1-4 疑問と不安


 歩いて15分くらい。まぁ歩いている間、お土産屋さんや本屋さんなんかを見付けて、買いまではしなかったけど物を見て回ったから、妥当な時間ではあると思う。そして、歩いてきた道の横に突然、宿は現れた。

 道側から見た外観がもうすごく、白壁石造りのアパート。サイトで見た内装画像が、本当にこのアパート外観の宿にあるのかと不安になったけど、いざ入ってみたら、ほんとにサイトで見た内装画像通り。内装は言ってしまえばプチ贅沢感ある豪華な造り。壁は大理石風の色見だけれど、床には紅色の地に、縁が金糸で刺繍が施されたふかふか絨毯。小さなロビーの壁には創設者らしき人の写真や、過去に宿泊した有名人の写真とサインがアンティーク調の額縁に入れられ、何個か飾ってある。天井からは1つだけ煌びやかな小さめのシャンデリアが下げられている。宿泊棟の廊下は、スズランのような花をモチーフにしている壁掛けランプで柔らかなオレンジの灯りが照らし出している。一番の極めつけは、ロビーに1つだけある赤地の大きなソファ。見た目だけでもうふわふわなんだけれど、いかにも王宮とかにありそうなブランドの高そうなソファなんだよね。ロビーでチェックインを済ませている間、ミラがそのソファをじっと静かに眺めている。気持ちはわかる、すごくわかるよ。


「もうちょっとだからね。待っててね?」

「はい……」


 口をきゅっと閉じ、掴んでいた僕の薄手のベージュ色のロングコートをさらに強く掴む。宿の説明を聞き、やっと終わるチェックイン。支払いに使った紙類を財布にしまって、財布も手提げバッグに無造作に押し込む。どうせ部屋で一度物を広げるのだから問題ない。受付のお姉さんから、僕は笑顔で鍵を受け取る。


「さ、部屋行こうか。」


 鍵を持ちたいというミラに、ついさっき受付のお姉さんから受け取った鍵を流れ作業のように渡す。ミラは片手にぎゅっと握りしめた鍵に書かれた番号を見つつ、2人で廊下の奥へと進んでいった。

 けれど僕らの部屋は案外すぐ近くだった。ロビーのある棟のすぐ隣、2号棟の2階一番端の部屋、223号室。部屋まで歩いてきて気づいたのだけれど、どうやらこの宿は僕らが来た道側から3棟の壁が見えていて、宿の奥に向かうと1棟分面積の中庭を挟んで2棟、中庭通り越して3棟あるという構造らしい。中庭には小さな噴水と白いベンチ、それを囲むように花壇が転々とある。中庭を挟んでいる棟2つはレストランとか、共同風呂とかの施設用っぽい。そこそこ大きな宿だった。

 部屋を開けると、外の光が差し込んで白い壁がより一層部屋を明るく照らしているのがわかる。部屋に入ってすぐの扉の先には、シャワー室と併設のトイレと洗面台。部屋の奥に進むと壁掛けの大きな鏡の前に横長の白い机。あとそこまで大きくはないけど、ベッドから眺めれば丁度いい大きさのテレビ。机の引き出しにはテレビの説明から、ネットの繋げ方、その他必要事項と、アメニティ数点。そしてこの部屋にドンと置かれているダブルベット。僕が部屋のあちらこちらを見ているうちに、ミラはそのベッドに勢いよくダイブしてしまっている。僕はその、子供らしい楽しそうにきゃっきゃっ騒ぐ様子を見て、さすがに堪えきれず、くすくす笑う。さっきロビーで真っ赤なふわふわソファに座らせてあげなかったから、これくらいは許してあげることにした。

 僕は真っ白な木の机の横に設置された、少し低めの荷物置き用の棚の上に旅行バッグと仕事用手提げバックを置いて、窓から町を眺める。よく見たら窓のすぐ外にプランターが設置されていて、赤色の花が咲いていた。何の花か良く分からず、目を細めてじっと特徴を観察する僕。


「先生、このお花、アネモネですよ!」


 ベッドから飛び降りて、窓に寄ってきて背伸びしながら赤い花、アネモネの花を見ている。もう少し近くて見られないかと思って窓を開けようとするも、片方の窓しか開かないうえに、開いた窓のほうには網戸が固定されていて、プランターには触れられない仕様になっていた。仕方ないからミラを抱え、窓のガラス越しからアネモネを眺める。顔をギリギリまで近づけて、アネモネを観察するミラはなんだか少し楽しそうに見えた。そんなミラを見て、僕もなんだかほっと気持ち的に安堵する。


