お嬢様の道は一日にしてならず

 左手にフォーク……右手にナイフ……


 エーヴァは心の中で呟きながらそっと目の前の肉にフォークを刺し、ナイフで肉を切るため刃を進める。


 ギコギコと


 パチン!


 右手に衝撃が走る。普通の子ならナイフを落としてしまうのだろうが、エーヴァにとってたいした衝撃ではない。


 ナイフを持ったまま自分の手を叩いた女性を見ると首を振られて、そのまま右手を握られると肉の切り方を体で覚えさせられる。


 女性の顔のシワの深さ、手のシワの具合からかなり歳を重ねているのが分かるが、その眼光は鋭く容赦ない厳しさを感じさせる。


 この女性の名は、マディナ・ポポフ。クルバトフ家お付きのお手伝いさんであり、躾を担当し厳しさには定評がある。


「お嬢様、ナイフはスッとひいて下さい。ノコギリのように押し引きしてはいけません」


「むぐぅ」


 パチンッと音を立て唸るエーヴァの頭が叩かれる。


「お嬢様、そのような言葉遣いをお教えした覚えはありませんよ」


 頭を押さえるエーヴァとそれを厳しい目で見るマディナ。

 エーヴァが泣き出すのではないかと、周囲に待機しているメイドたちはハラハラしながら見ている。


 だが、エーヴァは頭を押さえたまま、下を向いてニヤリと微笑む。


「おもしれえ、いいだろやってやる」


 歯をギリッと噛み締め、顔を上げるとマディナに笑顔を見せる。


「先生、続きをお願い致しますわ」


 そんなエーヴァを見て、他の人に分からないくらい僅かに口角上げたマディナは、パンパンと手を叩く。


「ではお嬢様、ナイフとフォークを持つことから始めましょう。根気よく何度も繰り返し、体に教え込むのです」


「あぁ任せろ……やばっ!?」


 パシッと頭を叩かれるエーヴァ、五歳の戦いは続く。



 * * *



 ピアノの旋律が優雅に流れる。その音色に酔いしれるのはロシアの修学前教育、所謂幼稚園のある一室での様子である。


 ピアノを優雅に弾き終えたエーヴァが椅子から立ち上がり優雅にお辞儀をすると、先生を含め皆が拍手を贈る。


 拍手の中を優雅に歩くエーヴァが、自分の席に戻ると数人の女の子たちに囲まれ持て囃される。

 それを子供と思えぬ、上品な返しで受け答えするエーヴァ。


 そんな様子を少し離れた場所から羨ましそうに眺める、そばかすが特徴の女の子。彼女の名は、マリーヤ ・ソンディコフ。積極的ではなく人見知りする子である。


 皆に囲まれるエーヴァに憧れの視線を送る。自分もああなりたいと。


 だが視線を送るだけで声を掛けることはできずに一日を終えてしまう、そう思ったとき、席を立ち移動をするエーヴァと取り巻きたち。


 歩くエーヴァのスカートからハンカチが落ちる。取り巻きはエーヴァを見ていて気がつかない。


 移動した後に残されたハンカチを拾ったマリーヤが、遠ざかるエーヴァの背中に向かって声を掛けようとする。

 だが、自分が声を掛けても良いのだろうか? そんな疑問が自分の中で芽生える。


 ほとんど話したことのない自分が、エーヴァに声を掛けたら本人からどのように思われるのだろうか?

