07話.[遅れちゃうよ?]
「あー、ちょっと髪が伸びてきたかなあ」
先程まで千鶴と盛り上がっていた人間がいきなりやって来てそんなことを言ってきた。
千鶴と話してほしかったのは本当だけど、ここまで放置されるとは思わなかったなあと微妙な気持ちに。
「もう二時だ」
「だね、朝練があるんだから寝ないと」
「結って」
結えるほどの長さではな――いや、ぎりぎりできるぐらいか。
「はいゴム」
「うん、じゃあ座って」
千鶴のをしたことがあるから問題もない。
ささっと済ませて運動少女を寝かせてしまうことにする。
「どう?」
「これから寝るのに必要あったの?」
「髪型が急に変わると気になるでしょ?」
「まあ、新鮮ではあるけどさ」
小さく結っているだけでももっと可愛らしくなる。
でも、これは僕の補正というか、僕個人が気に入ってしまっているからというのもあるのだ。
「じゃあおやすみ~」
「うん、おやす――あー」
「大丈夫、ベッドと床だから」
小さいことは気にせずに寝てしまおう。
自惚れでなければ彼女は僕と決めてくれているみたいだし、僕だってもう沙綾しか見ていないんだから。
「電気消すよ?」
「うん、おやすみっ」
母はなにも言ってきていない。
沙綾とだったらこんなことをしていてもどうでもいいのかな?
「ね、実は今日さ、抱きしめたのはやりすぎだったかなーって恥ずかしくなっていたんだよね」
だから部活に集中できなかったと彼女は言う。
「それでも僕は嬉しかったよ、求めてくれる人がいて」
「千鶴が無理になったから、でしょ?」
「ううん、千鶴には元々他のいい男の子と付き合ってほしいと思っていたから。道雄だったらもっといいなって、矛盾しているけどね」
求めてきたら受け入れる程度のそれだった。
確かに母の言うように距離は近かったものの、一線を超えるようなことはお互いにしていなかったから。
喋らなくても心地良さを感じられるような相手が千鶴ぐらいしかいないと思っていたからこっちの視野が狭まっていたんだと。
「最初は千鶴のお兄ちゃんなんだなぐらいにしか感じてなかったんだけどさ、気づいたら気になっていたんだよね」
「一応、嫌われないためにとしていたことが無駄ではなかったということだよね? それなら良かったけど」
「でも、お礼をしようとすると拒んでくるところは嫌だったけどね、もやもやが残るじゃん」
彼女からすれば僕はいいことをできたということなんだろうけど、僕からすれば嫌われないためにしていることで、自分のためだからお礼なんかしてもらうわけにはいかなかったのだ。
しかもそれも計算してのものだし、自然ではないし。
「これから沙綾には求めていくよ」
「うん、それでいいよ」
とはいえ、一緒にいてくれているだけで十分だからそんなに変わることはないと思う。
もう嫌われたくはないし、どうしたって好かれようと彼女のために行動するだろうから分からないけど。
「さて、じゃあもう寝ないとね」
「あ、そうだった……おやすみ」
「うん、おやすみ」
特に問題もなかった、朝まで普通に寝て起床。
いつもよりひとり分多い朝食を作って、その間に洗濯物を干したりして屋内に戻ってきた。
「あれ、沙綾ちゃんはまだ寝ているの?」
「あ、そうみたいだね、起こしてくるよ」
いつまでも千鶴と盛り上がっているからこういうことになる。
部活があるんだから他人の家にいようがさっさと寝るべきだ。
「沙綾ー」
「ん……あと五分……」
「朝練に遅れちゃうよ?」
「えっ!? え……」
彼女はがばっと体を起こし、数秒経過した後に何故か自分を守るかのように体を抱いた。
「あ……そうか、勝君の部屋で寝ていたんだっけ」
「地味に傷ついたよ……」
彼女は「起きてすぐ男の子の顔が見えたら怖いでしょ?」と聞いてきたが……。
「あ、その前に家に帰らないと」
「そうだね」
こっちは朝ご飯を食べてゆっくり登校――とはならず、ささっとご飯を食べて沙綾と一緒に家に行くことになった。
