意味深な箱

■■■


_7月になって、明日から夏休みという日の帰り道。


歩きなれた住宅街を二人並んで歩いていると、あたえ先輩が言った。


「もっちー、今日はうちでお夕飯食べていかない?」

「え、いいんですか?」

「勿論!久しぶりにお母さんが仕事休みなんだよね」

「相変わらずお忙しいんですね」


あたえ先輩のご両親が多忙な方であることは、昔から知っていた。

中学生なんて女子も男子も反抗期だ。でも、先輩にとってご両親と過ごす時間は、限られた団欒を楽しむ貴重なものだったのだろう。部活の先輩達が親の文句を垂れている間、先輩は曖昧に笑っていたのを覚えている。


「まーねー。でも、多分お母さんももっちーに会ってみたいと思うんだよね!」

「え?」

「あたし、中学の時結構もっちーの話してたからさ。仲良くしてくれてる後輩が居るって」

「そうだったんですか」


初めて知った。嬉しいような、気恥ずかしいような。

っていうか、先輩のお家に上がるのは初めてだ。しかもお母様とも会うなんて…。

…なんか、緊張してきた…。



_そうこうしている内に、先輩の家の前まで着いた。


「ただいまー」

「あら、おかえり」


先輩のお母さんと思われる人が、ひょこっとリビングから顔を出した。

肩まで位の黒髪で、あたえ先輩にやっぱりちょっと似ている。


「もっちー連れてきたよ!ほら、この前話したでしょ。中学の後輩に再会したって」

「あぁ、あの子ね!上がって上がって~」

「おじゃまします」


緊張しつつ軽くお辞儀をして、靴を脱いで揃える。


「んー、まだお夕飯には早いよね。上行こ?あたしの部屋あるから」

「あ、はい」


マンション育ちだから、“上”というのが何か一瞬理解が追い付かなかった。二階のことか。

あたえ先輩が、リビングにいるお母さんに声を掛ける。


「お母さーん!二階行ってるねー!」

「はーい。夕ご飯出来たら声かけるね」

「ありがとー!よろしく!」


先輩が、くるりとこっちを振り向いた。


「じゃ、行こっか!」

「は、はい」


やばい、あたえ先輩の部屋か…。

心臓がドキドキする。言葉にするのが難しい、むずがゆい期待感が胸に広がる。



あたえ先輩を後ろから追いかけるように、階段をトントンと一段ずつ登っていく。

きょろきょろしてはいけないと思いつつも、階段の壁にかかった家族写真が目に入った。

幸せそうに笑う、あたえ先輩とご両親。背景は人気テーマパークの入り口だろうか。

おそらく、あたえ先輩が高校一年生の頃の写真だろう。今より少し幼い、先輩の表情。



_階段を登り切り、一室の扉の前についた。


「ここがあたしの部屋でーす」


何の変哲もない茶色の扉だけれど、今の私には、未知の領域を守る異界の防壁に見える。

ゴクリ、と唾を飲みこむ。

あたえ先輩が、その扉をガチャリと開けた。


「どーぞどーぞ」

「は、はい」


緊張で声が裏返る。私より先に部屋に入った先輩が、床にトスンと座った。


「あ、テキトーに座ってね」

「はい…」


先輩の部屋は、壁際にベッドと勉強机、床には円形のラグにクッション、備え付きのクローゼット…という一般的な“女子の部屋”だった。私の部屋も同じようなものだけれど、先輩の部屋というだけで特別感が爆上がりだ。


