11.
昔、部活の時間に教室で二人きりになったことがある。
基本的に毎回来る狭山先生が、たまたま出張か何かで来なかったのだった。
僕は女の子と二人きりになることなんてめったになかったので、すごくどきどきしていた。
白石さんは、いつもなら、部室になっている化学科準備室の横にある暗室で一人こもって出てこないか、教室で本を読むか、そうでないなら狭山先生と申し訳程度のあたりさわりのない話をするか、だった。
でも今日は誰もいない。
プラスチック製の原子模型が置かれた棚。
並べられた試験管やビーカー。
何とも言えない薬品の刺激臭。
その全てが、僕にとっては写真部での活動を思い出させるものだった。
窓際で風に当たりながら、背もたれのない丸椅子に座って本を読んでいる彼女――。
僕はテーブルを二つ挟んだ反対側の席から、彼女を遠目に見つめていた。
当時彼女の髪はまだ黒く、肩にかかるほど長かった。
白石さんの髪の毛ってきれいだな、とかどうしようもないことを考えていた僕は、本当に馬鹿だったと思う。
僕はなんとか話しかけようと思ったのだが、怖くてできなかった。
でも彼女は、話しかけるのを逡巡している僕とは、たぶん全然違うことを考えていたのだと思う。
「水無月君」
それは全くもって突然――。
白石さんは話しかけてきた。
空気が凍るように冷たく、囁くような高い声だった。
「は、はい」
急なことで素っ頓狂な声を上げる僕。
ちょっと声が裏返ってしまったかもしれない。
彼女は一度たりとも僕と目を合わせず、髪で顔を隠したままだった。
「――私と一緒にいると、いじめられるよ」
抑揚のない、平坦な口調――
彼女が僕に見せた、歪んだ優しさ。
それは、教室の時計の針が部活終了時刻のちょうど一分前、四時四十四分を指す頃だった。
僕は何も言えずに、彼女が帰るのを見送ることしかできなかった。
こぶしをぎゅっと握りしめながら、言葉にならない熱い思いが喉にこみ上げるのを感じながら――。
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