朝も放課後も一緒に行動すると決めているから仕方がない。
「もう衝突はしてない?」
「うーん、なんか我慢している感じかな」
「全部折れる必要はないけど、うん、それぐらいの方がいいよ、部活の問題だけではなくなることもあるからさ」
悪口を言いだしたりされても困るから沙綾には我慢してもらうしかない――って、沙綾に我慢させてばかりだな。
なにかもっと彼女のためになるようなことをしてあげたい。
「沙綾、してほしいことってない?」
「休み時間とかも来てほしい」
「それぐらいなら言われなくてもするよ」
「一緒にいてくれればそれでいいよ」
なにかを言ってくれないのは沙綾も同じだ。
そういう意味では僕らは似ているのかもしれない。
とにかくいまは千鶴が無理になったから沙綾に切り替えている、なんて思われないように行動しようと決めた。
「勝、それでどうなんだ?」
「沙綾のこと? うん、仲良くできていると思うけど」
沙綾とご飯を食べようとしたら断られてしまったので戻ってきたが、そこで道雄が誘ってくれたから寂しくならずに済んだということになる。
「沙綾は勝にしか興味がなかったみたいだからな」
「なんかごめん」
「はは、謝るなよ」
彼はあくまでもこっちを柔らかい笑みを浮かべて見つつ、「いいんだ、告白もできたしな」と言った。
「それに、ひとりじゃないからさ」
「道雄、千鶴のことよろしく」
「おう、任せておけ」
良かった、ぎこちなくならなくて済んで。
道雄がただ無理やり抑え込んでいるだけだとしてもそう。
でも、一緒にいてほしいと言っておきながら沙綾はなあ……。
「あ、ちづと沙綾が来たぞ」
ほんとだ。
それで千鶴はこっちに挨拶をしてから道雄の横に、沙綾はそんな千鶴の後ろに隠れようにしていた。
「喧嘩でもしたのか?」
「え、してないけど」
今日だって一緒に登校してきたわけだし、なんなら一緒にいる時間が凄く増えているわけなんだからいいと思うんだけど……。
「沙綾ほら」
「……勝君」
「なに?」
そういうのは千鶴がする側な気がするけど、僕が考えている以上に沙綾にも乙女的な部分があるということなんだろう。
「やっぱりここじゃ無理っ」
「「あ、行っちゃった」」
とりあえずこちらは席を譲っておくことに。
少し観察してみた結果、道雄も千鶴も楽しそうだったから一安心。
少しの罪悪感はあるけど、いつまでも考えていたところで意味がないからもう捨てておく。
「あれは……告白か?」
「ううん、違うよ」
「そうなのか? じゃあなんで逃げる必要があるんだ? これまでも勝のところには何度も気にせず来ていたよな?」
「まあ乙女には色々あるんですよ」
乙女には色々あるということで片付けられてしまってはどうしようもないから本人を追ってみることにした。
「あ、見つけた」
「しょ、勝君……」
あくまで柔らかくどうしたのと聞いてみる。
そうしたら単純に最近の行動が恥ずかしくて仕方がなくてそうしているということを教えてくれた。
「……最近の私は気が緩んでいるんだよ、勝君がこっちに向いてくれると分かってからさ」
「僕としては嬉しいけど」
「や、私も嬉しいよっ? でも……なんかこっちばかり恥ずかしいところを見せている気がして不公平だなって……」
なにも恥ずかしいことではないんだから気にしなくてもいい――と言ったところで彼女はそっかと折れてはくれないだろう。
「だから勝君も私になんか恥ずかしいところを見せてっ」
これはまた難しいことを……。
「あ、実はまた抱きしめてほしいんだよね」
「それは恥ずかしいところ?」
「そうじゃない? 一度ああされただけでその感触を思い出してもう一度してほしいって思っているんだから」
もちろん、まだ付き合っていないんだからそういう接触はなるべく避けるべきだとは分かっているが、なにかを言わないと沙綾が納得できないだろうから仕方がないのだ。
「し、してほしいの?」
「うん」
「分かった、じゃあ……」
あ、震えてる、これは少し申し訳ないことをしてしまったけどありがとうとしっかり感謝を伝えておいた。
