1-1 出張準備


 窓から差し込む日差しが心地よい。午後の1時。僕はリビングのテーブルに紅茶を2杯、各2切れほどホットケーキの乗った皿を2枚準備して、席についている。

 気温が上がって、暖かくなり、そろそろ花見シーズン。僕の本職、観光会社の仕事も忙しさが増すというもの。とは言っても、僕の仕事は営業でもないし、ツアー企画でもない。他会社では結構珍しいらしいけど、開発職。大きく言ってしまえば新規観光地開拓。ほかの同職ライバル社では企画職がまとめてやっているとか聞いたけれど、僕は他社に興味ないからよくわからない。まぁそういうわけで、いつものように契約済みの既存ツアーの見直しや、観光地として契約した施設関係者さん、その地の観光課のお役人さんに会って、今後の展望や継続契約の手続きをする程度。稼ぎ時だからと言って、急に新規の仕事が入るような仕事でもないから、多少気楽なところはある。とはいえ、観光シーズン間近だからちょっと手を貸してほしいとか、今年は新しい映えスポットを作りたいんだとか、直接依頼が来たらすぐに向かわなきゃいけないけど。

 1人で考え込んでいるうちに、後ろ、玄関のすぐ近くにある2階へ上がる階段からぱたぱたと小さい足音が聞こえた。


「準備は終わったかな~?」


 僕はくるっと足音が聞こえた方を振り向く。抱え込んでいた横長の大きな旅行バックを、静かにフローリングの上に置き、満面の笑みで、はいっ!と返事する少女。


「じゃあ忘れ物、無いか確認しよっか!」

「先生おねがいしますっ!」


 フローリングの上に置いた旅行バックを、ずるずると僕の居る机まで引きずってくる奴隷の少女・ミラ。フローリングに傷が付くと良くない。僕は席から立ってミラが引きずる旅行バックを持ち上げる。意外と重い。2人分、約5日分は入れたかな…僕のもしもの時のスーツも入っているから結構重さがある。よく2階から持ってこれたなぁ……


「ミラ、これ重かったでしょ。2階から呼んでくれて良かったのに。」

「力持ちなので大丈夫です!」

「そぉ? たまには僕のことも頼ってね。」

「はい先生。」


 彼女の表情が、ぱっと明るくなる。かれこれミラと暮らし始めて2か月は経とうとしている。なんだかあっという間だった。

 家に来たときは、本当に何も知らない子、控えめで弱々しい子。でも子供なりの純粋な反応ができる子って感じだったけど、僕が仕事の合間をぬって文字の読み書き、家の掃除と料理、自分自身の身支度身なりの整え方なんて教えていくうちに、声にも自信を感じるほどに元気になった。今では、とっても世話焼きで、大人の僕のことまで管理している感じ。

 そんなことを考えながら、バックを広げているが、僕の手が止まっているうちに、どんどん勝手に、ミラの着替えではなく、なぜか僕の下着が床に並べられていく。


「ねぇ、ミラ? 僕さ、自分のはもう確認したからさ? ミラのだけ確認しない?」

「だめです!先生もしっかり確認してください!先週だって、ネクタイ、家に忘れていったじゃないですか!」

「あー……はい。そうでした、はい、そうでしたねぇ……はは。」


 すっかり忘れていた。なんで覚えてるの?頭を掻きながら、もう口答えできないと感じて、僕は大人しくしていることにした。

 正直、うちの会社、お客さんと会うときと外に行くときだけ、身なりを整えれば、社内は服装自由なんだよね。まぁでも、大体の社員が面倒くさがってずっとスーツでいることが多いのだけれど。とはいえ、通常業務では、特に僕の場合、外部と関わることはそれほど無い。大体は電話かメールで済むからがっちりとした服装はしなくて良くって。まず、そもそも僕自体が堅っ苦しいのは苦手だから、ジャケットとネクタイは脱いで仕事しているのだけど……そんなことをミラに話しても、ミラには関係ないだろうしなぁ。

