第29話

 そして誘拐事件のときに知り合った刑事と、すんなり親交を深めることができた。弘子が言うには『正義感溢れる人』とのこと。弘子は情報提供してくれて、尚且つ口が堅く、正義感の強い警察関係者を探し続けていたのだ。本庁、捜査一課の課長である。豊中大輔と言う課長は、四十を超えたばかりだが、かなりの功績を残している。その上辛抱強く、決して犯罪者を許しはしなかった。勿論彼と会うときにはマスクを外すことはない。けれども、彼はそれを責めることなく、下手な詮索もしなかった。正義感が強くとも、やはり歯車の一つであることは避けられないのだ。そんな葛藤が心にある時、私との出会いがあった。彼は私の誘いを素直に受けた。それどころか、同僚で同じように不満を抱く仲間を紹介もしてくれた。彼らとて、手の出せない犯罪者がいると言うことだろう。彼らの望みは、そんな輩を私に託したいのだ。巷でも噂される上級国民。政治家の倅。一流企業の経営陣。腐敗した官僚たち。犯罪の証拠を握っていても、上から動くことを禁じられて、歯がゆい思いをしていたようだ。

「網にかかりました」弘子といつもの巡回中、豊中からの声が届いた。知っている声ならば、かなり遠くからでも聞き分けられる。

網にかかったのは、山下正巳。与党幹事長の息子であり、国立大に通う大学生だ。彼は酔わせた女性に性的暴力をふるっているらしい。しかも何度もだ。その度にもみ消しにあい、捜査すら有耶無耶にされていた。豊中が心配したのは、エスカレートして取り返しのつかない状況になることだった。山下の手口は違法薬物を使い、昏睡させるのである。薬物の扱いを間違えれば命さえ落としかねない。最初こそ、お酒を使って酔わせていたが、効率を考え薬物に変えたのだ。場所は都内でも有数な宿泊ホテル。海外のセレブも使うほどのホテル。山下は仲間二人と若い女性二人を伴い、最上階のレストランで食事をとった。店内でも展望の良いテーブルに通されたが、いざ食事が始まると、その下品さには周囲の客も露骨に嫌悪感を表した。けれども、当の本人たちは全くお構いなし。店側もそこに誰が座っているかを把握しており、表立った注意もせずに扱いに困っていたようだ。現在に至るまで、かなり強引な手法を用いていたことは間違いがないだろう。その後ラウンジで軽く飲み、リザーブしておいた部屋へと連れ込んだのである。この時、女性二人は既に酩酊状態だったと言う。豊中の推測では、女性たちの急激な変化は、薬物使用ではないかと言うことだ。

「恐らく、ラウンジで飲み物に混入させたのではないかと」豊中とはホテルの駐車場で合流した。山下達の行動の一部始終は、彼の部下が見張っていたようだ。

「分かりました。部屋の様子を見てきます」山下の部屋は十七階のスウィート。普通の大学生が宿泊できる場所ではない。言い換えれば、親公認での宿泊だろう。私は外壁に沿って上昇し、山下の部屋の窓までたどり着いた。部屋を覗くと、女性二人はぐったりとし、意識は完全に失っているようだ。山下を含めた男三人はパンツ姿。そのうち二人が横たわる女性を脱がし始めた。男の一人はベッド脇に三脚を立て、撮影の準備をしているようだ。

「ひどい」弘子が悲しそうに呟いた。

「ああ。許せる行為じゃない」とは言え、高層階の窓を割って飛び込むわけにも行かず、私は非常階段へと急いだ。弘子には問題がない。スーッと窓を通り抜け、室内へと侵入した。弘子は設置されたカメラを回した。彼らの悪行を録画するためだ。興奮する山下たちは、そんな事ともつゆ知らず、下品な言葉を交わしながら笑って女性に悪戯を始めた。

「見ろ、可愛い下着をつけてるじゃん」と山下は下品に笑っている。

「あの薬物はほんとに効くな。完全に意識がないじゃん」と一人の女性に平手打ちをしながら、もう一人の男も笑っていた。この会話から、三人は何度も一緒に犯行を繰り返していたことがわかる。

