出会い
軋む床に年数を感じるが、掃除が行き届いているのか小奇麗な木造の大きな酒場は今夜も多くの人で賑わう。
「んで? 俺に政治に関われってか?」
口髭が特徴的な中年の男が、口の周りについたビールの泡を拭いながら向かいに座るイリーナに尋ねる。
「ハインツ、お前ならそういうの詳しいだろ! 交渉にも長けてるし上手く出来ると思うんだ。考えてくれないか?」
「五星勇者自ら頼みにくるからなにかと思えば……あんたの立場でも無理だったんだろ。名もない俺が行ったところで何かできるとは思ないがな」
「国の運営とかじゃなくていいんだ! スティーグの手助けをしてやって欲しいんだ」
ハインツは、ジョッキを煽りグイッと一気に飲み干すとアルコールをふんだんに含んだため息をつく。
「スティーグの評判は聞いている。国民の支持は好評みたいだな。ただ、一部の貴族や王族の間では疎まれているようだが。
んで、エッセルは貴族の間で評判が良いみてえじゃねえか」
ハインツの言葉に苦虫を潰したよう表情で歯ぎしりするイリーナの尖った右の犬歯が鋭く光る。
「権力に、金、んで女。中々の評判だがな……。せっかくの誘いだが俺はそんな世界でまともな感覚で生きていく自信はないね。
それはあんたも一緒なんだろ? 俺らはあっちの世界に馴染めない人種ってこった」
ハインツは立ち上がるとイリーナとすれ違いざまに肩を叩き「ごちそうさん、今度は俺が奢るから楽しい話しようぜ」と言って去っていく。
イリーナはその背中を追うことも出来ず、自分のぬるくなったビールを喉に流し込む。
──かつては人の希望だった。その希望を中心に皆が一丸となって脅威に立ち向かった。
脅威がなくなり人の繋がりはゆっくりと確実に解け、あっけないほど他人になる。
それは最前線で戦った五人も同じ。
一人は金と権力、色香に溺れる。
一人は音もなく去ってしまう。
一人は子の立場を有利にと策略を巡らす。
一人は国と民の発展に尽力するが、周りに足を引っ張られもがく。
一人はそんな四人を見ることが出来ず逃げ出す。
──こんな結末を求めていたのか……
イリーナはパチパチと音を立て燃えるたき火を見つめながら物思いにふける。
「エレノア、お前は今何をしている。この現状を見たらきっと笑うんだろうな。
お前の相棒に居場所を聞いても教えてくれねえし……」
火の中に枝を投げ入れると、バチバチっと大きな音を立て火の粉が弾ける。
「ほんと、どうすりゃ良かったんだろうな」
燃える火を瞳にぼんやり映しながら、火に問い掛ける。
夜風がふわっとイリーナの髪をなびかせる。
最初はその風に心地よさを感じ目を静かに瞑るイリーナだったが、目を開くと突然立ち上がったイリーナは、自分の大剣を手に持ちたき火を叩き消すと砂を掛け走り始める。
夜風が運んできた焦げた匂い。その匂いを辿り走る。徐々に濃くなっていく焦げ臭い匂いに死臭が混じり始める。
進むにつれ、最早匂いを辿る必要もなく、燃え上がる炎が真夜中の空を煌々と照らしていて目印となる。
森を駆け抜け、村の入り口にたどり着いたときには多くの建物が崩れ落ち僅かに燃え、燻る炎の煙が黒い煙を上げていた。
ギッツ!!