 そう考えてしまい躊躇するが、ハンカチがないと困るという思いが勝ち、意を決し声を掛ける。


「あ、あの……エッ、エーヴァさん、ハンカチ……」


 自分でもビックリするくらい小さな声。


 そんな声に誰も気が付いてくれるわけもなく遠ざかるエーヴァを見て項垂れるマリーヤ。


 ──自分が嫌になる。


 自己嫌悪に陥るマリーヤの肩を誰かが優しく叩く。


「マリーヤさん。呼んだかしら?」


 慌てて前を向くと、優しく微笑むエーヴァがマリーヤを見ていた。突然のことに理解が追い付かないマリーヤが慌てて手に持っていたハンカチを差し出す。


「あら? 落としてしまったのですわね。気づきませんでしたわ。マリーヤさん、ありがとうございます」


 丁寧に頭を下げるエーヴァにつられ、頭を下げるマリーヤ。

 ハンカチを丁寧に受け取りながらエーヴァが微笑む。


「わたくしは耳がいいですから聞こえますけど。もっと声を出しても良いと思いますわ。

 マリーヤさんの声、綺麗ですのにもったいないですの。

 声を出すべきときには出してごらんなさい。きっと誰か聞いてくれますわ」


 それだけ言うと、取り巻きの方へ向かって歩いていく。


 エーヴァの言葉は、幼いマリーヤの心に響き、彼女はそっと胸を押さえ受け取った言葉が逃げないようにする。



 * * *



 大きなリュックを背負って迎えに来たママと歩くマリーヤ。


「マリーヤ、お買い物に行ってから帰りましょう」


「うん」


 手を繋いで、歩く親子はいつものスーパーへと向かう。

 いつものようにママの押すショッピングカートに寄り添いながら店内を歩く。


「マリーヤ、お菓子を買っても良いわよ」


「ほんとうに! やったぁ! 買ってくるね」


 お菓子を買って良いよと言われ、マリーヤは大喜びでお菓子売り場へと向かって行く。お菓子売り場のコーナーに曲がろうとしたときだった。コーナーには先客がいた。


(あれ? あの子たち確か隣のクラスの男の子たちじゃなかったっけ。何を慌ててるんだろう?)


 こそこそと周囲を見回した男の子二人がお腹の辺りを押さえ、足早に去るとき角から様子を見ていたマリーヤにぶつかり、お互い尻餅をついてしまう。


 目が合って男の子はあっ! とした表情でマリーヤを見るが、その男の子をもう一人の男の子が腕を引っ張り逃げていく。


 彼らの名前が、オレグとドミトリーだったと思い出し、何を慌てているのだろうと不思議に思いながら、マリーヤは自分のお菓子を選んでママの元へ戻る。



 * * *



 いつもの幼稚園。マリーヤは自分のロッカーからコートを取り出すと外へ遊びに行こうとする。廊下を歩いているとき、突然2人の男の子が現れ進路を塞ぐ。


 よく見ると昨日スーパーで出会ったオレグとドミトリーの二人。その目は鋭くマリーヤを見ていて、とても一緒に遊ぼうという雰囲気ではない。


「お前、ちょっとこいよ」


 それだけ言うと背を向け歩き出す二人。嫌な雰囲気についていくこと躊躇するマリーヤは突然後ろから乱暴に押され、転けそうになってしまう。


「早く行けよ」


 後ろを振り返ると別の男の子が2人いて、顎で行けと指図してくる。

 マリーヤは怖くなって泣きそうになり、助けを求めようと、叫ぼうと思たがそれより怖い方が勝ってしまいて、黙ってついて行くことになる。


 校舎の裏にある小さな広場に連れてこられると、4人の男の子に囲まれる。


「お前、昨日見ただろ。先生たちに告げ口してないだろうな?」


 なんのことか分からない、マリーヤが返答に困っていると後ろにいた男の子が肩を掴み乱暴に引っ張る。バランスを崩し尻餅をつくマリーヤ。


「返事しろよ。お前もう先生や親に言ったんだろ? だから答えれないんだ!」


 男の子の言葉で残りの三人が、マリーヤに怒りを宿した目で睨み、一方的な悪意をぶつける。

 身に覚えがなく、なんのことか意味も分からないマリーヤが呆然としていると、一人の男の子が胸ぐらを掴み無理矢理立たせ、拳を振り上げ脅してくる。


「お前昨日スーパーにいたよな。俺らがお菓子盗んでいたの見てたろう。で、先生に言った。じゃないとこんなもの配られないだろ」


 オレグがマリーヤに突きつけたのは、今朝のホームルームで先生が言っていた、『スーパーや商店で窃盗が多発していると、物を盗むのは悪いことです』と書いてあるプリントだった。


