休みだね〜」
「ほんとだね!やっとだよー」
「でもどーせ部活だわ」
「わかる〜」
そんなたわいのない会話をしながら、いつも通り、穏やかに時は過ぎていた。
「でもさー、せっかくの夏休みなのに彼氏いないし」
「それな、夏祭りとか浴衣デートしたかったわ〜」
ふと上がった“彼氏”という言葉に、心臓がドキリと跳ねる。
悪い予感は当たるもので、話の矛先は私に向いた。
「ねぇ、あたえは?彼氏いるんだっけ?」
「あ、確かに〜!あたえのそういう話、聞いた事ないかも」
「そろそろ教えろ〜!どうなの!?いるの!?」
好奇心丸出しの雰囲気で、皆があたしに視線を向けてくる。
どうしよう。彼氏っていうか、彼女なんだけど…。
「付き合ってる人は、いる…」
「「「おおお〜!」」」
上がる謎の歓声。一人が、ずいっと身を乗り出してきた。
「どんな人!?この学校!?他校!?」
「えと、この学校…」
「へ〜!!!いいないいな〜」
嘘はついてない。嘘はついていないけれど…。
はしゃぐ目の前の友人達に、心がズキンと痛んだ。あたしは、友人を欺いているのと何も変わらないんじゃないの?
「ねぇ、誰々!?応援するからさ!」
「あ、その…」
「あ、もしかして秘密にしてる感じ?」
「えーと…」
正直、彼女と自分の交際を誰かに話すかどうかについて彼女と話し合ったことは一度も無かった。聞かれないから話さない。そんな雰囲気が二人の間で流れていた。
だから、あたしは思った。
今、この場で誤魔化してしまうのは、彼女にとっても失礼なんじゃないか?
だってそれは、彼女の存在を「隠したいもの」だと言っているようなものだ。
あたしは意を決して、口を開いた。
「その…あたしが付き合ってる人、女の子なんだよね」
そう言った瞬間、「失敗した」と思った。
賑やかだったその場の空気が、一瞬で静まり返ったからだ。
「そ、そっか…なんかごめん」
「あ、いや…」
ノリノリになって問い詰めてきていた友人は、まるで「悪いことをした」とでもいうかのように、気まずそうに謝ってきた。
その後の会話の中心は、別の友人が振ってくれた新しい話題に移り変わった。
あたしの恋人について、それから触れられることは一切なかった。あたしは拭えない疎外感を抱えたまま、その場の会話に参加するほかなかった。
夏休み前最後の日だったから、授業は午前中で終わり、お昼を食べたらすぐ帰宅することになっていた。学校がいつもより早めに終わるので、彼女と放課後にどこか一緒に出かけようという約束をしていた。
HRが終わり、あたしは彼女に「今教室に迎えに行くね」とLINEをして、彼女のクラスに向かった。
彼女の教室の前に到着し、ドアの取っ手に手をかけた瞬間_
_友人達と談笑する、彼女の声が聞こえた。
あたしは思わずドアから手を離し、その場に立ちすくんだ。会話の内容が、今の自分の胸にはあまりにも突き刺さるものだったからだ。
「ねぇ、そーいえばさ、あんたって付き合ってる奴いるの?」
「えー」
聞かれているのは、彼女だった。
あたしは心臓をバクバク鳴らしながら、彼女の答えを待った。
「いないよ」
どくん、と心臓が不吉な音を立てた。
「やった、ぼっち仲間ゲット」
「うるせー」
楽しそうな、二人の会話。あたしは一人、教室の外で胸が張り裂けそうだった。
「っていうか遅いな〜、今こっちに来るってLINEきたんだけど」
「え、誰か待ってんの?」
「うん、元クラの子」
彼女の言葉に、落ち込んでいた意識がハッとした。このままじゃ怪しまれてしまう。
あたしは彼女を呼ぶため、再びドアの取っ手に手をかけた。
_帰り道。とりあえずショッピングモールにでも行こうとなり、彼女と二人で駅までの道を並んで歩いていた。
あたしは、どうしたって先程の出来事で頭がいっぱいだった。どう切り出せば良いのかも、そもそも触れて良いのかもわからずに、もやもやを抱えながら彼女の隣に並んでいた。
駅まで後少しというところで、ふと会話が途切れた。数秒の沈黙を破ったのは、彼女だった。
「…あのさ、あたえ」
「何?」
「いや、なんか今日元気ないなーって。何かあった?」
「あ、えっと…」
どうやらあたしは、あからさまに落ち込んでしまっていたようだった。心配そうな彼女が、顔を覗き込んでくる。
「その…「彼氏いるの?」って今日クラスの友達に聞かれて…」
「うん」
「女の子と付き合ってるんだって言ったら、変な空気になっちゃったんだよね」
あはは、とバツの悪さを感じながら頭を掻いた。
彼女はそんなあたしを見て、「何それ」と低く呟いた。
「そんなの当たり前じゃん。カミングアウトってめっちゃリスクあるんだよ」
「そ、そうだよね…」
「ていうか誰かに言うならちゃんと相談してよ」
「ごめん、でも…誤魔化すのも失礼かなって思って」
「それって私に失礼ってこと?そんなのただの建前でしょ。嘘を吐く罪悪感に耐えられなくて、私を理由にそれから逃げたかったんじゃないの?」
あたしは、何も言えなかった。
彼女の言っていることは全て正しかった。今思い返しても、「きっと皆分かってくれる」という希望的観測に塗れた軽率な行動だった。
けれど、あたしはあの時、彼女の言葉を素直に受け取ることが出来なかった。むしろ彼女の言葉に「どうして分かってくれないの」と被害者意識さえ芽生えていた。
「そんなこと…!あたしは相手に対して誠実でいたいから、嘘を吐きたくなかっただけで」
「何それ?私への当て付け?っていうか、さっきの会話聞いてたんだ」
「それは…」
「もういいよ。今日はこのまま帰ろう」
