3.
「入りますよー」
僕は慌てて、スライド式のドアが勢いよく開くのを注視した。
問診表と思しきボードを片手に颯爽と入ってきた、水色のナース服を着た二十代前半ぐらいの女性。
健康そうな肌の色に、派手過ぎないナチュラルメイク。
「失礼しまーす、って、あれ?」
明るい笑顔で目を合わせて話すいかにも体育会系の女性がそこにいた。
つかつかと歩み寄ってきた彼女に、鏡で映したように対極の僕は一瞬ドキッとしてしまう。
「お見舞いにいらっしゃった方? ダメじゃーん、受付でちゃんと名前書いてかなかったでしょ」
隣に並ぶと身長が高いことがよく分かる。百七十センチメートル以上あるんじゃないだろうか。
僕が何もいえないでいる間に、彼女は手馴れた口調でさっとしゃべった。
「今はいいけど、面会時間以外でこられたら困りますよー。今後気をつけてね。
かれんちゃん、今日は特に検査ないけど、一応様子だけ見に来ましたよ。お体の調子、どう?」
白石さんは無言ではあったが、多少安堵した顔になっていた。やはり緊張していたのかもしれない。
持ってきた学校指定の紺色のリュックサックに気づいた彼女は、
「ひょっとしてわざわざ色々運んできてくれたの?」
と、いかにも面白そうに口にした。
「後でお礼言わなきゃね。あ、ところでお名前は?」
藍色のプラスチック製のボードに何か書き込んでいる彼女を横目に、自失していた僕ははっと我に返る。
「
僕は、ひとつひとつ言葉を噛み締めるように自分の名前を口にした。
「あの……そちらは?」
「私?」
ボールペンを動かす手を止め、彼女は顔をこちらに向けると、微笑んで首にかかった名札を差出した。
「看護師の吉久保っていいます」
透明の四角い名札の中には、「よしくぼ」とポップ体のひらがなで書かれた厚紙が入っていた。市役所職員がよく使っていそうなシンプルなデザインだ。
「下の名前は加奈子だから、ここのおじさんたちにはカナちゃんって呼ばれることもあるかな」
吉久保さんは腕まくりをしながらひとりごちた。
ベッドに備え付けられたサイドテーブルを雑巾で拭くつもりなのだろう。彼女は点滴などをチェックしたあと、持ってきた雑巾を病室内にある小さな陶器の洗面所に持って行った。
蛇口をひねる。
溢れ出る水の音がわずかな間、雑音をかき消す。
髪に手をかけながら振り向きざまに、吉久保さんは僕を見つめた。
「もしかしてお二人、そういう?」
「いえっ、とんでもない!」
面白いおもちゃを見つけた子供のような、吉久保さんの目。
キラキラしている。僕よりずっと年上なのに。
「あー、お花じゃない! 持ってきてくれたんだー、飾っとくよ。いいよね? かれんちゃん」
話題を変えようとしたのか、吉久保さんはわざとらしく大きな声で嬉しそうに声を上げた。
彼女は恥ずかしそうにゆっくりうなずく。
僕は目を泳がせて、つい赤くなってしまう。
――やっぱり、僕はダメなやつだ。
彼女が無事と分かって、暗澹たる気分からは少し解放された。
でも、僕は分かっていた。
僕が来ても根本的な解決にはならない。僕が来たって、なんの意味もないんだ。
心の中には、言いようのない影のようなものが付きまとっていた。
思い出す度胸を締め付ける、消えないしこりのような何か――。
吉久保さんがせっせと働いている横で、僕はその場に立ち尽くしたまま手をぎゅっと握りしめた。
五月の温かい風が、花瓶に生けられたスイートピーを揺らしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます