懐古と凶報

「正確には血のつながった娘ではありませんけど、イリーナ・ヴェベールは間違いなく私にとって母です」


 モルトと名乗った女性はそう言って、自分がイリーナと出会った話から始める。リベカは久しぶりに聞く親友の話に夢中で聞き入ってしまう。


「イリーナは面倒見もいいから子供を育てたりするの向いてるって、言ったことあるのよ。やっぱり私の目に狂いはなかったわ。こんなに素敵な子を育てたのですもの!」


 モルトを見るリベカの目には涙が浮かぶが、その表情は明るい。


「私がリベカ様の言う素敵な子かは分かりませんが、母はとても素敵な人です。すごく厳しいですけども」


「ええ、そうでしょうね」


 イリーナを自慢の母だと断言するモルトに対し、リベカは嬉しそうな表情で頷く。


「失礼ですが、今話をしていて確信しました。やっぱり政界で噂されているような方ではありませんね。母が話してくれたリベカ様そのままです」


 淡々と話していたモルトが、不意に笑みを浮かべる。


「世間では慈愛の聖女と噂高いリベカ様が、我が子を使い権力争いに勤しむなどと一部で噂されており、一切お姿を見せないことが噂に信憑性を持たせていましたから。

 母も会いたいようですが、リベカ様に会うのは困難ですから」


「そういえば、モルトさんはどうやってここに入れたのしら? 土地絡みの案件とはいえ、私との面会をあの方が簡単に許すとは思えないのですが」


「ええ、苦労しました。権力とはまた違う、強い力を使ってリベカ様の名をお借りしたいと強引にこぎ着け。フェリップ様不在を狙って今日やっとこうしてお会い出来ました」


「強い力?」


「ええ、スティーグ様の伝手で、今度憩いの場に引く小川の名前にリベカ様の名前を使いたいから本人に許可を得たいと、婦人の会の皆様を味方につけ根回しさせていただきました」


「婦人の会……たしか女性のよりよい生活を求め発足したと、ローレヌ王妃公認の会だと噂では聞いていましたが。それは強そうですね」


「ええ、とても。奥様方の前にフェリップ様もタジタジだったとか」


 日頃気難しい顔をすることが多い夫が焦る姿を想像し笑ってしまう。


「さて、あまり長居すると、フェリップ様からギルドの方へ苦情が来ますから今日はここで帰ります。母に良い土産話ができました」


 モルトは立ち上がり笑みを見せると、リベカも笑みを浮かべ答える。


「本当は母を連れて来たいのですが、フェリプ様はリベカ様との接触をお許しにならないでしょうね」


 寂しそうに言うモルトに対し、否定できないリベカは肩を落とす。


「では、またお伺いします」


「ええ、楽しみにしています」


 丁寧に頭を下げた後、モルトが浮かべた笑みに親友の影を確かに感じたリベカは、引き留めたい気持ちを押し殺し微笑むと閉まる扉を見つめる。


 かつての親友の影を感じ昔を思い出したリベカは胸に手を当て、久々に感じた喜びに心が弾むのを感じる。


 だが、リベカとイリーナが生きているうちに会うことはない。


 そしてモルトと再び会えるのは先の話となる。



 * * *



「なぜに今、あそこのキール山脈に住む魔物を討伐する必要があるのです!」


 リベカは身支度を整える旦那であるフェリップに詰め寄る。靴ひもを締めながら煩わしい表情を見せる気難しそうな男は凄むリベカを見て、立派な口髭を触りながらワザとらしくため息をつく。


「仮にも五星勇者であったおまえなら分かるだろう。あの山脈は土地が豊かで今後の国の発展に必要なのだよ。それに軍事拠点としてもあそこを押えることは隣国のカルメの進入を防ぐ意味でも大きい」


「あそこは未だ魔物の巣窟と聞き及んでいます。魔物がいるからこそカルメも大人しくしているのでしょう」


「そう思うのは互いに一緒だ。先にあの地を制したものが今後の展開を有利にするのだ。もういいだろう。私は忙しいのだ」


 付き人を従え鬱陶しそうに去ろうとするフェリップにリベカは大きく一歩踏み出し、前に立ちはだかると夫を睨む。


「でしたら、なぜアントンを連れて行くのです! あの子はまだ十五なのですよ! 戦闘経験も少ないあの子をっ!」


「お母様、落ち着いてください」


 アントンを今回の作戦に連れて行くことに不満を持ったリベカが、フェリップに噛みつくがその怒りに水を差すのはアントン本人である。

 真新しい軍服を着て現れたアントンはフェリプの横に立ち、リベカと対峙する。


「この作戦の成功は我がエウロパ国の発展において重要なものです。その作戦にトレント家長男の私が参加しないなんて、そんな情けないことができましょうか」


「アントン、あなたにはまだ──」


「まだ早いと仰るのですか? お母様が五星勇者として活躍した年齢を考えれば決して早くないと思いますが」


 リベカの言葉を遮りアントンは語り始める。


「たかだか魔物の討伐です。これくらいのことが出来ずにトレント家の長男が務まりましょうか。トレント家、そして五星勇者の息子がここで参加しなければみなの笑いものですよ」


「それにアントンは分隊長として参加する。危険な作業は下の者どもがやるのだから安心だろう」


「そんな言い方はっ」


「お母様、時代は変わったのです。強い者が率先して前に出ることなどないのですよ。対局を見極め、ここぞというところで出る。それが今の戦い方なのです。お父様、参りましょうか」


「おう、そうだな。ここで時間を取られている場合ではないな」


 アントンとフェリップが、リベカに喋る間を与えず交互に話すと、時間がないと話を切り上げ二人は屋敷から出ていく。


「アントン……」


 何も言えず自分の子の背中を見送ってしまうリベカ。



 ***



 それは静かに雨が降る夜。寝室で静かに本を読むリベカは激しいノックにただならぬ雰囲気を感じる。

 腰を掛けていたベッドから立とうと足を床に付けたとき、自分の足が震えていることに気が付く。


 ドアをそっと開けると、いつもは表情の起伏が少ないアーネが、泣きそうな顔で立っていた。

 その表情で凶報を察しつつも内容を聞くまではと、あくまで冷静に尋ねる。


「アーネ、こんな夜にどうしたのです。何かあったのですか?」


 とても困った表情をするアーネだが、唇を一度噛みしめてゆっくりと口を開く。


「アントン様が亡くなられました」


 その言葉に、魔王軍と戦ったときにも感じえなった絶望感に、膝から崩れてしまうリベカは、アーネに支えられ放心してしまう。



 ────────────────────────────────────────



『転生の女神シルマの補足コーナーっす』


 みんなの女神こと、シルマさんが細かい設定を補足するコーナーっす。今回で28回目っす。


 ※文章が読みづらくなるので「~っす」は省いています。必要な方は脳内補完をお願いします。


 アントン・トレント。トレント家の長男で、跡取りとして何不自由なく育てられた子。幼少期は甘えん坊な一面も見せていましたが、周りに持上げられて育ったせいで直ぐに調子に乗る性格へ。

 小心者なのですが、権力を盾に相手にやられる前にやる、そんな生き方をするようになってしまいました。


 この度の作戦では、実践経験は無いに等しいにも関わらず小隊長に任命。後方陣営を任され安全だったはずなのですが……。


 我が子を失ったリベカの悲しみは計り知れないと思います。



 次回


『水端』


 そう、これは始まり。


 恋心を持った相手を、親友を、愛する息子を失って、留まっていた水は静かに流れ始める。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る