「お花、綺麗ですね。」

「そうだね。てか、よく知ってるね?」

「お家の花壇にも咲いてますよ、アネモネ。」


 あっそうなの?という僕の言葉にちょっと驚いた様子のミラだったが、帰ったらどの花か教えますと言ってくれた。家に帰ったらありがたく、ミラ先生のお花講習会に参加することにしようかな。

 出張話を課長から振られた日から、今日にいたるまでのことを思い返し、無事にケラススに着いてよかったと思う。一人旅ならまだしも、僕より小さな子供との遠出は、どんなに準備していても心配になってしまって、昨日の夜はなかなか寝付けなかった。でも今のミラを見て、本当に気持ちが落ち着いた。

 明日からいよいよ、ケラスス植物園の園長との対面仕事が始まる。すこし緊張する。仕事といっても、内容的にたぶん、契約と保険関連の決めごとの見直しやら、植物園の施設内点検とかな気がするから、明日明後日には対面の仕事は終われるんじゃないかと考えてる。対面仕事が終われば、話した内容やら、修正事項を提出書類にまとめたり、課長との予算調整の相談に、書類不備の確認、施設の補修なんかあれば整備保護班に連絡入れなきゃいけないし……ただ1つ気になることと言えば、トリヤマが言ってた園長の様子くらいだろうか?

 結局トリヤマから聞いた話は、園長がトリヤマを信用できないからとまともに取り合ってもらえず、別の人を寄越せの一点張りだったようで、どうにもならず困り果てて帰ってきたトリヤマのことばかりだった。園長がなんの話をしたがっているのかくらい聞けるだろうと思ってた僕が馬鹿だった。ただ、トリヤマの話によると園長は妙に焦ってる?何かものすごく悩んでいるようで?ここ数日、何かの問題について相当思い詰めているらしいという話を、植物園の職員から聞いたらしい。正直、すごくこだわりも我も強いあの園長がそんなに思い悩むことなんて、相当な問題なのだろうとは思うけれど、一体何の話をしたがっていたのかまでは想像できなかった。

 あと最後にトリヤマが話してくれたことは、じゃあ誰となら取り合ってくれるのかということ。トリヤマが最後に思い切りで、立ち去る園長から聞いた名前。本当にぼそっと、小さい声だったみたいだけど……僕。フルグライト君なら……って言っていたらしい。いやぁーーーいよいよ僕も指名されちゃうのかぁ!!と軽率に思ったり、喜んだりしたけれど、確実にこの件、僕も関係者になっちゃってるって事実に、テンションダダ下がりの複雑な思いである。

 急に明日が憂鬱に感じ始めたなぁと空を見上げた時、窓辺のアネモネの花を眺めていたミラが、あっ!と声を上げる。急な大声に、全身でびくっと驚いてしまった。


「先生!?カップケーキ!行きましょう!?」

「あっ!今何時っ!?」


 僕は抱えていたミラをゆっくり降ろして、袖をめくり腕時計を見る。午前11時過ぎ。この宿から少し町中に歩いていくから、ゆっくり行っても12時前には確実に着くでしょう。丁度昼時で良い感じ。てっきり午後1時くらいになっちゃったかと焦ったけれど、そんなことはなかった。余裕余裕。


「お店でランチも食べていこう?そしたら、午後は散策し放題だよ。どう?」

「じゃあそうします!」


 ミラの満面の笑み、今日の予定は決まった。僕もよしっ!と意気込む。気崩れた服を引っ張ったり伸ばしたりして直した後、くるくる交互に右へ左へ回ってスカートをひらひらさせている嬉しそうなミラを一度止め、ミラの気崩れた服も直す。


「じゃあ、バックからお出かけ用の鞄出して?」

「はーい!」


 僕の手からさっと離れて、旅行バックのチャックを思いっきり開けるミラ。僕は僕で、仕事用のバッグから財布だけ取り出す。その後、ミラが自分用と一緒に出してくれた僕の肩掛け鞄を受け取り、ズボンのポケットに突っ込んでいたスマホと一緒に財布をしまう。そうして準備が整った僕らは、部屋を出てロビーに部屋の鍵を預けた後、元気よく町中へ向かっていった。

 帰ってきたその日の夜は、僕ら2人とも、たくさん観光してきて疲れて、次の日の起床時間までぐっすり眠った。僕は眠すぎて2度寝しちゃったのだけれど、その数分後にミラから、お仕事に遅れちゃうと、なかなか手厳しく叩き起こされたのは……内緒で。





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