ドギマギしつつも、先輩の近くの床に私も恐る恐る座る。意識していることがバレやしないだろうかと、それもヒヤヒヤする。


「ご飯まで何しよっかー…んー…」


ううん、と唸る先輩。未だに何だか落ち着かない私。


「そうだ!人生ゲームは?もっちーやったことある?」

「あぁ、あります」


人生ゲームか。小さい頃にやった記憶はあるけれど、プレイするのは久しぶりだ。


「じゃあやろ!確かクローゼットの上の段に入れたはずなんだよね~」


あたえ先輩が立ち上がり、クローゼットの扉を開ける。

洋服を掛けるスペースの上に、大小様々な箱が仕舞われている棚が付いていた。


「あー、これだこれだ!よっ…と」

「ちょっ、大丈夫ですか?」


あたえ先輩が背伸びをして、人生ゲームの箱を引っ張りだそうとする。

その箱の上にも収納ボックスが載っているから、今にも崩れ落ちそうで危なっかしい。


「私も手伝いま_あ、」

「うぎゃー!!」


ドサドサドサッ!!と大きな音を立て、人生ゲーム諸共収納ボックス達が落下してきた。

それと同時に、収納ボックスに入っていた物が床にぶちまけられてしまった。


「無理やり引っ張りだそうとするからですよ…」

「あはは…ごめんごめん」


苦笑するあたえ先輩。私は、散らばったもの達を拾い集めようと手を伸ばした。

散乱しているのは主に紙だ。水族館のチケットや、映画館のチケット、有名テーマーパークのパンフレット。

その中に埋もれるように、写真立てが一つあった。ガラス製のようで、ヒビが入ってしまっている。


「あー…コレ、割れちゃってますね」


さっきの衝撃で割れてしまったのだろうか。写真立てを拾い上げると、そこには_


_あたえ先輩と、もう一人知らない女の人が幸せそうに笑っていた。


隣の女の人は、先輩と同い年位だろう。黒髪の先輩は、今より少しあどけなく見える。知らない制服を二人とも着ているから、前の高校の時の写真なのかもしれない。この背景は、さっき階段で見た家族写真と同じテーマパークだろうか。

思わずじっと見入っていると、先輩が呟いた。


「…いいの。その写真立て、元から割れてたやつだから」

「そ、そうですか…」


心なしか、先輩の表情が陰っているように見える。

私はどうしていいかわからずに、その写真立てをそっとまた床に置いた_



_その後、私達は物が散乱した床を片付けて、人生ゲームに没頭した。


あたえ先輩はギャンブル要素が強いルートを選びたがるし、家も出来るだけ豪勢なものを買いたがる。私が後ろから無難に追いかけていく間、先輩はカジノで大負けしたり、タレントとして成功したり、波乱万丈だ。

