マリの箱庭

まきや

第1話



 そう遠くない未来の話。


 画期的なコミュニケーション・デバイスとして生まれたスマートホンは、爆発的に人々に浸透した。


 様々な機種が生まれては消えていく。メーカー間の過激な競争は、何十年も続いた。


 やがてスマホが当たり前になり、機能がマンネリ化してくると、その勢いにかげりが見え始めた。


 ところがあるメーカーの努力が、次のブレイクスルーを引き起こした。


 体に埋め込める、チップ型のスマホが発売されたのだ。


 液晶画面は不要になり、映像は視神経を通って直接脳に送られた。音声は骨から振動で伝わり、バイブは肌への弱い刺激に置き換えられた。人体がまるまるスマホの筐体きょうたいになったようなものだ。


 人間の五感を操ることで、スマホは次の新しい表現を可能にした。


 例えば自分の容姿や服装を変化させるアプリ。実体は何も変わっていないが、そう感じさせるよう、脳に信号を送り込んでいた。通信機能を使えば、他人にも望む姿を見せる事ができた。


 部屋に超リアルな仮想の街やキャラクターアバターを出現させるアプリも有名だ。レストランで食事すると、味覚が刺激され本気で食べた気になれた。


 例をあげたらキリがない。この技術は、ゲームや映画、ファション、老人介護などあらゆる分野に応用が効く。


 かつてない体験を得るため、人々はこぞってチップを自分の体に埋め込んだ。


 そしてついに、国が動いた。


「7歳を過ぎた国民は、体内にスマホチップを埋め込む事を義務とする」


 人が国家に完全に管理される時代の幕開けだった。


 しかしどんな時代にも、例外となるものが現れる。




「いやだ! 僕もチップ型のがいいよ!」


「ごめんね、シュウ。これはお姉ちゃんとの約束なの」


 板状のスマホ――いわゆる旧式――を持っていた母親が困った顔をした。


「僕以外のお友だちはみんなチップだよ。いや! いや! いや! こんな誕生日、最低!」


 7歳になったシュウは泣き叫んだ。楽しみにしていたプレゼントが、まさか手で・・持つスマホだなんて!


「あなたもお姉ちゃんに似て体が弱いでしょ? チップを埋め込むと拒絶反応が出るかもしれないって、お医者さんが許してくれなかったの。もう少し大きくなったら、また検査できるから」