気がつけば、あたし達は駅の目の前まで着いていた。
…彼女とはそのまま一言も話すことなく、各々の最寄りに向かう路線の改札に向かった。
それから、彼女とはずっと気まずいままだった。
あたしは自分にも非があるとわかりながら、「自分だけが悪いわけじゃない」と意固地になっていた。彼女が何を思っていたかは今となってはもう分からないけれど、きっと同じ様な感情を抱いていたんだろう。
お互い付き合って半年と少しが経って、不満も溜まってきていたのかもしれない。「好きだから」という理由だけで目を瞑っていたことがあの喧嘩をキッカケに噴き出して、素直になれなかったのかもしれない。あたし達は、テレビや学校での出来事とか、表面上の話ばかりしていた。だから、もっとお互いの考えについて話し合っていたら、違う結末が待っていたのかもしれない。
後悔は、沢山ある。「こうしておけばよかった」が数え切れないほどある。
でも、その全てが_もう遅い。
自然消滅かな、と諦めかけていた頃、彼女からLINEがあった。
「別れよう」
彼女の気持ちが以前より自分から離れていることは、あの喧嘩の前からなんとなく察していた。だから、もう修復は不可能なのかもしれないとも思っていた。
それでも、そのLINEを見て_
_自分は、「もしかしたら」という淡い期待を持っていたことを知った。
それからのことは、自分でもよく覚えてない。きっと、「分かった」という旨の返信をしたのだと思う。
それで、あたしと彼女の恋人関係は終わった。
あたしは別れてから、彼女の存在がどれだけ自分の心の支えであったかを改めて知った。毎日に無気力になり、将来に希望をまったく持てなくなった。今までは辛いことがあったり鏡を見て自分の容姿の醜さに苦しくなったりしても、「自分には彼女がいる」とどうにか心を持ち堪えさせていたのだ。
見た目に気を遣う余裕もなくなり、勉強には手がつかなくなった。毎日深夜まで泣いていたから、次第に朝起きることが出来なくなっていった。当然学校にも遅刻が増え、段々と休みがちになった。
その内、単位が足りなくなると担任から連絡がきた。でも、当時の自分には、何をすることも出来なかった。「このままだと留年だ」と言われても、体は動かないし心は沈んだまま。
全てを失った気分だった。毎日毎日、ひたすら後悔に苛まれ、自分の愚かさを呪った。
留年が決まり、家に引きこもって半年が過ぎた。
自分にとって、LINEというツールは見るだけで心が押し潰されそうになるトラウマになっていた。だから引きこもっている間は誰とも連絡を取ることなく、会話をするのは両親だけだった。
その両親も海外赴任中で、一ヶ月に一回会えればいい方だった。日本に帰ってくるのはあたしの学校生活に気を遣って基本土日だったから、両親があたしの異変に気づいたのは半年が過ぎたあの頃だった。
父も母も、あたしを責めることは一切なかった。何も言えないあたしに、母は無言で寄り添ってくれた。「高校は卒業してほしい」と涙ながらに言われ、あたしは頷くことしか出来なかった。
中学の同級生がおらず、編入を受け入れている高校。それを条件に選んだのが、森ノ宮だった。レベルは下がるけれど、落ち着いた雰囲気で教師の対応も丁寧だったから、そこに決めた。両親も「あたえが行きたいところにしなさい」と言ってくれた。
ユキと再会したのは本当に偶然だった。彼女の顔を見た時、心臓が止まりそうになった。
_ユキは、私の憧れだった。
彼女は常に堂々としていた。他人から何を言われようとも意に介さない、凛とした強さがあった。年下なのに、彼女はあたしなんかよりもずっと頼りがいがあった。
その姿が、ずっと眩しかった。
ユキは身長も高くて顔立ちも整っていて、自分とは全然違う世界にいた。
中学時代、他の人には苗字呼びのユキが、あたしだけ名前で呼んでくれたことがとても嬉しかった。一匹狼だったユキが、自分を慕ってくれたように思えた。例えるなら、クールで綺麗な猫が懐いてくれたようなくすぐったさ。
ユキは、前と変わらず優しかった。編入したばかりの自分を気遣ってくれているのが分かって、申し訳なさと嬉しさで心がきゅっと締め付けられた。
ユキは、いつからあたしのことを好きでいてくれたのだろうか。彼女の気持ちを知らない自分の無神経な言葉に、傷いたことはあったのだろうか。
ユキが嫌いなわけじゃない。告白には驚いたけれど、ユキを恋愛対象として見れないわけじゃない。きっと、“あのこと”がなければ_ユキの気持ちを受け入れていたと思う。
夏祭りのあの日、ユキと二人で屋台に並んでいた時。
あたしは、彼女を見かけてしまったのだ。見知らぬ女の子と二人で歩く、彼女を。
一年経って、ある程度心の整理はついたと思っていた。日々ふとした時に思い出して心が痛むけれど、もう毎日泣き腫らすことも無くなった。
_それでも、その姿を見て…心が、どうしようもない程揺さぶられた。
見かけた瞬間、周囲の音が全く耳に入らなくなった。直前まで暑さに辟易していたはずの体は、途端に何も感じなくなった。心臓が誰かに握りつぶされたかのように痛いのに、視線を彼女から外すことが出来なかった。
分かってしまったのだ。自分が、彼女への未練に未だ縛られていることに。
そんな中途半端な気持ちで、ユキと_大切な後輩と付き合うことなんて、出来ない。
ユキには、もっと相応しい人がいる。
…だから、こんな風に胸が締め付けられている自分は、いてはいけないんだ。
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