 そこで初めてマリーヤは理解する。彼らが昨日何をやっていたのかを。


「ち、ちがっ……」


 否定しようとするが、震える唇が言葉を邪魔する。


 理不尽、でも怖いから何も言えない、どうしていいか分からない……


 ──声を出すべきときには出してごらんなさい。


 エーヴァの言葉が過る。


 先生に告げ口していないと言おうとしていた。そもそもそれが間違いだと気がつく。


 震える唇を血が滲むまで噛み、無理矢理恐怖を押さえ、お腹の中から必死に言葉を吐き出す。


「窃盗する方が悪いんだから! せ、先生に言うとかじゃなくて、あなた達がわ、悪いんだから!」


 自分でもビックリするくらいの大きな声。


「ふざけんなよ!」


 男の子が激情しマリーヤを激しく揺さぶり拳を振るう。目をつぶり叩かれる覚悟をするマリーヤ。


「うっ」


 短く唸る声に恐る恐る、目を開けたマリーヤの目に映るのは細い腕で男の子の拳を受け止めるエーヴァの姿。


「マリーヤさん、怪我はありませんか?」


 エーヴァはマリーヤに優しく微笑みながら、受け止めた拳を捻る。捻られた男の子は痛みに耐えきれず、座り込んでしまう。


「お前っ!」


 別の男の子がエーヴァに襲いかかるが、空気が揺らぎエーヴァがその場から消えると男の子の顔面を掴む。


「話してる途中だろうが、静かにしろ」


 エーヴァが掴んだ男の子の周辺の空気が大きく揺れると、男の子は平衡感覚を失い膝をつき動けなくなる。


「ちっ、てめえら。なんの恨みがあってこんなことをしてるかは知らねえが、マリーヤの言葉からお前らが悪いのは分かる。覚悟しろよ」


 ただの悪ガキが反応できるわけもない、エーヴァが地面を蹴ると砂ぼこりが上がり、一瞬で間合いを詰めたエーヴァの拳が鳩尾に入り、男の子はお腹を押さえ膝をつく。


 もう一人も恐怖で動けないまま後頭部を掴まれ、揺れる空気によって倒れる。


 一瞬の出来事とエーヴァの豹変っぷりに目を丸くして驚くマリーヤを置いて、エーヴァの勢いは止まらない。


「おい、てめえら。なんでこうなったのか説明しやがれ! 殴ったのもかなり手加減してやってんだ。そもそも拳当たってねえだろ、いつまでも寝てねえで立ちやがれ!」


 エーヴァの迫力の前に泣きながら、事情を説明する四人組。


「やっぱてめえらが悪いんじゃねえか。まずはマリーヤに謝れ!

 そこから一緒にいってやるから大人たちに謝りにいくぞ! その後、根性叩き直してやる」


 くるっとマリーヤに振り向いて、泣きながらマリーヤに謝る四人を背にするエーヴァはいつものエーヴァ。


「マリーヤさん、あなたの声はっきり聞こえましたわ。お陰で間に合いましたの」


 優しく微笑むエーヴァだが、すぐに四人をキッと睨む。


「いつまでも泣くな! 悪いのはお前らだろ。まずは誠意を見せに行くぞ! ほら歩け!」


 その豹変が可笑しくてクスクス笑う。マリーヤはエーヴァのことをもっと知りたいと思う。


 そしてエーヴァは、


(上品さと、素の使い分けが大事だな。対局であればあるほど、互いにキュッと絞まり引き立つってもんだ。


 あ~なんだっけこういうの。アラがなんか言ってたな。あぁ、あれだギャップ萌えってヤツだ! もっと極めないとな)


 朧気ながら自分の将来の姿を見定めるエーヴァであった。



 ────────────────────────────────────────


『転生の女神シルマの補足コーナーっす』


 みんなの女神こと、シルマさんが細かい設定を補足するコーナーっす。今回で14回目っす~!  


 ※文章が読みづらくなるので「~っす」は省いています。必要な方は脳内補完をお願いします。



 ロシアの幼稚園は日本より自立を求められるので、三歳のころから自分の身の回りのことができるように教育されるようです。

 五歳といえどもしっかりしているのはお国の事情ということです。


 さて、この度出てきた、マリーヤは将来的にエーヴァと一緒に仕事をする予感がするとだけ伝えておきます。


 4人の男の子はこの後きっちり謝り、散々怒られましたがエーヴァの指導によりまともな道を歩んでいきます。

 彼らもまたエーヴァと共に働くことに。どこに出会いがあるか分からないということですね。


 次回


『オルドの日本旅行記 ~吹矢の旅~』


 神の眷属であるオルドは今日も趣味の旅行に勤しむ。あなたの町にぐるぐる目玉がやって来る!


 次はどこに行こう! 今日も目玉ぐるぐる、ヨダレたらーのオルドは行き先を決める為、吹矢を日本地図に向けて飛ばすのだ!


 オルド出番ないっすけどちゃんと仕事はしているっす。ちょっぴり私との出会いのお話なんかもあったりするかもしれないっす。

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