1-2 何気ない一言
隣町への出張。それは1週間前、オフィスで昼休憩していた時、課長の何気ない一言から決まった。
「そういえばあんた、娘さんできたのよね。春休みの思い出とかどうすんの?」
僕のココア缶を飲む手がぴたりと止まる。そういえば子供ってそうだよね、学校通ったら、お休みあるもんね。でも六方商会で行った奴隷契約の期間が終わっていない以上、市役所でも正式に戸籍の手続きができない。それができないと町の学校にも入学させられないって最近調べて分かった。不意に出た、うーんと唸る僕の後に、僕の正面に自分の席がある、同職の1つ年下の後輩ちゃんが口を開く。
「課長ぉー?フルグライト先輩のとこのミラちゃんは、奴隷ちゃんですよー?」
「はっ!?そうだっけ!?あらぁー……どっかのお家事情と混じっちゃったかしら、ごめんなさいね?」
「いや、いいっすよ。そのうち考えなきゃなぁって思ってた事なんで。」
課長は参ったわ、そろそろ歳かしらと笑っている。そんな課長の姿を見て後輩は、まだまだバリバリの現役じゃないですかと挟み、一緒にけらけら笑っている。
僕が勤務するこの会社、ツバメ観光の開発部、コヨリ・サカミハラ課長。ヒューマン族の女性で、確かこの町の市役所に勤務している旦那さんと2人暮らし……まぁ、どっちも仕事バリバリできちゃう夫婦って感じ。ツバメ観光に10年以上は確実に勤務しているベテラン社員の彼女は元々、営業・企画部で働いていた。けれど、僕が専門学校を卒業して、ツバメ観光で正社員で働くことになるちょっと前くらいから、開発部の課長として働くようになった。まぁ僕は僕で専門学校時代の2年間、営業・企画部のアルバイトとして彼女にお世話になっていて、専門学校卒業手前くらいで、うちの正社員にならないかと誘われて。コネとまではいかないけど、運よく他の新人社員と共に入社試験を乗り越えて、ツバメ観光の正社員になって、彼女のいる開発部に配置されたってところ。この会社、新人と言えど強制的なジョブローテーションはしないから、自ら進んでジョブローテーションを希望しなければ、とことんその場に残るわけで。バイトだった時期も合わせれば5年の、そこそこ長い仕事付き合いである。
後輩ちゃんと課長の、ミラの事も含めた女子トークみたいなものを頷きつつも適当に聞いていると、あっ!と大きな声を出す課長。僕と後輩ちゃんは首を傾げる。
「フルグライト、あんた、出張興味ない?」
「え、僕飛ばされるんですか……」
「何言ってんのよ……ちょっとここから遠い県の契約、取ってくるだけよ。」
はぁ…と短いため息と、察しが悪いと言わんばかりのあきれ顔。僕は眉間にしわを寄せ、反抗する。
「そんな言い方されたら、勘違いだってしますよ!この前だって整備保護班のスナガワ君、飛んだじゃないですか!お客さんと揉め事起こしたとかでっ!」
「残念だったなダリ!スナっちは、実家の母さんの介護のために異動しただけだぜ?」
後輩ちゃんの真後ろ、整備保護班の区域、デスクを3つ分くらい挟むところから背伸びして、勢いよく話に頭を突っ込んできた、ドヤ顔をしているトリヤマ。
ミナミ・トリヤマは僕の同期、亜人類の男。髪の毛に混じって黄色い細い羽が耳上から数枚生えてるのが特徴的なバード族。それでいてチャラくて妙にフットワークが軽すぎの、ちょっとだけナルシな部分がある僕の酒飲み友。ていうかあいつ、スナガワ君のこと、スナっちって呼んでたのか……
「えぇーー!?でもいちごちゃん達が言ってましたよー?」
トリヤマの発言に驚いて話し出した後輩ちゃんに、すぐさま僕は、後輩ちゃんから聞きました!!と大声で付け加える。完全に裏切った形になった僕の反応に、後輩ちゃんは困った顔で焦り焦り、オーバーリアクションで弁解している。
亜人類でキャット族の女性、リタ・ミヌエットちゃんは僕の1つ下の後輩。僕は後輩ちゃんとか、みっちゃんって呼んでいる。ストレートのショートボブがよく似合う子。去年、新入社員として開発部に配属されて、僕と同じ開発班で仕事をしている。僕からも指導入れつつ、一緒に頑張っている。今年で2年目だけど圧倒的コミュ力高め、アクティブきゃぴきゃぴ女子。ついでに彼女が言っているイチゴちゃんってのはたぶん、営業・企画部の後輩ちゃんの同期、亜人のエルフ、ステラ・ストロベリーさんのことだと思う。透き通るような綺麗な赤色の長髪の子、よく一緒に居るところ、見るもの。
戸惑い騒ぐ僕らを見かねた課長は、落ち着きなさいと宥める。
「とりあえず理解したわ、あんたたちねぇ……スナガワ君、気にしてたわよ?ミヌエットちゃんの同期、女子多いでしょー?スナガワ君、魚人の割に結構強面でその上、筋肉ムキムキのビルダー系だったじゃない?女子に怖がられてる気がするって、異動ギリギリまで悩んでたんだから。」