「基本的に僕が甘えられる側だったからさ、甘えるのは中々慣れないことで恥ずかしいことではあるよ」
「そ、そっか」
「だから落ち着いて、沙綾はなにも恥ずかしいことなんてしていないから」
常にこちらをからかってくる側だったからこういう態度というのは普通に意外だった。
「ふぅ、少し気にしすぎだったかもしれないね」
「うん、揶揄してくるぐらいが沙綾らしいよ」
「……なんか悪いことを言われている気がする」
そんなことはない、いつも通りの彼女でいてほしいだけ。
それが強がりというか照れ隠しだったということならこれから本当の彼女ってやつを見せてくれればいいけど。
「……ありがとう」
「ん? はは、どういたしまして」
今回の件に関しては本当になにもできていないけど、余計なことを言わずに受け入れておいたのだった。
「勝くん、沙綾と付き合うにしても条件があるよ」
久しぶりに起こされたと思ったら急にそんなこと。
真剣な顔かと思えばそうではなく、彼女はによによとした笑みを浮かべながら「聞いているの?」と。
「あ、それで条件って?」
「それはねえ――」
「駄目だってっ、余計なこと言わなくていいからっ」
あれ、何故か沙綾までいる。
昨日は普通にそれぞれの家で寝たからなんで? と不思議な気持ちに。
千鶴が夜中にでも呼んだのだろうか?
「勝君っ、ほら早く学校に行こうよっ」
「え、あ、うん」
ご飯作りとか洗濯物を干したりとかをしてくれていたみたいなのでご飯を食べて支度を済ませて外に出た。
今日は久しぶりに沙綾と千鶴のふたりと一緒に登校だ。
「もう千鶴っ」
「なんで? 大切な友達の相手となる人にはちゃんとなにかを課さないと」
「それだと道雄君と付き合うときに勝君からなにか条件を出されるってことなんだよ?」
千鶴は黙り、沙綾はもう一度重ねる。
「だって……私から勝くんを奪おうとしているんだし」
「えぇ!? それって私に不満があるってことっ?」
「当たり前だよっ、お母さんがあんなことを言ってきていなければ私は勝くんの恋人になれたんだよ!?」
そこらへんのことはもう聞こえないふりをすることにした。
もう言っても仕方がないことだ。
道雄だって千鶴のことをちゃんと見ている、僕だって沙綾のことを見ているわけなんだから。
いいんだ、相手があの道雄だから安心できる。
だからあくまで家族として関わっていければそれでいいのだ。
「……勝くんを悲しませたら許さないから」
「そんなことしないよ、せっかく最強のライバルが消えたのに」
「消えてないっ、私はここにいるっ」
「じゃなくて、道雄君のことを見るんでしょ? そうなったら勝君はフリーってことじゃん」
「わ、私以外にも勝くんを好きな子はいっぱいいるもん」
残念ながらそれはいないと思う。
唯一近づいてきてくれた高沢さんの目的だって千鶴と仲良くすることだったんだし、きっとこの先も道雄と沙綾とぐらいしか一緒にいないと思うから。
「それでも関係ない、負けないように頑張るだけだから」
「そっか」
「うん」
大げさでもなんでもなく彼女はよく来てくれていたから自分に気があるんじゃないかって妄想をしたことすらある。
ただ、道雄の気持ちというやつを聞いていたからそれはないと毎回毎回片付けて過ごしていたわけだけど、いざ実際にそうなると喜びや嬉しさだけではなく複雑さもあるんだなって初めて分かった。
「勝くん、部活に行ってくるね」
「うん、気をつけて」
千鶴と別れ。
「沙綾?」
足を止めたままの彼女に問いかける。
彼女はこっちを見たり違う方を見たりしてから「行ってくるね」と言って歩き出した。
僕もその背に「うん、気をつけて」とぶつけてから昇降口へと向かって。
朝練組に合わせているということもあって静かな廊下を歩いて教室へ向かう。
「なんか新鮮な感じだな」
入学したばかりのことを思い出す。
緊張していたのもあって登校時間をかなり早くしていた。
それはそれで問題があった、暇をつぶす手段がなかったから。