 言えないでいる事をもんもんと1人で思っている間、ミラは指さし確認で、僕の靴下一足一足の小さい物からパンツ等のデリケートな下着、スーツとかの大きい物まで、日数分しっかり数えていく。今更だけど、その、こういうの……あんまり外で、他人にはしないほうが良いからねって教えるべきだったなぁって……子供を育てるって大変。独身の、かつ成人男性の目線からではあるけど、世の奥様方を尊敬するよ。


「はい!ちゃんとありますね!おっけーです先生!」

「それじゃあしまいましょーう。チェックありがとうございまぁす。」

「はーい!しまいまーす!」


 ミラの小さい手が、数えるために広げた服や靴下を手際よくしまっていく。僕は先を越されないよう、床に広げられた、主に自分の下着を中心にさっさとたたんでしまっていく。僕たち2人が動くたびに、微かに床に散らばった糸くずや埃が、窓からの日差しによって舞っているのがよく見える。そんなことにはお構いなしに、どんどんしまっていくと、ぎゅうぎゅうに物が詰められた1つの縦長の旅行バックが完成した。それを僕は抱えて持っていき、玄関付近にある一人掛けソファの上にドンと置く。置いた衝撃で、これまた一人掛けソファから小さい埃が舞ったのが見えた。


「先生、後でフローリング、モップ掛けしますね。」


 ミラの方を振り向くと、いつの間にか彼女は床にしゃがんで浮遊する埃を、じっと眺めていた。日差しに照らされるミラと、舞う埃を見ていると、日差しが暖かそうという考えと、今にもくしゃみが出そうという考えが同時に脳内に発生する。


「ありがとう。でも先にホットケーキ食べちゃおうね。埃ケーキになる前にね。」


 えっ嫌です埃ケーキ!という焦り声の後、ミラは大急ぎで椅子に座って、ホットケーキを食べ始める。僕はホットケーキのあるテーブルに向かいつつ、応急処置としてリビングに面している何ヵ所かの窓を、少しだけ開けながら向かっていく。席に着く頃には、リビング内が肌寒く感じるようになっていた。

 ミラに続き、僕も席に付き、ホットケーキを食べ始める。ちょっと遅めの、今日の昼ごはんの代わり。きっちりフライパンの厚みサイズのホットケーキ。いつもより厚めに、多めに焼いてみたのだけれど、これまた良い感じ。ちゃんと中も焼けているから一安心。歯でちぎった断面を、皿に垂れたメイプルシロップにしみ込むようにしつこく付け、そのあとすぐに口に頬張り、また噛み千切る。口の中にすぐさま、まだ手を付けていないもう一切れのホットケーキの上にあるバターをフォークで割りつつ、バターも食べる。口の中のホットケーキが、嚙むたびにバターとメイプルシロップに絡み、甘さと旨さがより増していく。唾液をホットケーキが吸ってしまうため、忘れずに少しずつ紅茶も飲みつつ咀嚼する。


「はい、先生。野菜も食べてくださいね。」


 口の中の甘さと美味しさに酔いしれていた僕は、ぱっと閉じていた目を開けてテーブルの上を見る。いつの間にか小皿が用意されていて、その上にスティック状に切ったセロリときゅうり5本、あと少量のマヨネーズが乗せてあった。


「今日くらい、良いのにー……」

「野菜は毎日取っていいんですよ!」

「雑誌に書いてたの?」

「はい!野菜はすごいんです。」


 そっか…と僕が言った後、自慢げに話し続けるミラを見て、くすくす笑ってしまった。僕の様子を見たミラは馬鹿にされたと感じたのか、むっと頬を膨らませる。ごめんごめんと謝るものの、しかめっ面は直らず、代わりに強めの口調で野菜に含まれるビタミンがとか、栄養素が……なんて話し始めた。