「俺、気にすんなって言ったんすけどねー……」
「トリヤマに言われても説得力、無さすぎでしょ。」
僕の一言を聞いてすぐ、席的に結構、距離があるはずのトリヤマからあ゛?という威圧感のある強い声と鋭い睨みが、勢いよく飛んでくる。僕は机の上のパソコン、モニターを盾にしてゆっくり隠れる。あーー怖い怖い。そんなことをしているうちに、オフィスの休憩スペースで付けられっぱなしになっていたテレビから、午後1時になりましたというニュースキャスターのはきはきとした挨拶が聞こえた。
「はいはい、仕事するわよーー散って散ってーー」
課長の発言と共に、皆仕事に戻る。そんな中課長は、空席になっていた僕の隣の席に来て、腰をかけた。出張話の続きだろうと察して、僕も一旦仕事する手を止める。
「さっきの出張の話なんだけどね?」
「はい。」
「うちの会社、支店増やそうとしてるの知ってる?」
「あぁーなんか社内広報に、それっぽい事書いてましたね。新規事業のためでしたっけ。」
「さすが! まともに読んでる真面目な社員、あんたぐらいよ。話が早くて助かるわ。」
「あっ、はいwww」
流石に他の社員も読んでるでしょと思ったけど、視界に入ってきた後輩ちゃんやトリヤマの様子を見て、あぁ読んで無いだろうなぁと思ってしまい苦笑い。
小さい頃から本を読むことは、好きだったから、出かけたときはよく本屋も立ち寄って、気になった本や雑誌なんか買っていく。その感覚で毎月の社内広報も一応、目を通しているのだけど、こんなところで活かされるとは思ってなかった。
「まぁそれでお偉いさんたちが目を付けたのが、開発部ってわけよね。できるだけ関われる観光地、多いところに置きたいそうよ?一番現地に関わってるの私達だからね。」
「えっ、じゃあ僕重要ってことですか。今より真面目にやんなきゃいけないんですか。」
冗談じゃない。今のところ、会社の仕事もある程度理解してて、独身で自由効きそうってワードにピンポイントの社員だからって理由だったらどうしよう。マジ勘弁してくれって感じなんだが。あからさまに嫌がってる僕を見て、察したのか鼻で笑っている課長。ほんとどうにかならないんですか。
「言っておくけど、そんな毎日じゃないわよ?どう考えたって多くても月2回あるかないかよ。新規持ってくるのに結構、準備も期間もかかっちゃうし。そもそも全部が新規ってわけじゃないわよ?ちょっと遠いところの継続手続きも含まれるんだから。つまりは今年の事業、去年よりも他社が手付けてないところまで仕事を広げていきましょうってことよ。」
「ほんと、未開の地に送り込まれる気分ですよ……出張費出るんですよね?」
「出るけど、はみ出たところは経理と相談ね。初回くらいは私から先に通してはおくけど、そのあとは自分でよろしくね?ちゃんと挨拶くらいしておきなさいよ?」
わざと、はーいと子供みたいな返事をする。そんな僕を見ながら、課長は腕組みしながらため息をつく。
「別にあんたのこと、駒感覚で扱いやすいとかそういう理由で選んだんじゃないのよ?ほら、せっかくだからミラちゃんだっけ?にも学校に通う前から、良い経験になるんじゃない?まあ私としてはその……先に言っちゃうけど……最初の出張先、隣町のケラスス植物園。あんたが一番よく知ってる場所でしょ?」
ミラの件については僕も大いに賛成だけれど、正直、出張と呼べるかレベルの場所を言われて意外だった。なんたってその植物園は、僕が開発班に入ったとき初めて担当した契約先だから。でもそこの園長はこだわりも我も強くて、信用無い人とはまともに取り合ってくれないから、前任者から引き継ぐのが大変だった。
「ちょうど2日前、電話があってね?契約の件で相談がしたいってことだったんだけど……どうしても直接話したいって言うのよね。私は上の幹部が関わってる重要会議で抜けられなかったし、あんたは昨日まで休みだったでしょ?ヒーザー君も急な依頼で出払ってたから。植物園までそんな1日も掛からないしなぁーって思って。だから昨日、朝一でトリヤマ君に行かせたんだけどね?」
ふと視界に、足音が出ないようゆっくり静かに歩き、明らか僕らを避けるように大回りして、かつ、空のペットボトルを持って、オフィスの出口に向かおうとするトリヤマと目が合う。一応、園長にも誰が行くか伝えてはいたのよ?と笑いを堪え、吹き出しそうになるのを我慢しながら話す課長。察した僕は腕を組んで大きく息を吸う。
「トリヤマァ゛ーーーー!!」
「すまん!マジすみませんでしたーーっ!!」