それでも慣れるまではそれを続けて。
五月になるまでずっと寒かった、それがまたいまと似ているような気がして思い出したんだろうなあと。
結局、道雄と沙綾以外の友達ができることはなかったものの、いまとなってはそれで良かったんじゃないかと思えている。
複数の相手を偏りなくすることは不可能だ。
仮に誰かと友達になっていたとしても道雄や沙綾を優先したくなっていただろうから仕方がない、これでいい。
「冷たっ!?」
「おっす、これやるよ」
「あ、ありがとう」
イチゴ牛乳か、これもまたなんだか懐かしい。
「ん? というかもう帰ってきたの?」
「もう八時二十五分だぞ」
「あ、ほんとだ……」
すごいなあ、毎日朝から活動して。
なにがそんなに彼らや彼女らを駆り立てるのだろうか。
しかもこんな寒い季節にさ、夏になったら暑いというのにさ。
「美味しい」
「イチゴって感じはしないけどな」
「いいんだよ、この曖昧な感じで」
嫌いではないけど好きでもないというレベルだし。
生エビ、甘海老は食べられないのにエビフライは食べられるとか、カニ全般を食べられないのにカニクリームコロッケは食べられるとか。
その要素が薄まることで食べられるようになったりする不思議な感じぐらいがいいんだ。
「唐突だけど、沙綾にもっと近づいていればよかったなーって思うときはあるぞ、遊びに誘ったりとかさ」
「そりゃそうだろうね」
「なにもしてないのに好きとか言われても信じられねえよな。勝にばかり相談を持ちかけることとかも多かったし、ちゃんと見られていなかったんだろうな」
彼は少しつまらなさそうな顔でそう言った。
相手のことが好きだからこそ動ける人間と、好きだけど恥ずかしくて動けない人間と。
仮に僕が沙綾のことを好きでいたらきっと彼みたいに動けなかったと思う。
それに相談されてもこっちはほとんど聞くことしかできなかったし、たまに余計なことを言っては余計なお世話だったかなって考えるまでがワンセットで。
その度に道雄や千鶴だったら相手のためになるようなことを言えるんだろうなって想像することもあったぐらいだ。
「だから今度はそんなことにはしない、俺はちゃんと千鶴を見る、兄である勝よりも仲良くしてみせるよ」
「そっか」
道雄のことを優先してこっちになんか全く来てくれなくなったとしてもそれでいい。
それが幸せへと繋がるのなら兄としては見守るだけだ。
「勝一さん」
「あ、高沢さん」
三時間目の休み時間、彼女がやって来た。
「千鶴さんは平本さんのことを見ているみたいですね」
「うん、そうみたいだね」
「平本さんなら安心できますね、昔から一緒にいますし」
「え、知っているの?」
「はい、勝一さんや沙綾さんのことも知っています」
彼女は困ったような表情を浮かべつつ「見ているだけしかできませんでしたけど」と呟く。
「私、本当は恋をしている千鶴さんをずっと見ていたかったんですよ」
「あ、そうだったんだ」
「はい。とはいえ、相手が代わってしまったことについては少し驚きでしたけど」
あのとき事情を説明してあるから特にそれについてはなにかを言ってくることはなかった。
いいんだ、これが自然だ、家族以外の誰かにそういう気持ちを向けるのが普通だから。
千鶴という女の子をやっと解放させてあげることができたと思う。
だからお母さんには感謝しかない。
大切な存在というのは変わらないようでそうじゃない。
その中でも優先順位というのはやはり存在している。
みんな平等に相手をするなんて不可能だから。
先程も考えたことだけど道雄が一番になっても構わない、こっちのことを後回しにしてくれても構わない。
とにかく楽しく生活してくれればいいのだと、あまり意味はないけど彼女に全て吐いた。
彼女はあくまで柔らかい表情を浮かべながら「そうなんですね」と言ってくれたのだった。
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