鳴き声のような何とも表現しづらい声と共に四つの影が飛びかかってくる。
だが四つの影はイリーナの振った大剣によって八つになり、吹き飛んでまとめて燃え朽ちた建屋の壁に叩きつけられる。
「ゴブリンか……」
パチンと指を鳴らすと、イリーナに向かっていた矢がへし折れて地面に落ちる。落ちると同時にタンっと飛ぶように一直線に一軒の家の前まで踏み込むと窓の下に剣を突き立て、壁ごと切り裂く。
二体の弓を持ったゴブリンが建物の中で斜めになった上半身だけ飛ばし絶命する。
振った大剣をその勢いのまま後ろへ投げると、屋根にいたゴブリンを串刺しにする。
イリーナが武器を手放したのを幸いと、隠れていたのであろう二匹のゴブリンが剣と斧を振りかざし襲いかかるが、イリーナ自ら二匹に突っ込んでいくと、一匹のゴブリンの顔面を握り地面に叩きつける。
敵が向かってきて、尚且つ仲間がやられたことに唖然としてしまった瞬間に、もう一匹の運命は決まっていた。
後頭部を握られると顔面を地面に叩きつけられ痙攣し動かなくなる。
「いるんだろ、部下たちにやらせといて大将は逃げる気じゃねえだろ? ちょっとは根性見せてみろよ」
建物に向かってイリーナが声を掛けると、影から身長二メートルほどの筋肉質なゴブリンが現れる。この世界では他のゴブリンよりも知性や体格に恵まれ、群れを統率する者を、ゴブリンロードと呼ぶ。
ゴブリンロードの手にはイリーナより大きな剣握られ、立派な鎧まで装備している。
「ゴブリンに鎧や武器を作る、そんな技術はねえよな。ってことは何かしら裏があるってことか。
てめえ、なんでこの村を襲った?」
イリーナの問いにゴブリンロードは大剣を構える。
「それが答えか。喋れないなら仕方ないけどよ。そうじゃねえんだろ?」
大きな足で踏み込んだゴブリンロードの縦に振られる一撃を、イリーナは身をかわし避けると振り下ろされた剣の上に飛び乗る。
踏まれた大剣は地面にめり込むが、ゴブリンロードは力任せに振り上げ、イリーナを空中へと投げ飛ばす。
「わりいな。自分で取りに行くの面倒だから助かったぜ」
飛ばされた勢いを利用して屋根に飛び乗ったイリーナは、先ほど自分が投げた大剣を屋根に刺さったゴブリンごと抜き、飛び降り様に振り下ろす。
火花が飛び散らせながら、イリーナの大剣は、それよりも大きなゴブリンロードの大剣に受け止められる。
ニヤリと笑うゴブリンロード。
「この世界に絶対はない。自分が優位だなんて思ったとき負けるぞ」
イリーナの大剣の軌跡に合わせ衝撃が何度も走り打ち付けられる。その衝撃は空気の振動故に目では捉えられず、ゴブリンロードにはなにが起きているか分からない。
重なる衝撃にガラスのように砕けるゴブリンロードの大剣、そして紙のように切り裂かれる鎧。
鎧の隙間から流れ出る血の水溜りの上にゴブリンロードが膝から落ち、大きな音を立て倒れる。
イリーナが大剣をゴブリンロードの首筋に当てると、恐怖からかゴブリンロードがピクリと小さく跳ねる。
「で? お前らに武器の融通を利かせたのはだれだ? お前だけなら魔王群の生き残りってことも考えられるが、チビッコイの含め全員が綺麗な武器を装備してるなんておかしいだろ? あ?」
首筋の大剣にグッと力を込めると、ゴブリンロードの首から血が流れる。
「お、おどこ。ふぐめんしでる。ずきな村おぞって、人間ずきなだけくえって」
ゴブリンロードは濁音の多い、聞き取りにくい声で必死に話し始めたところで、イリーナが地面を蹴って大きく下がる。
四方から飛んでくるダガーはゴブリンロードに突き刺さり、うめき声を上げ血を吐き喉をかきむしり突如苦しみ始める。
「ちっ、毒つきか」
怒りを露わにするイリーナがエメラルドグリーンの目の色を紫に染まるほどの爆発的な魔力を解放する。
周囲に威圧的な魔力が放たれ、周囲にいたと思われる数人の気配が消えてしまう。
「逃げやがったか……あの気配の消し方アサシンか……ん?」
何かに気が付いたイリーナは歩き出すと、外にあったタルの蓋を開けると、中には気絶した男の子が泡を吐いていて目を回していた。
襟を持って引っ張り上げて眺めたイリーナは、男の子を抱えて歩き出すと、村の離れた焼けていない家のドアを開けベッドへ寝かせる。
「生き残り……音を探ったときの一つはコイツだったか」
近くの椅子を引っ張ってきて座ると、ベッドに横たわる男の子を見つめる。
「後でもう一度探すけどよ、多分この村にはお前しか生き残ってないぜ……お前は裏で人間の思惑が渦巻いてるって知ったら呆れるんだろうな。
知ってるか? 魔王の脅威があったとき人同士の争いはほとんど無かったんぜ。笑えるだろ……」
そこまで言ってイリーナは大きなため息をつく。
「ま、お前に愚痴っても仕方ねえよな。疲れてんなあたしもよ」
イリーナは座ったまま、目を瞑り浅い眠りへつく。
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『転生の女神シルマの補足コーナーっす』
みんなの女神こと、シルマさんが細かい設定を補足するコーナーっす。今回で17回目っす!
※文章が読みづらくなるので「~っす」は省いています。必要な方は脳内補完をお願いします。
ゴブリンロードの『ロード』は上位種的な意味で使われており、ゴブリン本人たちは自分たちのことをそのように呼んでいません。呼ぶのは人間と魔族だけです。
知能の高いゴブリンが自分のことをそのように呼ぶことはあるようですが、仲間内では浸透しないようです。
力が強いか、弱いかそれが全ての世界で生きる彼らも大変なのかもしれません。
次回
『旅へ』
イリーナは少年と旅へ出ることになる。二人の旅はやがて三人へ。
旅の中で衰えと成長を感じるときイリーナは何を思うのか……。
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