「いいよ」ドアの前に到着した私は、弘子に合図を送った。そこから弘子の反撃だ。弘子は意識を失っている一人の女性を動かした。ゆっくりと立ち上がらせると宙に浮かせた。そして部屋の中を激しく飛び回らせたのだ。あっという間に広いベッドルームはパニックに陥った。山下達には、宙に浮かぶ幽霊か妖怪にでも見えたのだろう。そう見えるように弘子も演出したのだ。

「許してくれー」と、一人は叫び、ベッドの下に潜り込んだ。もう一人は目を固く瞑り、念仏のようにブツブツと呟いていた。けれども、山下だけは違った。

「ふざけんな!俺を誰だと思ってる!」山下には、張り詰めた欲望を奪われた怒りしかなかった。脱ぎ捨ててあった自分のズボンをまさぐると、隠し持っていたナイフを取り出した。

「今よ」弘子の合図と共に、私はドアを破ってベッドルームへと飛び込んだ。そして山下にパンチを食らわせ、ナイフを奪い取った。彼には何が起きたのか理解する時間もなかっただろう。それから三人の髪を掴んで部屋を出た。驚いたのは他の宿泊客だ。一階に着いたエレベーターから降りた私は、三人を引きずったままフロントに向かったのだ。当然のこと、三人はパンツ一枚。山下正巳は白目をむいて気を失っており、二人の男は泣き叫んでいる。それを引きずっているのが、絶賛売り出し中のヒーロー、ヒートマンその人である。その光景に携帯で録画する客も多く、拡散するには十分だと思えた。これらはもみ消しを阻止するためである。フロントにいた従業員は目を白黒させて私に訊ねた。

「ええと、いったい何があったのですか?」

「この三人が、薬物を使って女性を連れ込み、暴行するところでした」周囲に聞こえるように大きな声でそう言うと、周囲からざわめきが起こった。

「ええと。それでどうすれば」フロントの従業員は明らかに動揺していた。

「もちろん、警察を呼んでください。証拠もありますから」私は一応、名の知れた正義の味方。誰もその言葉を疑う様子はなかった。それどころか、称えるような拍手が沸き起こった。悪人を捕まえたのだから当然の反応だろう。五分ほどで現れた警察官は、山下の顔を見て青ざめた。

「あのー、ヒートマンさん。証拠とは?」と警察官は私に訊ねた。私は黙ってカメラを見せた。彼らが設置していたビデオカメラだ。まさか自分の首を絞める結果になるとは、彼らも思ってもみなかっただろう。

「ここで内容を確認しますか?」私は大げさに訊ね返した。

「いいえ。それには及びません。ですが預からせてください」と警察官が言うと同時に、待機していた豊中が予定通りに現れた。

「それはこちらで預かろう」警察官は豊中に敬礼すると、安堵の表情でその場を去った。恐らくは、騒動に巻き込まれたくなかったのだろう。扱いを誤れば首が飛ぶとでも思っていたに違いない。

「では、これを」と、豊中にカメラを渡し、ナイフと薬物の入ったカバンも手渡した。これだけの見物人がいるのだ。もみ消しはもはや無理であろう。『公にすること』それが私の第一の目標だった。しかも、パンツ一丁の男の中に、山下幹事長の息子が居たと言うこともすぐに拡散され、ネット上でも大々的に炎上した。この時には、ロビーで動画を撮影していた人たちに感謝したい気持ちでいっぱいだった。仮にそれらの動画を削除されたとしても、証拠の録画画像がある。豊中はすぐに山下の家の家宅捜索に打って出た。すると、山下正巳の部屋からは大量のいかがわしい動画が見つかり、言い逃れのできない状況を作り上げた。証拠が発見された三日後には、父親の幹事長は議員を辞職した。それを受け、息子の正巳も渋々ながら過去に行った行為を語り始めた。助け舟が沈没したことを知ったのだ。

「いい気味だわ」と弘子は満足そうに微笑んでいた。

しかし、こんなことは氷山の一角でしかない。まだまだ甘い汁を吸う輩は大勢居るのだ。

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