 最近のミラのブームは料理。朝昼晩の料理の手伝いをするようになってから、肉料理、魚料理、野菜のサラダあたりから自分1人で作れるものはないかと相談してきたのがきっかけ。だから、よく子供向け教員番組とか放送している全国放送のとこの、料理教室番組が出しているレシピ雑誌を月刊のやつ、発売されているのを試しに何冊か買ってきた。そしたらまぁ、ずっと持ち歩いて読んでるもんで。それで、最新刊の特集は野菜らしくって、昨日の夜、この野菜スティックを作ったってわけ。

 食べながらも、今度は野菜の色について熱心に語るミラの話にも耳を傾けつつ、用意されてしまった野菜スティックをマヨネーズに付けて食べる。ふと彼女を見ていたら、メイプルシロップの付いていないホットケーキをちぎって、その上に野菜スティックとマヨネーズを乗せたかと思うと、そのままパクパクと頬張っている。いわゆる惣菜パンの感覚なのだろうか。僕もこっそり真似て、メイプルシロップの付いていないところをちぎって、野菜スティックとマヨネーズを乗せて食べる。うん……まぁ、これも悪くはないかも。

 ミラの長く続く野菜話に耳を傾け、頷きながら聞いていたが、いよいよホットケーキと野菜スティックが2口くらいで無くなりそうというとき、彼女は野菜話を一旦中止して、僕の顔を不安げに見てきた。


「あの……明日なんですけど……」

「うん。」

「何時に、家を出ますか?」


 僕は最後のホットケーキを口に運び、もぐもぐと嚙みながら考える。いよいよ明日は、課長に言われた出張当日。そのためにさっき、ミラと旅行バックに着替えを詰めて準備した。とはいえ5日ほどで帰ってくるし、まず隣町までっていう小さな出張。予約した宿泊施設まで1時間もかかるだろうか?でも、移動する初日は仕事を入れないようにしたので、比較的のんびり現地までいける。僕はミラを見返して、優しく微笑み返す。


「ちょっとだけ遠出だもんね。それに初めてのお泊り、心配?」


 彼女は、小さく頷く。気持ちは分からなくもない。約2か月間、僕なりに行ける範囲まで、ミラを外に出して出掛けはしたけれど、2か月内でこの町の景色以外は見たことがない。不安に感じるのも仕方のないもの。


「明日、早く出ようか。それで一日、一緒に観光しよ?」


 ぱっとミラの曇っていた表情に笑顔が現れる。僕もつられて笑顔になった。


「じゃあ明日、7時起きれるかな?8時発の電車に乗るよ。」

「早起きは任せてください!」


 ミラは力いっぱいガッツポーズをする。それを見た僕は、よしっ!と言って立ち上がる。


「僕、今から夕飯の買い出し行ってくるから、ミラはフローリングの掃除と、あとお風呂沸かしてくれる?今日は早めに夕飯と身支度済ませて、明日に備えようね。」

「あっ……、花壇の花の栄養剤、どうしますか?」

「それもお願いしようかな!あと、明日の朝ご飯はパンが良い? ご飯? それともシリアル?」

「ホットサンド……良いですか?」


 ミラはもじもじと身体を揺らしながら、少し顔を赤らめて、僕の顔をちらっと見た。最近のミラは料理にはまっているけれど、それ以前に、ここで過ごすようになってから、たまにホットサンド専用焼き機で、伸びるチーズのホットサンドを作っている。初めて食べた時、伸びるチーズのホットサンドが相当美味しかったらしく、大変気に入ってくれたみたい。そんなわけで、何か特別なことがあれば食べたいと言うようになった。僕自身も朝に食べるホットサンドは個人的にブーム真っ只中だから、大歓迎だ。


「それじゃあ、のびーるおいしいチーズ、いっぱい買ってこなきゃね! さっ、ミラ?お仕事ーー……開始っ!」

「おーーーーっ!!」


 僕は掛け声と共に、拳を天井向けて思いっきり突き上げると、ミラも僕に合わせて掛け声と共に拳を突き上げる。その後すぐに僕らは駆け足で、皿やティーカップを運ぶ。キッチンの流し場に置いていた洗い桶に漬け込むと、その場から解散して各自決めた役割に取り掛かった。





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