 慰めの言葉を無視し、シュウは母の手からスマホを奪い取った。そして自分の部屋に駆け込むと鍵を閉め、ベッドの上でおいおいと泣いた。


 シュウは弱い体に生んだ母親を恨んだ。そしてなぜか自分に古いスマホを残そうとした、姉を憎んだ。


 シュウの姉のマリは10歳でこの世を去った。マリは弟よりもっと体が弱く、ほとんどの時間を病院のベッドの上で生活していた。


 当然7歳になってもチップの埋め込みは許されなかった。マリの細く白い手に、いつも旧式のスマホが握られていたのをシュウは覚えていた。


 10歳の春、マリはある言葉を両親に残して息を引き取った。


「このスマホを……シュウに渡してあげて……7歳の誕生日に」



 姉は大好きだった。けれど7歳になったシュウに、最後の言葉だけが重くのしかかる。


 年上の子たちが言う『チップのある世界』の素晴らしさを聞いていたから、余計にそう感じた。


 友人たちのゲームの話に、シュウの瞳は輝いた。


「あのゲーム、ヒーローをどれでも選べるんだ! 僕は『アーサー』になって、カッコいいバトルスーツに変身してみた!」


「うちに家に邪心の手下たちが攻めてくるの。みんな本物そっくり! パンチとかキックで相手をやっつけるんだ。向こうの攻撃はちょっと痛いけどね」


「ヒーロー同士、協力して大魔王をやっつけようぜ!」


 誕生日になれば、そんな楽しい世界の一員になれると思っていたのに。シュウはやけになって、姉のスマホを投げ捨てた。スマホは壁に当たって跳ね返り、床に転がった。


 ポーンと電源の入る音がした。この日の為に母が充電しておいたようだ。


XIMMジムカードが正しく差し込まれていないか、カードが異常です。裏面を確認してください。XIMMカードが……」


 ずっと使っていなかったから、壊れたのかもしれない。シュウはスマホを拾い上げた。放り投げた衝撃で裏のカバーが取れていた。


「あっ……」


 シュウは驚いた。剥き出しになったXIMMカードの差し込み口に、明らかにサイズの違うものが挟まっていた。彼はそれをテレビで見たことがあった。


「埋め込み型のチップだ!」


 シュウはスマホから小片を慎重に取り出した。


 眺めているうちに、ある誘惑がシュウの胸に浮かんだ。チップがマリのスマホの中にあった理由が、だんだん気にならなくなってくる。


「これってたしか、手首にピタって貼るとスマホが体の中に入るんだよね」


 シュウは唾を飲み込んだ。


 母親に叱られる怖さと、ゲームで遊びたい誘惑が、頭の中で激しく戦っている。


「僕はアーサーになって世界を守る」


 誘惑が勝利した。シュウはチップを左腕の手首にギュっと押しつけた。


 痛みは一瞬で、すぐに視界から部屋が消え去った。


 シュウは家の中ではなく、外に立っていた。そこは駅ちかくの商店街の真ん中で、何でもない日常の風景。


 仲が良さそうな女の子が三人、シュウの方へ歩いてきた。


 学校帰りだろうか。どの子も同じ中学校の制服で、リュックにはそれぞれお好みのキーホルダーぶら下がっている。話が盛り上がって、楽しそうに笑っていた。


「お姉ちゃん?」


 中学生のマリなどいるはずがない。けれどシュウの心は感じ取った。それが成長した姉であると。


 マリもシュウに気づいた。友だちに待っててと声をかけ、シュウのもとへやって来る。


「こっちに来たのね。私はね……マリに見えるけれど、マリじゃない。シュウのお姉さんがアプリで作ったアバターなんだ。病院から出られないマリが、なりたい自分を想像して私を生み出したの。どうかな? 中学の制服、似合う?」


 くるりと回転して見せる。


「うん……お姉ちゃん、似合うよ」


「ありがとう! マリは旧式のスマホを使っているふりをして、こっそり病院でチップを試していたの。どこにも出られない彼女にとって、ここは素敵な箱庭だったでしょうね」


 マリの表情が暗くなった。


「でも結局マリの体はチップを受け入れなかった。弱かった心臓に悪い影響を与えてしまい、マリは逝ってしまったわ」


 背の高いマリの分身が手を伸ばし、シュウの頬に触れた。マリではないはずなのに、懐かしい感触が伝わってくる。


 突然、アバターの表情が変わった。その声音こわねは、シュウの投げたスマホが発した警告の声に似ていた。


「けれど学んだことはある。私たち・・・はマリの体の中で、彼女の体が持つ特殊な組成を学び取った。そして現在もプログラムを改良し続けている。あと2年もすれば、人体は我々を拒絶しなくなるだろう。マリと同じDNAを持つ君なら、特に」


「ごめん。言ってることが、よくわかんないや」


 アバターは再び『マリ』に戻っていた。


「つまりね、シュウが9歳になったら、このチップを付けてってこと! そうすれば箱庭の世界で、マリは幸せに生き続けられるから。きっとお姉さんもそれを願っているわ。わかってくれた?」


「……うん」


「それまでチップは使わずに、大事に取っておけるかな?」


「大丈夫。僕、しばらくあのスマホで我慢するよ」


「えらい! じゃあこのアプリはそれまで終了しておくね。またね……」


 商店街の背景とアバターの姿が薄くなっていく。


 完全に消える前に『マリ』の声が聞こえた。


「あっ! その時は【MNPのりかえ】を、お忘れなく!」





(マリの箱庭    おわり)

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マリの箱庭 まきや @t_makiya

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