「ギャンブラーですね」と私が言うと、あたえ先輩は「ゲームの中でしか許されないでしょ」と少し寂しそうに笑った。


借金まみれのあたえ先輩がゴールした直後、階段下から先輩のお母さんの声が聞こえた。


「あたえー!ご飯出来たよー!」

「あ、はーい!」


先輩も、大声で返事をした。2人で階段を降りて、リビングに入る。

リビングの中心にあるダイニングテーブルの上を見て、あたえ先輩が声を上げた。


「うわー!今日めっちゃ豪華じゃん!」


テーブルの上には、各席の前に綺麗に盛り付けられたハンバーグプレート。中心にはオシャレなサラダがどーんと置かれている。

グラスの下には北欧系のコースターが敷いてあって、丸っこい陶器製の箸置きも可愛らしい。


「せっかくお友達が来てくれたんだもん、気合入れちゃった」

「あ、ありがとうございます」


得意そうに笑う先輩のお母さんに、ぺこりと頭を下げる。

その笑顔は、やっぱりどことなく先輩に似ていた。


「冷めないうちに、食べて食べて」

「いえーい!いっただっきまーす!」

「いただきます」


先輩のお母さんに催促されて、三人で席に着く。

食べ方は変じゃないだろうかと緊張しつつ、ハンバーグを一口、口にいれた。


「美味しい…!」

「よかった。あたえも、ハンバーグ大好きなのよ~」

「そうなんですね」


横を見ると、あたえ先輩が幸せそうにハンバーグを頬張っていた。

その横顔を見ていると、こっちまで心が満たされる。


「あたえ先輩、サラダ取り分けましょうか」

「いいの!?ありがとー!」

「もー、あたえ自分でやりなさいよ」


美味しそうに食べるその姿をもっと見たくて、こんな風にらしくもなく世話を焼いてしまう。

_先輩と一緒にいると、知らない自分が沢山現れてくる気がするな。




「ごちそうさまでしたー!」


先輩が満足げに言って、もう食べられない、というジェスチャーをする。

私も、先輩のお母さんに座ったまま軽くお辞儀をした。


「ごちそうさまでした。すごく美味しかったです」

「はーい。二人とも良い食べっぷりだったね~。よかったよかった」


先輩のお母さんが安心したように笑って、片付けようと席を立ちあがった。


「あ、私も手伝います」

「あぁ、いーのいーの!ゆっくりしてって」

「いえ、こんなに豪華なお夕食を頂いてしまったので…片付け位は手伝わせてください」

「あらそーお?ありがと~。じゃ、お皿流し台に下げてくれる?」

「はい」


私が立ち上がると、椅子に座ったままの先輩が声を上げた。


「もっちー、流石~働き者ぉ~」

「あたえも少しは手伝いなさいよ!」

「もうお腹いっぱいなんだもーん」

「まったく…」


椅子の上でぐでぐでしている先輩がごねている。

完全にリラックスした姿を見るのも、何だか新鮮だ。こんな気を抜いた姿にもときめいてしまう自分は、末期なのかもしれないとも思うけれど。


_流し台に食器を下げると、先にキッチンに戻っていた先輩のお母さんがふと話しかけてきた。


「ねぇ、こんなこと聞くのも悪いかもしれないんだけど…」

「?はい」


先輩のお母さんが、言いづらそうに目を伏せる。


「…あの子、最近どう?楽しくやってる?」

「あ…はい。クラスにもすぐ馴染んで…すごく慕われてると思います」

「そう…よかった…」


安心したように、先輩のお母さんが小さく息を吐く。


「あの子、何も言わないから…」

「…そうなんですね」


何を言えばいいのかわからずに、とりあえず同調の台詞を述べる。

でも、「何も言わない」というのはわかる気がした。先輩はきっとお母さんを心配させまいと、溜め込んでしまうタイプなのだろう。


「…あの」

「どうしたの?」


_だから私が、先輩の弱さに気づける存在でありたいと思う。

頑張り屋で一生懸命で、不器用で繊細なあの人を支えたい。


「私は中学の時、あたえ先輩に沢山助けてもらったので…今度は私が先輩の手助けになれるよう、頑張ります」

「…。」


先輩のお母さんは驚いた表情で目を丸くしていた。その顔を見て、もしかして自分はとんでもないことを言ってしまったのかと冷や汗をかく。

いや、私はその、高校では私が居るので安心してくださいって言いたかっただけなんだ。


「あ、あの…」

「…ありがとうね、ユキちゃん」

「は、はい」


恐る恐る声を掛けた私に、先輩のお母さんが柔らかく微笑んだ。でも何だかその笑顔は泣きそうな気がして、私は戸惑いながら返事をする。


「よかった…あの子にもこんないい後輩が出来たのねぇ」

「そんな…私の方が本当に、先輩に救われてて」

「そう言ってくれる子がいて、あたえは幸せ者よ~」


本当によかった、と肩を下ろす先輩のお母さん。

彼女のあたえ先輩を想う時の優しい瞳は、やっぱり先輩に似ていると思ったのだった。



_片付けも終わり、帰り際。


先輩のお母さんに挨拶を済ませ、家まで送っていくと聞かない先輩をどうにか説得し、玄関の前。

靴を履き終わり、立ち上がった。


「じゃあ、お邪魔しました」

「おー!また来てねー…って、そうだ!」

「!?」


手を振りかけたあたえ先輩が、突然大声を上げる。


「な、なんですか?」

「もっちー!夏祭り!一緒に行こうよ!」

「な、夏祭り?」

「そう!河川敷でやってるやつ!だめ?」


ずいっと顔を近づけてくるあたえ先輩。近い近い近い!

お伺いを立てるかのように小さく首を傾げたその姿が可愛くて、思わず顔を背ける。


「…い、いいですよ…」

「やったぁ!今日誘おうと思ってたんだよね、思い出してよかった~」


嬉しそうに笑うあたえ先輩に赤くなった頬が見られないよう、腕で顔を隠す。


「…じゃあ、お暇しますね」

「あ、はーい!またねー!」


軽くお辞儀をし、あたえ先輩の家を出る。

帰り道を歩きながら、私はさっきの出来事を一人反芻した。

…夏祭り、か…。

突然のことに状況を飲みこめていなかったけど、改めて嬉しさがこみ上げてくる。先輩と夏祭りという事実に、何だか感慨深ささえ感じる。まさに、“夏の思い出”って感じだ。まさか先輩ともう一度思い出を作れるだなんて、数ヶ月前は思ってもみなかった。


_喜びを噛みしめながら、私は帰路についたのだった。

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