トリヤマは涙目になりながら、全速力でオフィスから飛び出していった。僕は彼が出ていったオフィスのドアを睨む。イライラしてる僕をみて、課長は堪えきれずにとうとう笑い出す。そんな僕らをPCモニター越しに、目の前のデスクから苦笑いで様子見している後輩ちゃん。開発部は在籍する社員の人数が他部署より少なめだから、オフィス自体も学校の教室1個分くらいの面積なのもあって、他の社員にもその様子が見えてしまっていた。笑いを堪えられなかった社員のクスクス声や、やばいなと囁く小さな声が聞こえてくる。
「あそこには彼、ヒーザー君と何度か行ってたし、そろそろいいかなーって思ってたんだけれど……ダメだったみたい。私も丁重に謝ったけれど、園長に担当変わったとか、いつ行くかとか……直接電話、お願いね?あ、菓子折りも忘れないように。」
「分かってますよ……ったく、トリヤマめ……」
数日前の飲み会で、トリヤマと同じ整備保護班のヒーザー先輩が、早くトリヤマがミスしなくなって1人でできる奴にならねぇかなと愚痴っていたのがよくわかる。トリヤマはチャラくてナルシな面があるけど、フットワーク軽いから結構、開発部の仕事は向いてるはずなんだけど……なんかうっかりなとこもあるようで、仕事が大変だって僕によく相談してくれていた。だから多少はカバーできるところはしていたのだけれど、2年前に開発部内で、僕が整備保護班から開発班にミニ異動させられたときは彼すごく焦っていたし、なにより僕らに仕事の指導と生活のサポートをしてくれていたヒーザー先輩が一番頭抱えてた。
ヒーザー先輩は、会社のエルダー制度で約1年、僕ら2人を担当してた先輩。人類ヒューマン族の男性、ケイ・ヒーザー先輩には他班になった今でも個人的に、仕事でもメンタル的にもお世話になっている。その上、顔も良い。なんにせよ、すごく頼れる先輩だから、うっかりさんなトリヤマの事を今日に至るまでしっかりサポートしてくれている。でもヒーザー先輩だって、毎度トリヤマの隣に居られるわけじゃない。丁寧で人当たり良くって、仕事もテキパキこなせるものだから、顧客からの直々の指名も結構あったりする。そんなヒーザー先輩がいないとき、だいたいトリヤマはやらかす。今日も遠い町の顧客の依頼で、ヒーザー先輩は会社に来ていない。
僕の隣で笑いまくっていた課長はやっと落ち着いたらしく、よし!と言って席から立ち上がる。
「フルグライト君、あとは任せたわよ。時間空いたら、トリヤマ君に昨日何があったのか、直接聞いておいたほうがいいかもねぇ……私から説明するより、良くわかるんじゃないかしら。」
「本当、すみません課長……」
「良いのよ、今回ばかりは仕方ないわ。そろそろ会議だから、詳細資料、すでにまとめてあるから私の机から取っていってね。出張、期待してるわよ?」
「はい、ありがとうございます。頑張ります。」
課長は大きく伸びをした後、カツカツとヒールを鳴らしながら自身のデスクに戻る。机の引き出しから数冊のファイルと、課長がよく使っている外行き用の小さいノートパソコンを持って、さっさと会議に向かっていった。僕は手を付けていた別件の資料整理を区切りの良いところで止め、課長の机の上を物色しにいく。右側に積まれていたファイルの山に、僕の目当てのファイルはあった。それを持って自分のデスクに戻る。中身に軽く目を通した後、今度はPCの予定表を開いて時間調整、どうしても難しそうな仕事は後輩ちゃんに任せることにした。数件の仕事をお願いしようと、後輩ちゃんを見ると、僕のほうを既に見てきていて、にこりと笑顔で一言。
「任せてくださいっ!」
「ありがとう、助かるよ。あとで開発班の共有ファイルに関係書類と要件、入れとくね。僕の机も漁っていいからね。把握よろしく。」
後は電話と菓子折りの準備。今日は植物園、定休日なので明日、朝一でコンタクト取ってみようと思う。園長に渡す菓子折りは既に決まっている。これまた園長のこだわりというか、好みがあってね。出発前、遅くても2日前くらいに用意しとけばなんとかなりそう。
そして最後にやることがある。僕はゆっくり後輩ちゃんの後ろ、トリヤマの席を確認する。案の定、トリヤマは席に戻ってきていて、関係書類であるようなファイルと紙の束を机の上に綺麗に並べて置いている。僕からの叱りを覚悟して待っているようだった。トリヤマにしては、妙に察しが良いじゃん??
僕は課長の席から持ってきたファイルと、メモ用の手帳や筆記具を持って、冷静さを保ちつつ、怯えているトリヤマの席に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます